第4話 彼の帰還


 学校帰りに、紗香さやかりくが入院している病院へ行った。


「紗香ちゃん、来てくれたのね」

 病室に入ると、陸の母親が微笑みながら迎えてくれた。笑ってはいるが顔色は悪い。

「おばさん。陸兄は……」

「ああ、顔を見てあげて。もうすぐ、会えなくなっちゃうから」

「え?」


 紗香は息を呑んだが、陸の母親は紗香に背を向けてベッド周りのカーテンを引く。

 一番初めに目に入ったのは、ベッド脇で刻々とバイタルを刻む装置だった。その次に、管に繋がれて眠っている人────陸が見えた。

 一瞬怖気づいたが、勇気を振り絞ってベッド脇へ歩み寄る。

 癖のある髪は記憶よりもずいぶん伸びていた。日に焼けて精悍さを増した顔はひと回り痩せた気がする。髭も少し伸びている。そして決定的に違うのは────。


「……陸兄りくにい


 声が震えた。


「あのね、片手片足は失ったけど、他は奇跡的に無事だったのよ。怪我の処置は済んでるし、今の義手や義足は高性能だから、傷口が治ってリハビリすればほとんど不自由はないんですって。本当ならもう目覚めてもいい筈なのにねぇ────」


 陸の母親の声が遠くなってゆく。

 眠っている男は間違いなく陸だ。でも、布団の上に投げ出された片腕は肘から先が失われていた。



 国際支援団体で陸が担当した地区は、未だに内戦を繰り返す貧しい国だった。

 彼は難民キャンプを拠点に、地雷除去にも力を入れていたそうだ。その地雷で、彼は片手と片足を失った。

 AIやアンドロイドを駆使して豊かな生活を送る国がある一方で、まだ旧式の武器を使って国の中で争い続ける国もある。いつまで経っても貧しい国は貧しいままで、格差は広がるばかりだ。

────同じ地球に住んでいるのに、どうして人の暮らしはこんなに違うんだろう。俺は運よく恵まれた環境に生まれたから、せめて誰かの力になってやりたいんだ。

 出発する前の陸は、そんな風に熱く語っていた。


 綾香は、短い髭に覆われた陸の頬に手を伸ばした。


(意識は無くても髭は伸びるのね)


 ぼんやりとそんなことを考える。

 感情が麻痺して、少しおかしくなっているのかも知れない。

 ふいに、ボロっと涙がこぼれた。


「あれほど……気をつけてねって言ったのに」


 危険な地域に自ら赴く。とても彼らしいと思った。現地の風を感じ、人々の息遣いを知る。本当に必要な支援を知るには現地へ行くしかないのだと、根っからの世話焼き人間である彼の言葉に紗香もしぶしぶ納得したのだ。

 涙が頬を伝うにつれて、陸の頬を包んだ手が震えた。


 突然、視界が真っ暗になった。

 後ろに立っていたケインの手が紗香の目を覆ったのだ。


(冷たい……)


 アンドロイドに体温はない。でも、涙で熱を持った紗香の目には、ひんやりと冷たいケインの手は有難かった。


〇     〇


 我に返ると、紗香はいつもの遊歩道を歩いていた。もう日は暮れていて、等間隔に並ぶ街灯の淡い光が遊歩道を照らしている。

 陸の母親と何を話し、何と言って分かれたのかまるで覚えていない。

 ずっとずっと好きだった人が変わり果てた姿で帰って来た。それでも、生きていてくれた。

 もしも彼の亡骸と対面することになっていたら、きっと立ち直れなかっただろう。


(でも、このまま目覚めなかったら……)


 陸の母親は、コールドスリープを選ぶと言ってた。

 そんなことになったら、いつ会えるかわからない。そんなのは嫌だ。

 ガツンとつま先が何かにぶつかり、紗香はぐらりとよろめいた。倒れる寸前、ケインの腕に助けられた。


「紗香。歩いている時は考え事をするんじゃない」


 こんな時でも、ケインはお小言を忘れない。


「無理だよ。ケインにはわからないだろうけど、陸兄のことを考えないなんて無理なの!」


 せっかく助けてもらったのに、紗香はその場に膝をついた。病室ではギリギリで保っていた涙腺はもはや崩壊し、紗香の意思では止めることは出来なかった。


「……本当に、紗香は泣き虫だなぁ」


 困ったように呟きながら、ケインが紗香を抱き上げる。暗いせいか、理性が吹き飛んでしまったせいか恥ずかしさは感じない。

 けれど、奇妙な違和感が纏わりついて離れなかった。

  

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