八重城の人間にはなれないよ

【万年筆はかく語りき】


『こんにちは、姫梨だよ。久しぶりの日記だね。まぁ、私しか書かないし、私しか読み返さないから、名乗る必要はないんだけど……。


 最後に書いたのはいつだっけ……?


 そうだ、とっきーのお家に行った日。あれは人生の一大イベントだったね。


 え? なんだか筆圧から元気が感じられない? そんなことないよ! 今日はね、前回に負けず劣らずのビッグイベントがあったんだから。


 なんと! とっきーとショッピングモールでデートしてきちゃいました! おいしいケーキを食べて、とっても可愛いワンピースまでプレゼントしてもらっちゃったの。


 冷静に考えて、推しの声優さんからプレゼントもらうのって凄いことだよね!? もうヤバすぎ! 買ってもらったワンピースがなんだかウエディングドレスに見えてくるよ。とっきーにはきちんと責任を取ってもらわなきゃ。


 何の責任かって? もう、みなまで言わせないでよ、照れちゃうじゃん……。


 でねでね、まだ続きがあるの。偶然、うたた寝先生とお友達になれちゃったの。うたた寝先生はSNSで有名な絵師さんなんだ。しかも彼女はとっきーの幼馴染っていうからびっくりだよね! 世界って思ったより狭いのかもしれないね。


 うたた寝先生ネット上ではすごく謙虚な人なんだけど、リアルでも小動物みたいな可愛い女の子だった。なんというか庇護欲ひごよくを掻き立てられるタイプ?


 現実と仮想の人物像が一貫してるほうがレアって、前にかすみさんが言ってたけど、うたた寝先生はイメージ通りの人だった。ちょっと可愛すぎるけどね。


 新しい出会いといえば、もうひとつとんでもない事件が起こったの。なんと、声優の朱羽紅音ちゃんとお知り合いになれたんだ! ヤバすぎでしょ!? 今日は何? 八重城姫梨人生のジャックポットDayなの!?


 彼女はとっきーとデビュー時期も事務所も同じ声優さんで、『残念ヒロインには理由わけがあり荘』で共演を果たしたんだ。彼女もまたテレビで見た印象そのままので、一般人の私なんかとも仲良くしてくれたの。


 しかも連絡先までもらっちゃった! え、どうしようこれ。こっちから気軽に連絡するわけにはいかないし。連絡先に『朱羽紅音』って登録されてるだけで急にスマホが重く感じられるよ~!


 なんだか初めてとっきーに出会った頃を思い出しちゃった。ふらっと寄った夜のコンビニで最推しがバイトしてるんだもん、びっくりしたよ。あの時も自分の身に起こっていることが信じられなくて、時間が経てば経つほどあれは夢だったんじゃないかって不安になった。


 今だってそう。気を抜けば今日の出来事は全部私の都合のいいように思い描いた妄想なんじゃないかって不安になってくる。スマホに表示された紅音ちゃんの連絡先が、それが白昼夢でないことを教えてくれるの。


 あ、いけない。私ったら、こんな大事件なのにとっきーに伝えるの忘れてた。


 引っ越しと重なって、紅音ちゃんも最近はとっきーに会えていないって言っていたから、教えてあげたらきっと喜ぶだろうな。次とっきーに会ったら教えてあげなくちゃ』


 そろそろ日記を結ぼうとして、万年筆を握る手が自然と止まる。


「次が……あるのかな」


 今回のお出かけは、ラジオの企画相談に乗ってあげたお礼という名目だった。私がしたことなんて乗りかかった船でちょこっと口を挟んだに過ぎない。私の協力なんて無くても、すべては上手く行っていたと思う。だって、彼女は風町渡季なのだから。人々を魅了する声とルックスを持つ美少女声優なのだから。


 彼女がアニメの現場から離れた理由を、私は知らない。彼女も言いたくない様子だったから私も無理には訊かなかった。けど、きっと何かあったんだ。実力不足でお仕事がもらえなかったとか……そういうのじゃないと信じている。


 技術不足が原因で出番が減ったのなら、アニメ監督も視聴者もとっきーの魅力に気付けなかった愚か者たちだ。本当だったら、今も表舞台で堂々と演技しているはずの素晴らしい声優なんだ。


 とっきーのラジオ番組がこのまま軌道に乗って、彼女の人気が上がれば、もう私の出る幕は無い。会う口実もなくなるし、一緒にお出かけすることもなくなる。


 とっきーとは友達でもなんでもない。口先では「大好き」とか「愛している」とか言っているけど、さすがに交友関係を歪ませるほど立場をわきまえていない私でもない。風町渡季は憧れのアイドルであり、私はただのファン。それだけの関係。


 ――あなた、渡季のお友達なの?


 紅音ちゃんの言葉を思い出す。


 私が本当のおバカちゃんだったら、こうして悩むこともなかったのだろうか。理性の欠片が最後に残ってしまうから、こうして胸の奥が切なくなってしまうのだろうか。


「これが最後のデートなら、もっと良い思い出にすればよかったな……」


 帰り際の光景を思い出す。下の名前で呼んでほしいと彼女にお願いした。それは突然沸き起こって、体の中に縛り付けることができなくなって、どうしようもなく口から出てしまった言葉だった。


 変な言い方だけど、本音なのに、どうしてそんな事を言ったのか自分でもよくわからなかった。


 いつものとっきーなら間髪入れずに「調子に乗るな」って断ってくれるのに、彼女は難しい顔をしていた。彼女を困らせてしまった。


 すぐに自分の行いの浅はかさに気付いた。でも、遅かった。


 私が変な空気にしてしまって、その空気を引きずったまま彼女と別れた。最後の後味を悪くしたのは自分で、それに絶えきれなくなって、逃げるように彼女の前から去ってしまった。


 途中までは最高のデートだったのに、最後の最後でとっきーに悪いことをしてしまった。


 下の名前で呼んでほしいなんて仲の良い友達同士がやること。とっきーと私は友達の関係ですらない。そんなこと前からわかっていたはずなのに。ファンという立場のまま応援していくって決めたはずなのに。


 それなのに……つい、欲が出てしまった。もう一歩先の関係になりたいと願ってしまった。


 祭壇に飾ってあるとっきーのサインに目をる。初めて会った時に書いてもらったものだ。まだ一ヶ月も経ってないはずだけど、随分と昔のようにも感じられる。


 宛名はフルネームではなく、名前だけでいいとお願いした。


 “八重城”という苗字が嫌いだから。

 それを推しに書いてもらうのが嫌だったから。

 一生残る物だから。


「私はやっぱり……八重城の人間にはなれないよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る