交点を持たない平行線

 唄多と再会して、八重城を交えた三人でショッピングモールを回って、疲れたら休憩して。


 あたしと唄多が思い出話に花を咲かせると、八重城が嫉妬して……。


 そんなことをしていたら、あっという間に一日が過ぎていた。


 唄多を見送りに駅の改札までやって来た。あたしと八重城は同じ方面の電車なので、唄多とはここでお別れだ。


「またね、ひばりちゃん」

「うん、体に気をつけて」

「ひばりちゃんも声優のお仕事がんばってね」

「……うん」


 唄多は少しだけ別れ惜しそうに、


「これからは気軽に連絡していい、かな?」

「当たり前でしょ……幼馴染なんだから」

「うん……!」


 ああ、あたしはバカだ。


 アニメ声優を辞めて、関係者はもちろん、いろんな人との縁を切った。


 人間関係をリセットしようとして、こんな大切な子までも疎遠にしてしまっていたなんて。


 でも唄多はそんなこと気にしてないとでもいうように、向日葵みたいな笑顔を咲かせた。


「姫梨おねえちゃんもバイバイ。今日はすごく楽しかったです。それに、ひばりちゃんを応援してくれる人に会えてうれしかったです」

「今度ぜひとっきーの魅力について語り合いましょう。それからとっきーのあられもないイラストお願いしますよ、うたた寝先生! めちゃくちゃエッッッなやつ! 法に抵触しなければどんなにセンシティヴなやつでもいいんで!」


 改札で唄多は小さな手を振りながら去っていった。それを見送って、あたし達も山手線の新宿・渋谷方面に移動した。タッチの差で乗り遅れたようで、ホームに到着したのと同時に電車が出た。本数が多く次の電車はすぐに来るので、あたし達は少しばかり待つことにした。


「はあ~~~っ! まさかフォローしてる神絵師と会えるなんて」

「あんた、なに途中から『姫梨おねえちゃん』なんて呼ばせてるのよ」

「だって、妹みたいで可愛いんだもん」

「まぁ、三歳違いとはいっても幼さがあるからね唄多は」

「ん……」

「どうしたの?」

「たしかうたた寝先生、二十二って言ってたような……? 三つ離れてるってことは……、えっ!? とっきー、二十五歳なの!?」

「な、なによ……悪い?」

「私も二十五なの!」


 人目もはばからず駅のホームで飛び跳ねる八重城。


「とっきーと同い年なんだ! はわわ、大ニュースだぁあああ」

「そんなにうれしがること?」

「だってとっきー何年生まれかまでは公表してなかったから。生年月日は知っておきたい推し情報の中でもトップに君臨するものだよ」

「そういうもの?」

「そりゃあもう! アメリカのシンクタンクが握る情報より価値あるよ!」


 国家機密レベルなのか、あたしの生年月日は。


 たしかにアニメ声優をやっていたころは所属事務所のプロフィール欄に西暦までは表記していなかった。あたしのように、誕生日は記載しているけど何年生まれなのかは公表していない人は多い。とくに女性声優は。


「ああもう本当に尊いです。私が生まれた年にとっきーが同じく産声を上げて。私が小学生をしていたころに、とっきーも赤いランドセルを担いでいたなんて。場所は離れていても、同じ時間を共に生きてきたことに感謝。生まれてきてくれてありがとう、とっきー」

「リアクションに困るから、仏を拝むみたいなポージングやめて」


 最後の最後まで相変わらずの調子の八重城姫梨であった。そうやって一日が終わるはずだった。


 空いたホームの屋根からあけぼの色の夕日が差し込む中、彼女は普段と似つかわしくない逡巡の素振りを見せ、そっと口を開いた。


「あ、あのね、とっきー。ひとつ、お願いがあるんだけど」


 なに、とあたしは続きを促す。


「私のことも名前で呼んでほしいの、姫梨って」


 それは、いつもの彼女らしくない表情で、いつもの彼女らしくない声色だった。


「唄多と親しくしていたこと、まだ根に持ってるの?」

「うたた寝先生が尊敬している絵師じゃなかったら、斬りかかることも辞さない覚悟だったけど――」


 とんでもない奴だ。


「でも、それとは関係ないの。嫉妬とか、そういうのじゃなくて、純粋にとっきーに名前で呼んでもらえたらなって。だめ……かな?」


 上目遣いで、でもどこか不安の色を隠してきれていない瞳をした八重城。


 唄多とは下の名前で呼び合っていたから嫉妬したのだと最初は思った。あるいは、今日のお出掛けをきっかけにしてもっと距離を縮めたいという下心の表れかもしれないと。


 しかし彼女の切実な瞳は、あたしの推測がいずれも外れていることを如実に語っている。


 あたしは返答に迷ってしまった。


 下手に触れば脆く崩れてしまいそうな彼女を見て、あたしは考えてしまう。あたし達の関係はいったいなんなんだろうと。


 ネットの片隅で、未練がましく声優を続けるあたし。そんなあたしのファンで、ラジオの視聴者である八重城。あたし達は本来、交点を持たない平行線のような関係のはずだった。


 いや、平行線という表現も厳密には違う。平行は接点を持たずとも同じ方向へ伸びていく線だから。


 アイドルとファン。声優と小説家志望。


 交わることもなく、目指す場所も違う。それはまるで、のような関係。


 彼女のおかげでラジオ活動に勢いが生まれつつあるのは事実。そこは本当に感謝している。けれど、彼女はひとりのリスナーに過ぎない。これ以上あたしの活動に巻き込むわけにはいかない。アイドルとファンである以上、一線を越えてはいけない。


 今日という日が終われば、もう八重城と会う口実もなくなる。八重城がバイト先に来なくなったら……あたしがあの珈琲ショップに足を運ばなくなったら、たとえ同じ地元に暮らしていたとしても、もう八重城と会うことはないかもしれない。


 だからこそ、考えてしまう。あたし達の関係っていったいなんなんだろうと。彼女と出会ったこの秋はなんだったのだろうと。この先が果たして存在するのだろうかと。


 名前で呼ぶなんて距離を縮める行為だ。初対面で気さくに名前呼びするコミュ力が高い子もいるけど、少なくともあたしの中で下の名前で呼ぶというのは心的距離を縮める行為に他ならない。


 あたしが深く考えすぎなのかな……。


 八重城と……友達になって、いいのかな。



 ――わたしを……置いていかないでよ……。


 いつか、誰かに言われた言葉が今のあたしを引き止めた。


「ごめんね、変なこと言っちゃって。今のなし」


 なにか言わなきゃと唇を微動させた瞬間、八重城は下手くそなごまかし笑いをした。


「違っ……今のは」

「あっ、電車来たよ、とっきー」


 あたしの声に重ねるように、八重城が明るく言う。その無邪気さがどこまでも八重城らしく、どこまでも作られたものに感じられた。


 到着した電車から大量の乗客が排出され、あたし達はそれから人の流れに従って車内に乗り込んだ。


 電車の中は隣の人と肩がぶつかる程度には混んでいた。新宿で乗り換えて、国立くにたちへと帰る。


 都心から遠ざかるにつれて乗客の数は減っていき、車窓から見える景色も暗くなっていった。揺れる電車の中で、あたし達は一言も話さなかった。空席が目立つくらい乗客が減ってからも、座席に座るのがどうしてか気が引けて、ふたりしてつり革に掴まって無言のまま立ち続けた。


 なにか話題を作ろう。何度もそう思って、結局なにも言えなかった。


 国立くにたち駅に戻ってくるころにはすっかり暗くなっていて、駅周辺にあるお店の明かりが夜の町に浮かんでいた。仕事を終えた会社員が改札を出ては銘々の帰路に就いていく。


 あたしのアパートは北口、八重城の家は南口らしいので、ここでお別れ。長かったようで短かったデートが終わろうとしていた。


「今日は楽しかった! ありがとう、とっきー。最推しとデート決められてもう最高だったよ!」


 そう言って八重城は、あたしが買ってあげた洋服の買い物袋(今は八重城がもともと着ていたパジャマが入っている)をうれしそうに掲げる。いつも通りに明るく振る舞おうとしているからこそ、どうしようもなくぎこちなく感じられてしまう。


「八重城――」

「じゃね、とっきー。ラジオの更新楽しみにしてるから」


 「またね」とは言わなかった。こちらの感想も、別れの挨拶も聞かずに――聞こうとしないまま、彼女は南口方面へと足早に去っていく。その背中がどんどん小さくなっていく。


 今呼び止めれば、なにかが変わる。


 でも、なにが? どんな風に?


 ……わからない。でも、なにかが変わるのだけはわかる。


 わかっているのはずなのに、結局口からはなにも生まれず、伸ばした手はそのまま空を切った。


 八重城の後ろ姿が人混みに溶け込むまで、目で追ってしまった。


 べつに喧嘩したわけではない。むしろ、賑やかな一日だったと言える。けれど、彼女が口にした『最高』という言葉が心からのものでないことがあたしにはわかる。


 特に理由がなくても、ちょっとした気持ちの齟齬からぎくしゃくする日もある。人間なんだから。でも、その空気を作ってしまったのが自分だと八重城は感じていたようで、あたしは彼女に気を遣わせる形で今日を締めくくってしまった。彼女の申し訳なさそうな表情が否応なしに脳裏に焼き付いた。


 しばらくの間、あたしは反対側の出口に足先を向けることもせず、その場に立ち尽くしていた。帰宅者が往来し、駅のアナウンスが絶えない改札口の前で、ずっと。


 あの時、素直に名前で呼んであげていたら、文句なしの一日になっていたのだろうか。


 別れ際に見せた彼女の横顔が、あたしから全ての思考を奪っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る