<case : 50> bloodline - 血筋
施設の最深部で壁に背をつけながら、アイザックは崩壊を待っていた。
すでに部屋の入口は崩れ落ち、灯りもない暗い空間で、篠塚が打った細胞活性剤によって体内の〈カオティック・コード〉が臨界を迎えようとしている。
肩からだらりと垂れて伸びた腕が、篠塚だったものを掴んでいる。だったもの、というのは、腕は天上から落ちてきた鉄塊に、篠塚ごと潰されてしまったから。
その潰された腕の感覚すらなくなり始めており、本当の終わりが近づいている。
アイザックにとって、このドームで過ごした数週間はそれまでのどんな生活よりも色濃い、まさに自分自身の人生だった。
篠塚が造り替えるとばかり思っていた未来も、ノアや、蒼井ヴェルが阻止し、世界はこれからも変わらずそこにあり、そのままの姿で続いていく。
そこに自分の席がないのは残念だが、良かった。これで良かったのだ、と思い、笑顔を作ろうとして、変わり果てた顔ではそれができないことに気付き、心の中で苦笑する。
この時代の人とマキナスは、手を取り合って強く生きている。
それはこれからも続いていくだろう。
「……レイカ、僕はやったよ」
アイザックの身体から漏れ出した〈カオティック・コード〉のエネルギーが、赤い光となって彼の身体を包む。
///
関係各所への手配と調整を終えて、キオンを連れて再び現場に戻ったミコトは、施設から少し離れた場所にできた拠点で、隊員の一人を呼びつけ叱責していた。
「ナタリが中に? どうして一人で行かせたの!」
「それが……気付いたら姿を消していまして……」
「通信は? 繋がらないの?」
「コールしていますが、一帯に妨害電波が張り巡らされていて……」
ああもう! と悪態をつくのも束の間。現場には火急の医療スペースが設けられ、医療技術のある者が続々と駆けつけ始めている。
「自分が様子を見に行きましょうか、医療方面はからっきしなので」
「あなたは私の傍にいて」
キオンの提案を退けて、ミコトは再び思案する。
中央政府の要人が集っている以上、部隊の人員はこれ以上割きたくない。テンペストも国家安全保障調整局も、まだ崩壊したわけではない。篠塚が命じれば行動に出る可能性も考えられる。
中の状況が分からない以上、ここの守りは手薄にするべきではない。
「とにかく──」
その時、地割れのような音とともに、篠塚サイバネティクスの施設が大爆発を起こす。辺りは大きな揺れとともに、細かな鉄片や廃材が飛散する。
「危ない、下がれ!」
キオンに抱えられて、ミコトは屋根のある建物の中へ駆け込む。振り返った目に飛び込んできた施設は黒煙を噴き上げ、二次爆発を繰り返している。
「嘘でしょう……ナタリ、ヴェル……」
「長官! あれを!」
炎の中に何かを見つけたキオンが指をさす。目を細めて凝視していると、三つの人影が浮かんでくる。そのうち、二つは見間違えようもない。
「ナタリ、ヴェル!」
ナタリと緋色の髪の少女が、左右からヴェルを支え、半ば引きずるようにしてこちらに駆けてくる。三人とも身体の所々に火傷を負い、肌は煤で黒ずんでいる。
「ケホッ、ケホ! ちょ、長官……」
「ナタリ! あなたって本当に人を心配させるわね!」
「す、すみません。でも、それより今は先輩を……!」
ナタリと赤髪の少女は、その場に仰向けになるようにヴェルを寝かせる。ヴェルは、青ざめた顔で目を閉じたまま動かない。
「医者を呼んで下さい」
少女が、ミコトの目を見て言った。
「あなたは、ノアね」
「私のことは後で。早く治療しないと危険です」
「分かった。斎藤分析官!」
キオンは頷いて、医療班のいる仮設テントに駆けていく。すぐに部隊員が担架を持って駆けつけ、ヴェルを乗せると医療設備の整っている部屋に移動させていく。
ナタリとノアは医療器具を受け取って、その場で簡易な治療を施しながら、ミコトとの話を続ける。
「それで、篠塚宗次郎は?」
「死んだわ」
ミコトの質問には、ナタリではなくノアが答えた。
「篠塚に裏切られ、薬物を投与されて暴走したアイザックが、彼もろとも地下に引きずり込んで自爆したの。さっきの爆発はそれよ」
「あなた、その場にいたの?」
ノアは頷いた。その目は、どこか悲しげだったが、その真意は今のミコトには分からない。
「そう……。なら、本当に終わったのね。篠塚を逮捕できなかったのは残念だけれど」
「長官!」
顔を上げると、仮設テントから顔を出したキオンが呼んでいる。
「どうしたの?」
ミコトの質問に、キオンはばつが悪そうな表情で答える。
「医者たちが、ヴェルの身体を見て、この場所では本格的な治療が難しいと……」
「それで?」
「ここは工業地帯で、一番近い医療施設でも車で飛ばして一時間はかかってしまう。それまで、ヴェルの身体は持たないだろうと……」
キオンの報告が、ミコトの心に鉄槌を打ち付ける。キオンの顔を見ると、自分と同じく彼も目元に薄っすらと涙を浮かべている。
「そんな……先輩……」
ミコトの後ろにいたナタリが、膝から崩れ落ち、それをノアが支える。
「何とかならないの?」
場が沈黙に包まれかけた時、後方で部隊員たちの叫ぶ声が聞こえてくる。
「……だから! どこから来たと言っている!」
「下だよ」
「最下層か?」
「もっと下だ」
「ふざけるな! 貴様、テンペストの構成員じゃないだろうな!」
二人の隊員が、誰かを尋問している。目を向けると答えている者は、全身がすっぽり隠れるコートを羽織っていて、おまけにマスクまでつけている。
そのため、男なのか女なのか、ミコトたちがいる位置からはよく分からない。しかし、その特徴ある電子音交じりの声を聞いて、泣き崩れるナタリを介抱していたノアが目を見開く。
「まさか……」
立ち上がり、部隊員たちの方へノアが駆ける。集まってきた他の隊員たちをかき分けて前に進み、人だかりの中心に出る。
「夕霧博士!」
「おお、ノアか」
ノアに夕霧博士と呼ばれた人物が、マスクを取って顔を見せる。そこに突如現れた、アンドロイドの整った顔立ちに、周りの人間がどよめく。
「コイツらが、私を怪しい奴だと言うのだ。確かに見てくれに関しては否定できないが、コイツらだってファントムなんだろう? だったら、元を辿れば夕霧派から派生した組織だ。源流たる私の入場を拒むとはいい度胸とは思わんか。君から何とか言ってくれ」
「え、ええ……。そうですね」
ノアがたじろいでいると、夕霧博士は走り寄ってくるミコトの方を見る。
「ほお。いい顔立ちだ。君は私の子孫か?」
「はあ?」
「私は、かの科学者、夕霧黒百合の人格を模したAIだ。君の祖先にあたる人間だ」
「飛び込んでくる情報が多すぎて、眩暈がしてきた……」
キオンが頭を抱える。
「すまんな。急に押し掛けた非礼は詫びよう。先ほどまで、影ながら蒼井ヴェルをサポートしていた。先の爆発を見て、私のような者でも何かの役に立つんじゃないかと思ってね。ところで、蒼井ヴェルはどこに?」
「ヴェルは今、重症で意識が……」
「博士! 博士なら、ヴェルの身体を治せる?」
キオンが言い終わらないうちに、ノアが一歩前に出る。夕霧博士は力強く頷いた。
「なるほど。ここにいる医療従事者では、さすがに彼の身体はお手上げだろう」
ノアが振り返り、懇願するような目でミコトを見る。それに対して、ミコトも小さく頷く。
「道を開けなさい! 彼から必要な物を聞いてすぐに準備しなさい!」
一声で、場が一斉に動き始める。それまで博士を尋問していた者たちは踵を返して持ち場へと戻り、キオンは博士に必要物資を聞いて走り出す。
ミコトは博士の前に出て、顔を近づけて言う。
「ヴェルのところへ案内する。助けて」
「いいのか? 私は怪しいぞ」
「この場で優先するべきは彼の命。それ以外のことは別にいい。そうでしょ?」
夕霧博士は、無表情なアンドロイドの顔のままで笑う。
「君はやはり、私の血筋だ」
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