<case : 49> the only future - 唯一の未来

 地上に出るために、ノアとヴェルは元来た道を急ぐ。


 ヴェルが〈第三の知性〉から受けた傷は深く、ノアが支えながら歩いているが、足取りはお世辞にも速いとは言えない。眼前には先ほどの衝撃で崩れた天井の残骸が行く手を遮り、二人は何度も進路変更を余儀なくされる。


 夕霧博士から共有してもらった施設の地図を頼りに、外への最短距離を急ぐ。


「大丈夫?」

「ああ……」


 そうは言うものの、血を流し過ぎてヴェルの顔は真っ青だ。早く治療を受けさせなければ危険だ。


 階段を昇り、立入禁止区域のマークがついたドアをノアが蹴破る。その瞬間、二人に向かって熱風が吹き込む。階上はすでに火の海と化していた。


「火が!」

「ここにある溶鉱炉から引火したんだろう」


 ヴェルがARスクリーンで地図を共有し、溶鉱炉がある場所にマークを付ける。溶鉱炉は二人が今いる通路の先にあるらしい。


「でも、外に出るにはここを抜けないとダメみたい」

「行こう」


 通路を抜けて辿り着いた溶鉱炉は、先ほどまでと比べ物にならない熱気が舞っていて、マキナスであっても長くいるのは危険だった。数人が通れる程度の幅をした一本の橋がかかっており、その下では溶けた鉄がぐらぐらと波を立てている。


 それでも、二人は躊躇することなく熱気の渦に向かって歩を進めていく。


 真ん中を越えたところで、ヴェルが体勢を崩して片膝をつく。肩を大きく上下させながら、辛そうな表情を浮かべている。


「すまん。君だけでも……」

「何言ってるの! もう少しよ!」


 ノアがヴェルの身体を起こし、再び歩みだそうとした時、天井から影が降りてくる。


「なっ!」


 その影の正体は、顔の半分が怪物のそれと化した例の少年だった。


 少年は、目にもとまらぬ速さでノアを蹴り飛ばすと、ヴェルの服を掴んで立たせ、尋常でない力をもって端に追い詰める。ヴェルの身体は細い鉄柵に支えられているのみで、鉄柵が折れれば後ろの溶鉄に一直線に落ちてしまう。


「お前……」

「ギ……ガ……」


「お前……ショウタか……」


 ヴェルの声に反応したのか、澱んでいた少年の目に、一瞬だけ理性の色が灯る。しかし、依然としてヴェルを掴む腕の力は緩まない。


「そうか……。そうだったのか。お前も……」


 体勢を立て直したノアが銃を取り出そうとジャケットに手を入れるが、あるはずの感触がなく辺りを見回す。


「今の衝撃で銃を……」


 舌打ちしながらすぐに袖口からナイフを抜くが、ヴェルと少年の距離はあまりにも近く、瀕死のヴェルが自分の呼吸に合わせられるのか分からない。


 そうしている間にも、ヴェルは少年に締め上げられていく。


「ショウタ……すまなかった」


 それまで顔に皺を寄せて憎悪の表情を浮かべていた少年は、ヴェルの声を聞くと、何かを思い出したように和らぐのがノアの位置からも見てとれる。


「結局、何もしてやれなかった。お前を最下層に残して、顔を見に行ってもやれず。お前に国家安全保障調整局が近づいたことも知らずに……。くそっ……何をやってるんだ俺は……」


 ヴェルは大きくを息を吐いて、天上を睨む。


「アリシア……結局俺は、誰も救えない……」

「ェル……。ヴェル……ニイちゃ……」


 ショウタが、アイザックと同じ、不快な金属音が合成されたような声でヴェルの名を繰り返す。


「ああ、分かってる。安心しろ、俺が一緒に死んでやる」

「な、何言ってるの! ヴェル!」


 ノアがヴェルに向かって叫ぶ。


「ノア、君は行け! もう時間がない!」

「あなたを残して行けるわけないじゃない!」


「そうですよ、先輩!」


 ノアとは逆方向から声がする。振り向くと、橋の向こうでナタリが銃を構えて立っていた。


「冴継! 何しに来た」

「お二人の脱出の援護に来ました! 早くこっちへ!」


 ヴェルを抑えつけるショウタの腕にさらに力が籠る。腰のあたりで支えている鉄柵が、軋んだような嫌な音を立てて、後方へ少しずつ曲がり始める。


「お前はノアと一緒に脱出しろ!」

「ダメです! 先輩も一緒に……」


「もういいんだ、俺は──」

「闇ばかり見ないで!」


 目に涙を浮かべたナタリの渾身の叫びが、ヴェルの全身に響く。


「先輩は……真面目過ぎです。こんな仕事ですもん、救えない命はどうやったって出てしまう。確かに、アリシアさんを始め、大切な人を失った先輩の気持ちは私にはわかりません……。でも、先輩が救ってきた命だってたくさんあります。私も、その救われた一人です。どうか、闇ばかり見つめないで、こっちも見てください。どう頑張っても私は、アリシアさんと同じ光にはなりませんが、それでも、それでもあなたを照らす光のひとつになりたいです。だから……」


 ナタリは流れる大粒の涙を拭って、ヴェルに向かって微笑む。


「何より、彼、ショウタくんみたいな子をもう二度と出さないために、これからも先輩の力が必要です」

「彼女の言う通りよ、ヴェル。それに……」


 ノアが一歩ずつ、ヴェルの方に向かって歩を進める。


「その子の方が、もう限界みたい……」


 言われてショウタの方に目を向けると、ヴェルのジャケットを掴んでいるショウタの腕が、小刻みに震えている。


 そして、次の瞬間、腕は灰のような色に変色して、砂のように崩れ落ちる。


「ショウタ!」

「子供の身体では、長く〈カオティック・コード〉の負荷に耐えられない……限界が来たのね……」


 腕を失い、崩れ落ちそうになるショウタの身体を、ヴェルが抱き抱える。


「ショウタ! しっかりしろ!」

「ヴェル……兄ちゃん……」


 ショウタの目に理性の光が宿る。身体とともに〈カオティック・コード〉も崩壊しているせいか。


「ごめん、ヴェル兄ちゃん。僕……」

「お前のせいじゃない。俺が悪いんだ」


「兄ちゃんのせいじゃないよ……。兄ちゃんは、残党街で暮らす僕たちを、見捨てなかった……」


 腕に続いて、足も灰のようになって崩れ落ちていく。ショウタ自身、怯えている様子もなく、目元の表情は穏やかに見える。


「僕はダメだったけど……。兄ちゃん、僕みたいな子は、他にもたくさんいる。どうか……」

「分かった。それ以上言わなくていい」


「約束するわ」


 ヴェルの隣にやってきたノアが、ショウタの目を見て答える。


「どれだけの時間がかかるか分からないけど、最下層の子供たちが、幸せになれる社会を作る」


 ノアの言葉を聞くと、ショウタの残された目から、すっと涙が流れる。ヴェルが握っていたもう一方の手も崩れ落ち、残された胸部から上の肌にも亀裂が入っていく。


「ああ……。ずっと苦しい夢を見ていたみたい……カホ……」

「大丈夫だ。カホは俺たちに任せろ」


「兄ちゃん、ありがとう……」


 ほどなくして、ショウタはヴェルの腕の中で灰となって崩れていった。


「ヴェル……」

「ああ……行こう」


 再びノアに支えられて立ち上がり、橋の向こう側へ走る。


「冴継、心配かけたな」

「いいえ! 行きましょう!」


 溶鉱炉を抜けて、三人は外への最短距離を急ぐ。揺れがさらに激しくなり、轟音が響いて、建物が崩壊し始める。


 ノアも、ヴェルも、失ったものの大きさを噛みしめ、それでも生きて前に進まなければならないということを知る。


 それが、生きれなかった者を連れていける、唯一の未来だから。

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