<case : 45> maze - 救い

「……ええ。では、本部機能が復旧次第、最速で部隊をこちらによこして。頼むわね」


 篠塚重工の施設から少し離れた場所にある、中層郊外の一軒家。ここは、ファントムがドーム各層にいくつか所有している隠れ家のひとつだった。


 平時から、情報収集に必要な環境はすべて整っており、ミコトは部屋に設置された複数のモニタを眺めている。これまでに収集したデータが展開されており、仁科、いや篠塚宗次郎を捕らえるべく手を回していく。


 通話を切ったミコトのもとに、キオンが駆けてくる。


「報告いたします。本部を占拠していた国家安全保障調整局は、警察の機動隊が踏み入ると同時に全員投降しました。一部の者は、薬物で操られていた可能性があるとのことです」


 ミコトは頷く。


「報道は?」

「はい。国家安全保障調整局とテンペストの繋がりを各報道関係にリーク完了。早ければ数時間後には速報が流れるはずです」


「上々です。……ナタリ!」


 デスクでキオンと同じく情報をまとめていたナタリが、振り返ってミコトを見る。


「長官! こちらもせんぱ……あっ、蒼井捜査官からいただいた資料を基に、失踪中の各要人の情報を各所に連携完了です」


 ナタリの報告を聞くと、ミコトは大きく息を吐いて、ソファに座り込む。


「こっちはこれで大丈夫ね。あとはできる範囲で、ヴェルをサポートするわよ!」

「はい!」


////


 施設の入り組んだ通路をひた走っていると、デバイスが鳴る。


「蒼井ヴェル」

「あんたは……」


 ARスクリーンに、相手の情報を投影する。真っ白な顔のアンドロイド、夕霧博士が感情の読めない表情で話を続ける。


「ノアは一緒じゃないのか? コールしても繋がらないんだ」

「今は別行動だ。後ほど合流するつもりなんだが……俺はどうやら迷ったらしい」


 ミコトたちと別れて、かれこれ十分以上は走っているものの最深部に至る気配はなく、似たような背景の入り組んだ通路が、ヴェルの行く手を惑わせていた。


「ふっ、コールして正解だったな。実は二百年前、私も同じ経験をしていてね」


 耳元で、データの受信音が鳴る。夕霧博士から受領したデータを展開すると、画面にヴェルが今いる施設の見取り図が表示される。


「これは、どうやって?」

「放棄された衛星をハッキングした。だが、篠塚が広範囲にジャミングを放っているせいで、お前たちの位置までは分からない。この図面から、自分の場所が分かるか?」


「……この溶鉱炉はさっき通ったな。と、すると、今は多分この辺りだと思う」

「篠塚は必ず、立入禁止区域のどこかに自身の研究室を設ける。そこから一番近い入口はここだ」


 画面にマーカーが点滅する。


「礼を言う」

「なに……、私のやり残した仕事でもある。私も後ほど、そちらに向かうよ」


 通話が終了する。ヴェルは改めて図面を頼りに、マーカーが指し示す立入禁止区域の入口に向かう。


 警戒マークがついたドアには認証がかかっていたが、施錠端末を繋いでハッキングでこじ開け、蹴破って進む。今さら、誰に見つかろうが関係ない。


 立入禁止区域の中は暗い廊下が続いており、ヴェルは図面の中で、一番奥にある空間を目指して走った。


 最後の角を曲がると、電灯が点いている。突き当たりには篠塚サイバネティクスのロゴではなく『六』の文字がプリントされた扉が現れる。


「蒼井ヴェル君」


 廊下全体に響く男の声。


「入ってきたまえ、話をしよう」


 突き当たりの『六』の扉が開いていく。念のために銃を抜いて、ゆっくりと近づく。足を踏み入れると、暗い部屋の奥、光るモニタを背景に白衣姿の男。長官の話にあった壮年の男が立っている。


「篠塚宗次郎か」

「ああ、いかにも私が篠塚だ。この時代では仁科と名乗っていたこともあるが……。よく来たね。ファントムの蒼井ヴェル特別捜査官、君のことは志藤長官から聞いている。ここで観ていたが大したものだよ。彼女たちを救うだけでなく、単独でここまでやってきた君に敬意を表したい。私は、君のような能力のある人間は嫌いじゃない」


「大人しく捕まるなら、俺も少しは見直してやるぞ」


 ヴェルが篠塚に銃口を向ける。その様子を見て、篠塚は口元に笑みを浮かべて目を伏せる。


「変革というのは……いつも小さな部屋から始まるものだ」


 篠塚は低い声で言った。


「あの時もそうだった。私は、胚の入っているいくつもの試験管の中のひとつに細工をした。米国から秘密裏に入手した、地球外生命体とされる生物の遺伝子を混成させたのだ。遺伝子配列が違うのだから上手くいかないだろう、そう思っていたが奇跡が起きた」

「アルファ……。いや、アイザックのことだな」


「名前など、どうでも良い。その人工生命体は、人格データ内に解読可能なコードとしてPSIを持って生まれたのだ。この世紀の大発見を活用するため、私が人類への転用を訴えると、彼らはどうしたと思うね? 計画を凍結し、私に国家反逆罪の汚名を着せて、歴史の闇に葬ろうとしたのだよ」

「それだけ危険な力だったってことだろ」


「危険かどうかを決めるのは人間だ、力や発見にその責はない。私が〈カオティック・コード〉を利用すれば、マキナスが不要となる社会を作り上げることができる。君ならば私の思想に賛同してくれるのではないかね。救いがないことを分かっていながら、弱者を守り続けてきた君なら」

「賛同するわけないだろ」


 ヴェルは篠塚の目を見て、きっぱりと言った。


「救いも、自由も、自分自身の選択でつかみ取るものだ」


 そのための道は、志藤長官をはじめ多くの人が作ろうとしている。


「お前のそれは救いじゃない。どれだけ御託を並べても、自分の理想を押し付けているだけに過ぎない。話は終わりだ、篠塚宗次郎。俺はお前を拘束する」

「そうか、残念だ。なら君にも、息子と同じ道を歩んでもらう他ない」


 ヴェルは視線を泳がせる。自分よりも先に、アイザックは彼と会っているはず。


「アイザックは、どこだ」


 沈黙する篠塚の視線の先。ヴェルが目を向けた部屋の隅は、普通ならほとんど闇に包まれて何も見えないはずだった。しかし、ヴェルの赤い左目は捉える。その闇の奥に横たわる青年の姿を。


「まさか……貴様、自分の息子を……」


 部屋の隅に倒れているのは紛れもなくアイザックだった。見た限り呼吸もすでになく、事切れているように見える。


「感傷的になるな。あれは元々〈カオティック・コード〉の入れ物にすぎん。それに、当然だが血のつながりもない」

「なんて奴だ……」


 篠塚に銃を向けながら、ヴェルはもう一度アイザックを見る。彼がここに倒れているということは、彼を追ったノアはどこにいる?


「その表情、夕霧が造った特殊体のことを考えているな」


 笑みを浮かべながら篠塚がヴェルに問いかける。


「ノアをどうした?」

「あの少女なら、息子が処理した」


 その瞬間、ヴェルは引き金を引く。その動作とほぼ時を同じくして、二人の間、左右に等間隔に並んでいる溶液に満たされたガラスのケースが勢いよく弾け、中の人間が飛び出してきた。


 弾丸が一人の頭部に命中し、男が勢いよく倒れる。ヴェルと篠塚は、互いにけん制し合うように睨み合う。二人の間にはケースから出た三人の男が立っている。


 髪と眉を剃られているものの、その三人の男はいずれもドーム中央政府の大物で、篠塚がテンペストに命じて拉致した男たちだった。顔を上げた男たちは皆、瞳を金色に輝かせている。


「コイツらは……」

「彼らこそ、私が創り上げたマキナスに代わる人工知性体〈第三の知性〉だ。私は根っからの科学者だ。表に出るのは好きじゃない。彼らを立ててドームを裏から支配し、未完成のマキナスを排除することにするよ」


「させると思うか」

「一人やられてしまったが、彼らは埋め込まれた〈カオティック・コード〉によって、私の意思を通してPSIを使役する。蒼井ヴェル、残念だが君の弾はもうここまで届くまい」


 そう言って笑う篠塚めがけて、ヴェルは再び引き金を引く。しかし、射出された弾丸は〈第三の知性〉の目の前で急に失速し、あろうことか、そのまま空中で停止する。


「何だと……」


 これがアイザックのPSI。実際に目の当たりにすると尋常ではないその力に、ヴェルは目を見開く。


 さらに、後ろで笑っている篠塚がこれを命令しているというのであれば、権力者を意のままに操り、ドームを自由に支配できることになる。


 〈第三の知性〉たちの瞳の輝きが増し、ゆっくり助走をつけながらヴェルに向かって走り出す。ヴェルは再び先頭を走る男に銃を撃つ、しかし弾道は不自然なほど反れて男の頭上を掠めていく。


 獲物をナイフに取り換えたヴェルを〈第三の知性〉が囲む。攻撃に転じようとして突如、身体の異変に気づいて体勢を崩し、地面に膝をつく。


「かはっ……」


 〈第三の知性〉の攻撃はすでに始まっていた。それでも、なおヴェルは震える手を律して篠塚に銃口を向け、それを見た篠塚は感嘆の声を挙げる。


「心臓に圧力をかけたというのに、まだ意識を保っているとは大したものだ……」


 篠塚の意識に呼応した〈第三の知性〉が、それぞれヴェルの身体に一気に踏み込んで、手刀で身体を貫いた。前後から身体を貫かれたヴェルは、口から大量の血を吐いてその場に崩れ落ちる。


「……死んだか」


 篠塚は倒れたヴェルに背を向けて、壁に並んだモニタを確認し、傍にあるキーボードを叩く。


「残りの〈第三の知性〉を覚醒させ……」


 背後から発砲音。蒼く光る閃光が、一瞬のうちに篠塚の右頬を掠めて抜け、モニタのひとつを貫通して背後の筐体に着弾する。


「ぐおっ!」


 驚いて振り返った篠塚の目に飛び込んできたのは、地面に這いつくばりながら、自分に銃を向けるヴェルの姿だった。


 ほどなくしてヴェルは意識を失ったが、あれほどの傷を負ってなお一瞬の油断を突いてきたヴェルに、篠塚は内心震えあがった。


「……チッ」


 この蒼井ヴェルがここまで来たということは、袁はやられたか。時間をかけすぎると、救助された志藤長官が息を吹き返してくる可能性がある。それまでに脱出しなければ……。


 いや、待て。何を恐れる必要がある。


 篠塚は無意識に笑みを作る。あの悪名高いファントムの掃除屋をも〈第三の知性〉は圧倒した。調整局に疑惑をかけられた志藤長官が軍を動かすまでには時間がかかる、手を伸ばせたとして、警察と自組織の精鋭部隊がいい所だろう。


 それに、私には人格転移もある。危うくなったら記憶端末内に人格を移し、静かに次の機会を待てばいいのだ。


 落ち着いて〈第三の知性〉を起動させればよい。何も恐れることはない。


 世界は、私の思い通りに動いている。

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