<case : 46> beating - 鼓動
薄目を開けながら、意識を失っていたことを自覚すると、ノアはハッとした表情で起き上がる。
「ここは……。ここは、篠塚サイバネティクスの工場。私は、ヴェルと別れてアイザックを……」
私はアイザックと戦っていて、途中、突然息が苦しくなって、意識が朦朧として……あれが〈カオティック・コード〉の力……。
辺りを見回すが、当然ながらアイザックの姿はすでにない。後を追わなければ。
そう思った時、遠くで乾いた破裂音が聞こえてくる。ノアの耳でなければ、聞き逃すであろう小さな音。
間違いない、あれはヴェルの銃だ。
ノアは音の発生源を目指して全速で駆ける。警戒マークがついたドアを抜け、階段を跳ぶ。さらに走ると、視線の先に大きな部屋がある。銃声は、あの奥から。照明が落とされているらしく、中はよく見えない。銃を構えて正面から部屋に押し入る。
「ヴェル! いるの!」
真っ暗な部屋に飛び込んだノアの眼前で、ヴェルが血を流して倒れていた。
「ヴェル!」
すぐに駆け寄り、身体を起こしてヴェルの状態を確認する。呼んでも返事はなく、少なくとも三ヶ所、何かに貫かれたような深手の傷を負っている。既に冷たくなっている胸に耳を当てると、今にも消え入りそうな鼓動が、かすかに聞こえてくる。
出血多量だ、早く治療しないと死んでしまう。
篠塚の姿はないが、少し前までここにいたのだろう、突き当たりに並んだモニタやマシンは起動している。前後にはガラス張りのケースが並んでいたが、どれもガラスが割れて辺りに飛び散り、床は水浸しになっている。
何かが床に触れる音。振り返ると、ノアが入ってきた入口に裸の男が立っていた。男は瞳は金色に光り、何を言うでもなく、じっとノアを見つめている。
「な、何……」
ノアが立ち上がると、今度はガラスケースの陰から、同じように金色の瞳をした男たちが、一人、また一人と姿を現した。
「一体どこから……」
暗がりの中に隠れていたというのか? 人間ならどれだけ隠れようとしても、この距離であれば気配を察知できるはずなのに、この人間たちからはそれを感じない。
まるで抜け殻のような……。
「まさか、これが……」
「そう〈第三の知性〉だ」
最初に現れた入口の男の後ろから、篠塚宗次郎が顔を覗かせる。
「やはり生きていたか、夕霧の子よ。しかし、それももう終わりだ。〈第三の知性〉が目覚めた今、君にできることはもう何もない」
「コイツらが〈第三の知性〉!」
篠塚の前にいる一体に向けて、ノアは銃口を向けて引き金を引く。クメールルージュで怪物の硬質化した皮膚をも貫通させた、夕霧博士特製の加速装置付きの銃。そこから放たれた弾丸ならば、どんな相手だろうが関係ない、当たれば終わりだ。
「ど、どうして?」
ノアの意に反して、銃の引き金は何かに詰まったように固く引くことができない。どうして急に? その違和感の正体……〈第三の知性〉の後ろで篠塚が笑みを浮かべている。
篠塚は、姿を現した時からノアの銃が誤作動を起こすよう〈第三の知性〉を通して干渉していた。その表情から察して、すぐに銃を捨ててナイフに持ち替えようとするノアに〈第三の知性〉が三方から詰め寄る。
ノアが前から向かってきた一体を蹴り飛ばすと、別の個体が後ろから羽交い締めにするように覆い被さる。藻掻いている間に他の個体もすぐに復帰して、手足を掴まれ拘束される。
その締め付ける力は、感情のない瞳からは想像がつかないほど強く、ノアの膂力を持ってしても外せない。
「くっ、離しなさい!」
「これが、本当の力。これが、本物の人工生命体だ。お前たち、マキナスのようなできそこないではない。調和のとれた完璧な生命体だ」
勝ち誇る表情で、篠塚が言った。
「何を……あなただって、マキナスの開発者の一人でしょう。こんなやり方をしなくたって、実力で認められばよかったんじゃないの?」
「ふっ、その口調、夕霧にそっくりだな……」
ノアへの締め付けがさらにきつくなり、首を掴まれたまま空中に持ち上げられていく。
「くっ……かはっ……」
「夕霧の造った〈監視者〉も、この程度か。やはりマキナスなど不要だ。私が造り替えてやる、全てのマキナスを〈第三の知性〉へと!」
ノアは残る力を振り絞って、自分の首を絞める〈第三の知性〉の腕を掴む。
「さ……せない!」
「おお、そうだ」
篠塚は、何かを思いついたような顔で、足元に倒れているヴェルに目を向ける。
「知っているかね。さっき見たが、彼は人間でありながら、身体のほとんどがマキナスの素体だ。どうだ、この男の身体に、私が持つ純正の〈カオティック・コード〉を移植してみるというのは? 興味があるだろう?」
篠塚は白衣の中に手を入れて『六』と書かれた白いケースを取り出す。ケースを開くと、中には〈カオティック・コード〉と思われる赤い液体が入った超小型の圧縮注射器が並んでいる。
「設備さえあれば、量産はいつでも開始できる」
注射器のひとつを手に取り、屈んでヴェルの手を取る。
「や、めて!」
ノアが暴れれば暴れるほど〈第三の知性〉の締め付けはキツく身体に食い込む。
「ヴェル! 目を、覚まして……!」
「瀕死ではあるが、まだ完全に死んではいない。死の寸前、人格というのはどこで途絶え、消滅するのか……。これを打った後、この男が〈第三の知性〉となれば、人格はすでに消滅、変異したら、まだ人間としての自我が存在しているということになるか……。いや、興味深いぞ」
「くそっ! 離せっ!」
「痛感したか? 自分自身の無力さを。個としての戦闘力はお前たち〈監視者〉が上でも、個体同士の思考がリンクする〈第三の知性〉の敵ではない。恨むなら、貴様のような中途半端な存在を造った夕霧を恨め。そして安心しろ、同じ試験管から生まれた貴様の兄も、先にあの世で待っている」
篠塚のその言葉に、ノアは瞬きも忘れて目を見開く。
「何だ、夕霧から何も聞かされていないのか。お前たちは、同じ実験で造られた特殊体だ」
ノアは自身の記憶を振り返る。ここに至る道中、アイザックと戦った。その時、彼はノアに一切抵抗しようとしなかった。同じ力を持っているなら、最初から格闘に持ち込んだ方が体格差で有利なはずなのに。
あえて遠まわしに意識を奪うようなやり方が腑に落ちなかったが、これで腹落ちする。彼は知っていたのだ、ノアが自分の妹だということを。
そして、ノアだけが真実を知らず、アイザックを……。
「そんな……」
篠塚はヴェルの腕を取ってジャケットをまくる。
「ふん、私にとっては特殊体など、通過点のひとつに過ぎんのだ。今や息子にも、君にも興味はない。今、興味があるのはこの男がどうなるかだ。そうだ、もしこの男が〈第三の知性〉として目覚めたら、君の処理は任せようじゃないか。それが君の、いや夕霧派の完全敗北となる」
〈第三の知性〉を圧倒できない悔しさと、アイザックのこと、そして、ヴェルを失いたくない気持ちが心の中でごちゃまぜになる。あと一歩のところで篠塚を捕まえられない自身の不甲斐なさも後押しして、ノアの目には自然と涙が浮かぶ。
「やめて……」
首を締め付けられながらも、掠れた声を絞り出して篠塚に告げる。しかし、篠塚はもうノアを見ておらず、その視線をヴェルに向けながら〈カオティック・コード〉入りの圧縮注射器を構える。
「やめて!」
その時、ノアの叫びに呼応するように、鼓動が鳴った。
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