<case : 44> relics - 新たな時代

「父さん……もうやめにしませんか」


 赤い瞳で篠塚宗次郎を見据えながら、アイザックは絞り出すような声で言った。


「息子よ、突然何を言い出す?」

「確かに、このドームに広がる格差の渦は、二百年経った今も留まるところを知りません。それを是正するのは真っ当な行いだと思います。でも、父さん、あなた一人の意思だけで、大勢の人の運命を曲げてしまうやり方は間違っている」


 そう言って、アイザックは嘆願する。他ならぬ自分の言葉であればと、続く言葉にも熱を込める。


「〈第三の知性〉の完成、それ自体は素晴らしいことです。まさに父さんが創り上げた、完璧な人工生命体でしょう。その成果で、満足ではないですか?」

「違う。その成果を、どう使うかに意義があるのだ」


「しかし……」

「ここまできて、この先の協力を拒むか……。なぜだ? 〈第三の知性〉が完成し、マキナスが必要なくなった暁には、私は約束どおり、お前を人間にしてやろうと言うのに」


「このドームで目覚めて、一人の人間に会いました。彼女の生き方に触れて、思ったのです。彼女は、数度会っただけの僕のために、研究に連れていかれた僕を自力で探しだし、最下層の先鋭街まで一人で会いに来ました。そして、僕のことを受け入れてくれた。僕を、一人の個として認めてくれたんです。そんな人は、この二百年で一人もいませんでした」

「……」


 篠塚宗次郎は何も言わずに、表情を変えることなくアイザックを見続けている。


「父さん、今一度考えなおしていただけないでしょうか。僕は、彼女のような人々が生きる世界を、我々の一存だけで変えたくないのです。このような方法でなくても──」

「アイザック!」


 後ろからの声にアイザックが振り返る。緋色の髪の少女が、銃を構えて立っていた。自分と似た暗い赤色の瞳から、明確な敵意が向けられている。


「君は……?」

「彼女は〈監視者〉だ」


 篠塚宗次郎が言った。


「ようこそ、夕霧の忘れ形見。まさか、そちらから来てくれるとは。おかげで、全てが終わった後にこちらから追う手間が省けたよ」

「ふざけないで。〈カオティック・コード〉はそのケースの中ね? 押収して、あなた達を〈ファントム〉に引き渡す。全てを公にして、それであなたの計画もおしまいよ」


「その強気な物言い。かつての夕霧を彷彿とさせるよ……」


 引きつった笑みを浮かべながら、篠塚は一歩ずつアイザックの方に近づいていく。


「〈監視者〉……マキナスの創生を見越して、来る人工生命犯罪の爆発的増加を見越した夕霧が発案し、中心となって推進した、人工生命体創造計画の中でもごく限られた人間だけが知る極秘プロジェクト。人工生命体の倫理規定に縛られることがなく、人間を傷つけることもできれば、寿命という概念すらない……。だが当時、特殊体の製造承諾を得て勢いづく夕霧派に対抗するために、私が造ったのがこの子だ」


 そう言って、篠塚はアイザックの隣までいくと、そっとその肩に手を置く。


「息子よ。お前の言いたいことはよく分かった……。私が間違っていたのかもしれんな」


 思いがけない篠塚の言葉に、アイザックはノアから視線を外して、驚いた表情で篠塚を見る。篠塚はアイザックの耳元に顔を寄せて、穏やかな声で囁く。


「だが、私もここで彼女に殺されるわけにはいかん……。私が死ねば、部下の袁が自ずと計画を引き継ぐことになっている。そうなれば、お前の望んだ世界は一生やってこない……分かるな」

「……どうすれば?」


「彼女を止めろ。そうすれば、計画は考え直してもよい」

「しかし、あんな幼い子を……」


「見た目で判断するな。あれは夕霧が生んだ殺戮機械だ。お前がやらねば、あれは何の感傷も抱かずに私たちの首をはねる」


 そう言って、篠塚は〈カオティック・コード〉が入っているアタッシュケースを、アイザックの手からもらい受ける。


「これは私が預かる。お前は彼女を排除して、地下に来い」


 ノアが篠塚に銃を向ける。


「私が素直に行かせるとでも?」

「撃ちたければ、撃ちたまえ」


 篠塚はくるりと背中を見せると、廊下の奥に歩いていく。それを見たノアが、篠塚の足を狙って引き金を引く。それとほぼ同時に、アイザックが弾道上に入る。


 アイザックの瞳が光ると、射出された弾は彼の眼前で停止して、ぽとりと床に落ちて転がる。


「なっ……」


 聞いていたアイザックの力を目の当たりにして、ノアは口を結ぶ。銃が通じないなら真っ向勝負しかない。


「やめるんだ。こんなことしても、誰も幸せにならない」

「何を! あなたの〈カオティック・コード〉が、どれだけの犠牲を出したと思ってるの!」


「父に従わざるを得なかったんだ。僕の素体は──」

「うるさい!」


 ノアは、袖口からナイフを抜き出して、アイザックに向かって投擲する。アイザックは弾丸と同じ要領で、自身の力を使いそれを止める。アイザックがナイフに対処するその一瞬の間に、ノアは距離を詰めてアイザックを蹴り飛ばす。


 その華奢な身体からは考えられない力で、蹴られたアイザックは衝撃を殺しきれずに数メートル後ろまで地面を擦りながら後退する。


「やめてくれ、君と戦いたくはない」

「私は戦う、そして、篠塚宗次郎の計画を阻止してみせる」


「くそ……」


 ノアは再びナイフを握り、アイザックに切りかかる。アイザックはギリギリのところでノアの手刀を躱すも、衣服は切られ、血が滲んでいく。


 軽くあしらっているわけではなく、力を使って軌道を逸らしていても、ノアの精度は戦いの中で高まりつつある。このまま続けば、やがて致命傷をもらって終わりだ。


「やむを得ない……」


 アイザックの瞳が赤く光り、それに合わせてノアの動きが一瞬鈍る。


 心臓を一時的に締め付け、常人なら一気に動けなくなりのたうち回るはずだった。しかし、アイザックの予想に反してノアは強く、PSIの影響を跳ねのけながらナイフを突き出し、身体を庇ったアイザックの腕に突き立てる。


「ぐ……!」


 右腕に走る激痛に歯を食いしばりながら、アイザックはやむを得ず、さらにPSIの感度を上げる。自身の負荷もきつくなったところで、ようやくノアは胸を搔きむしるように抑えて苦しみ始めた。


「あ……く……」


 胸を抑えたまま、ノアは地面に膝をつく。やがて意識を失い、前のめりに倒れこむ。ノアが倒れたのを確認すると、肩で息をしながらアイザックもその場に座り込む。右腕に突き刺さったナイフの柄を左手で掴むと、意を決して一気に引き抜く。


 鮮血が辺りに弧を描き、激痛に呻く。


 ノアの傍までいくと、片腕で器用に持ち上げて、廊下の壁を背に寝かせて様子を見る。


「死んではいない……十分ほどで目覚めるか……」


 彼女が目覚めるまでに、父に考え方を改めてもらう。そして、父はどこか遠くへ逃がす。いびつなところはあれど、自分を育ててくれた恩はある、捕まってほしくはない。記憶媒体に再び人格を移させても構わない。


 そして、自分が身代わりとなってこの少女に捕まり、一連の事件の犯人として公表してもらう。これでいい。これが、死んでいった人々に対して、自分ができるせめてもの償いだ。


 立ち上がろうとしたアイザックを、強烈な眩暈が襲う。


 身体がふらつき、目の焦点が定まらず、鉄槌で殴られたような痛みに頭を抱えてその場にうずくまる。原因は分かっている。


 素体の拒絶反応に加えて、PSIを使役し過ぎたことによる反動が一気に襲ってきたのだ。すでに投薬も絶っているため、これ以上発作が起きると、どこまで身体がもつか分からない……。


 急がなければ。アイザックは気を取り直して、奥にある篠塚の研究棟へ向かって歩いていく。


 アイザックは壁に手を這わせ、足を引きずりながら歩いた。幸運にも、途中で誰かと会うことはなかった。目立つことを避けるため、父も最低限の人員しか連れてきていないのだろう。


 角を曲がり、最後の廊下に出る。突き当たりには篠塚サイバネティクスのロゴではなく、第六科の象徴である『六』の文字がプリントされた扉が現れる。


 扉を抜けると、そこは篠塚宗次郎の秘密研究施設。部屋は薄暗く、上部に吊るされて整然と並ぶモニタの灯りによって、何とか先まで見通すことができる。


 左右には、溶液に満たされたガラスのケースが並んでいて、その中に人間が収められていた。中にいるのは、父が拉致した中央政府の要人たち。皆、虚ろな目を開いたまま溶液の中を漂っている。


「終わったか?」


 奥でモニタを見ていた篠塚宗次郎が、振り返って言った。


 白衣を羽織り、見た目こそ違うものの、周りに漂う雰囲気がこの場所だけ二百年前にタイムスリップさせたかのような感覚を、アイザックに植え付ける。


 ここは、彼にとってまさに二百年前に凍結された実験の続きを行う場所なのだ。


「〈監視者〉の息の根は、止めたのかと聞いている」


 篠塚は低い声で言った。


「父さん、僕は……」


 アイザックがそう言うと同時に、上の暗闇から、影が飛び降りてくる。即座に反応して受け身を取ろうとしたが、素体の拒絶反応のせいでふらつき、思うように身体が動かない。


 降りてきたのは少年、顔の半分が〈カオティック・コード〉の影響で変異してしまった例の少年だった。


 少年は傷ついていない方のアイザックの腕を強引に掴むと、肌に圧縮注射器を押し当てて、即座にトリガーを引く。アイザックは、少年から飛びのく。


「な、何をした!」

「命令……」


 少年は、どこか遠くを見ながら呟くように言う。


 突如、アイザックの心臓が大きく脈打つ。PSIを使役しているわけでもないのに、身体中の負荷が増していき、瞳はらんらんと赤く光り輝く。目が回り、息が上がる。動悸はさらに激しくなり、立っていられず、片膝をつく。


 一体何をされたんだ。


「それは濃縮した〈カオティック・コード〉に、私が調合した細胞活性剤をブレンドした特注品だ」


 篠塚が突き放すように言った。


「計画の邪魔は誰にもさせん。それは息子よ、お前も例外ではない」


 篠塚は顔を歪めて、アイザックを睨みつける。


「お前は迷い、女を生かしたのをここで確認している。人間の思考に毒されたお前に用はない」

「そ、そんな……ぐっ、さっきは、考え直すと……」


「あれは嘘だ。そもそも、なぜ私が、マキナスの言うことを聞かねばならんのだ?」


 全身を刃物で切り刻まれるような痛みが走って、アイザックは這いつくばりながら喘ぐ。致死量を遥かに上回る細胞活性剤が巡っているのか、アイザックは苦しみの叫びをあげながらのたうち回る。


「あああああああっ!」

「どの道〈第三の知性〉が普及すれば……お前は過去の遺物だ。マキナスの最大の欠陥は、人間と同じように、個体にそれぞれ独立した人格と意思を持ってしまったことだ。そのせいで、人間と同じように比較し、優劣をつけ、差を作り、そして迷いを生じさせた。だが、宿主の人格とリンクする〈第三の知性〉は違う。彼らは思考も、比較も、迷いもない。まさに究極の人工生命体だ。お前はその礎となるために〈カオティック・コード〉を持って生まれるよう私が設計した。これさえ手に入れば、もう、誰も必要ないのだ……」


 ほどなくして、アイザックの心臓が停止する。何度か痙攣した後、ついに身体は動かなくなり、赤く輝いていた瞳も、色を失っていく。


「レイ……カ……」


 鉄骨が軋む機械音だけが、虚しく部屋に鳴り響く。


「その辺に下げておけ。後ほど処理する」


 少年が、動かなくなったアイザックの腕を掴んで引きずり、部屋の端に移動させる。


「さて……あまり時間はない」


 篠塚は再びモニタに目を向けると、タッチパネルを操作して、アイザックから受け取った完全な〈カオティック・コード〉を要人にインストールする準備を進める。


「さあ、もう少しでやってくるぞ。私が創る、新たな時代が……」

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