<case : 42> dialogue - 対話

 中層の第二湾岸倉庫帯。そこにある篠塚サイバネティクスの施設に、ミコトとキオンが連行されていく。


 その様子を、少し離れた建物の窓から通話を終えたナタリが見ていた。まさか先輩が自分を褒めるとは思わず、未だに心臓が高鳴っている。


「あれが、テンペスト……いや、国家安全保障調整局……」


 工業施設の前に、小銃を構えた男が四人。それとは別に、隊長格の例の大男と、その隣には背広を着た壮年の男。そして、その傍に子供……。


「子供? 何で……」


 子供は、深くフードを被っていて、ナタリの位置からは顔がよく見えない。ミコトとキオンを囲んで、工業施設の中へ入っていく。


 恐らく、先輩との話にあった篠塚宗次郎というのはあの壮年の男だろう。


 緊急事態宣言の影響で、工業地帯には誰もいない。もし事件を起こすなら、今が絶好の状況だ。


 先輩からの指示は待機だった。自分が負傷している間、例の少女ノアと行動を共にしていた先輩は現在、最下層のさらに下の地底にいるという。どんなに早くてもここまで一時間はかかるだろう。


 その間に、ミコトやキオンに危害が及んだら。二人も、救助を信じて敵の行動を引き延ばそうとはするだろうが、それもいつまで保つかは分からない。


 やはり、最低でも工業施設の中に侵入して、二人が見える位置にいる方がいい……。


 ナタリが判断にあぐねていると、遠くから車の音が聞こえてくる。


 工場の前に停まった年代物の車から姿を現したのは、赤い瞳の青年。暗く、赤い瞳。青年が周りを見回しているので、ナタリは壁際に寄って気配を殺す。


 すると突如、青年が地面に膝を着く。服の上から胸を掴んで、苦しそうな表情で喘いでいる。病気だろうか、病気なら助けるべきだが、今出て行ってテンペストの連中に見つかるわけにはいかない。


 ナタリが迷っていると、しばらくして青年は発作が治まったのか、再び立ち上がる。コートを払って、地面に投げ出してしまったアタッシュケースを拾い上げると、工業施設に入っていく。


「あの青年、もしかして……」


 直接アイザックを見ていないナタリだが、彼がアイザックだった時のことを考える。やはり、先輩たちを待っている時間はない。


 命令に背くことになるが、行くべきだ。後悔はしたくない。


////


 布袋が外され、突然の光に目を細める。


 しばらくすると、目が慣れてきて辺りを見回す。低い天井、四方に無数の配管が走る部屋。目の前には一面のガラス、その向こうに銃を持った国家安全保障調整局の職員が二人立っている。部屋の様子から、中層の工業地帯のどこかだろう。


 布袋を乱暴に外した大男と入れ違いに、仁科、いや、篠塚宗次郎が部屋に入ってくる。


「残念です。あなたが私の正体にさえ気づかなければ」

「……ここで、何をするつもり?」


「創り上げる」


 そう言って、篠塚は言葉を切る。


「マキナスは、確かに人工生命の地位を一気に押し上げたが、ここまで普及されるべきではなかった。彼らには致命的な脆弱性がある。アーキテクチャが時間の経過によって劣化することで、やがて人格データにノイズを生む。その結果、定期的なメンテナンスを必要とし、それを受けずにいるとやがて暴走してしまう……」


 篠塚は、目を輝かせて続ける。


「だから、私が創るのだ。マキナスに代わる完璧な人工生命体を。完璧な〈カオティック・コード〉が、それを可能にする」

「無理だ」


 篠塚の言葉を遮るように、キオンが割って入る。


「お前のコードは感情がない。お前が造ろうとしているのは、人工生命体じゃなく、ただの機械だ」

「お前のような若造に何が分かる!」


 篠塚が、思い切りキオンの頬を殴りつける。


「やめて!」


 ミコトが叫ぶ。キオンはそれでも怯まずに篠塚を睨みつける。殴られた衝撃で口の中を切ったらしく、唇の端から血が流れている。


「ふふ。図星じゃないってんなら、その人工生命体がどう完璧なのか、ご高説賜りたいもんだね」

「……私もぜひ伺いたいわね」


 時間を少しでも引き延ばす。キオンに倣ってミコトも続くと、篠塚宗次郎は笑みを浮かべる。


「いいでしょう。私の造る新たな人工生命体は、従来のマキナスの素体を必要としない」


 突拍子のない篠塚の発言に、キオンとミコトは顔を見合わせ、篠塚はさらに笑顔を引きつらせる。


「君たちはやはりそこで止まってしまう。二百年前、私とともに研究していた者たちですらそうだった。だが、私は違う。どうして従来のマキナスの素体が必要ないのか、それは、実在の人間をベースに、人工生命体として造り替えるからだ」

「な、何だと?」


「ところで、志藤長官……。あなたは〈カオティック・コード〉の事件を扱い始めた時、並行して扱っていた事件がありますね?」

「並行して……」


 口に出すと同時、すぐにミコトは答えに行きつく。そして、篠塚の描いた絵が見えてくると、その狂気に驚愕し、息を呑む。


「長官?」

「ま、まさか……政界、財界を代表する中央政府の要人失踪……。あれも、あなたが?」


「ええ。私が部下に攫わせて、この工場の地下に監禁しているんです。私の意思とリンクする記述が埋め込まれた〈カオティック・コード〉を投与して、新しい人工生命体……〈第三の知性〉へと造り替えるためにね」

「何て人なの! 最初から……このドームを支配するつもりだったのね!」


「それは過程に過ぎない。私が求めるのは、あくまでもマキナスに代わる人工生命体の創造だ」

「だが、失踪した要人の数はそこまで多くない……」


 キオンが言った。


「そんな人数を操っても、マキナスの代わりになんて……」

「人間なら、いるところにはたくさんいるんだよ」


 篠塚がそう言うと、キオンの顔がみるみる青ざめていく。


 自分と同じ発想に至ったことを理解して、篠塚宗次郎が笑いだす。けたたましい笑い声が、狭い部屋の中に響き渡る。


「まさか……最下層の人たちを……」

「曲がりなりにも、君は科学者のはしくれだ。私のやろうとしていることが理解できたかね?」


「や、やめろ。そんなこと……」

「そんなこと? これは意外なことを。三次大戦以後、復興の波に乗れなかった社会的弱者たち。今のドームはその構造的欠陥の上に成り立っている。そして、復興を前倒しするために過剰生産された未完成のマキナスたち……。私がやろうとしているのは、ある種の救済でもあるのだ。君たち、現在のドーム居住者が虐げた彼らに対しての!」


「虐げてなんかいないわ!」


 ミコトが声を荒げ、篠塚を睨みつける。


「確かに……彼らが今も苦しい生活を強いられているのは事実よ。でも今は、少しずつ彼らのための居住スペースも確保されて、上層受け入れの整備も進みつつある。誰も、彼らを見放してなんかいない! あなたの話こそ、彼らを自分の実験に都合よく利用するための詭弁に過ぎないわ」

「見解の相違だな」


 篠塚が言うと、部屋に調整局の職員が入ってくる。


「失礼します。アイザック様がお着きになられたようです」

「きたか……。では、後の処理は任せる」


 職員が短く返事をする。篠塚宗次郎は、スーツの皺を伸ばしながら二人の方に顔を向ける。


「私たちをどうする気?」

「残念だが、話はここまでだ。君のような優秀な人間を殺すのは忍びないが、時代の転換期にはいつも犠牲がつきものだ。私の作った薬品なら、苦しまずに死ねるだろう」


「な、待て!」


 そう言うと、篠塚は部屋の外に出ていく。キオンが叫ぶが、ガラスの向こう側には声は届かない。篠塚の姿が完全に見えなくなると、残された二人の職員たちは、モニタを見ながら備えつけられたキーボードを操作した後、二人の方に一瞬顔を向けて、もう一度勢いよくキーを叩いた。


 ゴウン、という部屋全体が軋むような音が鳴り響く。


「長官……」


 呼ばれてミコトがキオンの方に顔を向けると、彼は上を見ている。ミコトが同じ方を見ると、天井の隙間から白いガスが漏れだしているのが見える。


「そんな……」


 その時、ガラスの向こう側で数発の発砲音が響き、国家安全保障調整局の職員が勢いよく倒れた。ミコトとキオンが驚いて顔を向けると、篠塚が出ていった扉の前で銃を構えて立っていたのは、負傷して特別治療を受けているはずのナタリだった。


「長官! 大丈夫ですか!」

「ナタリ! このガスを止めて!」


 ナタリはすぐさま筐体に駆け寄って、モニタを見て状況を確認しながらキーを叩く。


「ガスの噴出を停止……しました!」

「……よし、止まった!」


 天井を見ていたキオンが言った。


「ナタリ、よくやったわ」

「今すぐその拘束を──」


 そう言って、ナタリが移動しようとした時だった、入口から、ヴェルを追った調整局の幹部、劉の双子の弟である袁が唸り声をあげながら飛び込んできた。


 袁は、ナタリが銃を向けるよりも速く、華奢な彼女の身体を丸太のように太い脚で蹴り飛ばす。


 不意を突かれたナタリは、壁の配管に勢いよく背中を打ち付けて床に崩れ落ちる。

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