<case : 40> container - 目的

「ゆ、夕霧博士……なの?」


 自身を夕霧黒百合と名乗るアンドロイドは、大きく頷いた。表情も巧みに変えることができるのか、小さな微笑みを浮かべている。


「こんな形で再会するとは、思わなかったがね」


 そう言って夕霧博士は、天井を見上げる。


「私の肉体は、ひとつ上の部屋で冷凍睡眠に入っていた。ある日、そこに崩落が起きて、落ちてきた岩石が運悪くその部屋を直撃してしまった。即死だったよ。残念だが、夕霧黒百合という人間はすでに死んでいる。私は、その残りカスのようなものだ。眠っている肉体に異変が起きた際に起動するようプログラムされた、彼女の人格持つ人工知能、それが私だ」

「つまり、博士のコピーってことか?」


 ヴェルが言葉を挟む。夕霧博士は、色のないアンドロイドの瞳で不思議そうにヴェルを見つめる。


「バックアップと言ってほしいが、まあ、そう思ってもらっても構わない。君は?」

「彼は、蒼井ヴェル。ファントムの捜査官で、アリシアのパートナーよ」


「おお、アリシア。懐かしい名前だ。でも、待てよ。ノア、君が目覚めているということは……」


 夕霧博士の逡巡に合わせて、ノアは頷く。


「アリシアは殺されたの。〈カオティック・コード〉によって造られた怪物に」

「アリシアが……? それに〈カオティック・コード〉だと?」


 一瞬、驚いた顔をして、夕霧博士は表情を曇らせる。人間のように溜め息をつくような動作をした後、博士は歩いてデスクに向かう。


「君たちが、こんなところまで来た理由が分かったよ。そうか……アイザックが目覚めたか。ならば……そこに、篠塚もいるんだな」

「うん。私たちは、ここならアイザックの居場所が分かるんじゃないかと思って来たの」


 ノアの話を聞きながら、夕霧博士はデスクに備え付けられた椅子に座ると、机と一体化したキーを叩いて、前方に大きなVRスクリーンを投影する。


「電力はどこから来てるんだ……?」


 つい口を突いて出たヴェルの疑問に、生真面目な博士が答える。


「外の再生光を見たか? あれを利用して自己発電しているんだが、実は発光しているのは生物なんだ。眠りにつく前に、微弱な電力を帯びて発光するマクロな不定形生物を作ってね。それがうまく繁殖してくれたおかげで、今では外は昼間のように明るい」


 スクリーンに例の怪物が表示される。それを見て驚くヴェルを、夕霧博士が横目で観察する。


「見たことがあるようだな?」

「ああ、二回ほど」


 それを聞いて、改めて夕霧博士はヴェルに顔を向ける。


「ヴェルと言ったね。これに二度も遭って生きてる奴は君が初めてだ。それに……私が言うのもなんだが、君の身体もかなり特殊だね」


「コイツに殺されかけて、俺は実験に志願した。身体の八割以上がマキナスの素体だ」

「それは面白い……が、個人的な興味は後にするとして、知っているかもしれないが、コイツは〈カオティック・コード〉を投与された人間がその細胞変異の負荷に耐え切れなくなり、突然変異した姿だ。自我を失い、見境いなく本能のまま他者を襲う。アイザックの持つPSIを人類に転用するために、解決しなければならない課題のひとつだったが、難しくてね。篠塚は貧民街からある日突然行方知れずになっても不信を抱かれない人間を攫い、アイザックを利用して、計画が停止された後も秘密裏に実験を続けていた」


 夕霧博士がキーを叩くと、画面が別の画像に切り替わる。


 画質が荒かったが、そこに映っていたのは人間、どこかの暗い実験室で溶液に満たされたガラスのケースに収められた人間だった。


「これは……!」


 ノアとヴェルが顔を見合わせる。恐らくこれが、レイカが言っていた〈第三の知性〉に違いない。


「我々に尻尾を掴まれることを恐れ、篠塚が行方をくらませた後に踏み入った彼の秘密研究施設の写真だ。画像はこれしかない。後に、大規模なサイバー攻撃を受けて大半のデータが消失したのさ。当時調べた限りでは、攻撃は篠塚サイバネティクスからだった。証拠不十分と上からの圧力で、立件はできなかったがね」

「圧力、ですか?」


「ノア、君は若いね。……そう。当時、すでに篠塚サイバネティクスは国政に影響を及ぼすほどの大企業になっていて、篠塚宗次郎が先頭を退いてもなお、その影響力は絶大だった。サイバーテロの揉み消しなど簡単なことだった。知ってるだろう? ドームの外殻は、彼らの造った素材でできているんだ、その利権の大きさは測り知れんよ」

「コイツは何なんだ?」


 ヴェルが画面上の〈第三の知性〉を指差しながら言った。


「アイザックの超能力を人類にも転用するというのが、篠塚宗次郎の目的じゃないのか?」

「いかにも。だが、ヴェル。君もあの怪物を見ただろう? 篠塚は気づいたのさ。人類に〈カオティック・コード〉を移植することが科学的に可能だとしても、自分の生きている間に実現はできないかもしれないと。そこで、彼は考えた」


 そう言って、夕霧博士は立ち上がると、二人の方に身体を向ける。


「……ここからは、当時押収した資料の記憶を頼りに話すのだが〈カオティック・コード〉が人体の暴走を引き起こす原因のひとつに、人格の衝突があった」

「人格の衝突?」


 博士はその場で小さな円を描くように、ゆっくり歩きながら話を続ける。


「その人間が元々持っている人格に対して、投与された〈カオティック・コード〉が干渉を起こすことを、私はそう呼んでいる。人間を怪物へと変貌させてしまう急激な細胞変異は、この人格の衝突によって引き起こされることが分かった。ここで篠塚は、さらに一歩先へ思考を進めた。人間の人格が〈カオティック・コード〉の邪魔になるというのなら、人格を消してしまってはどうか、と。つまり、例えば廃人のような、感情のない入れ物になった人間を用意して、そいつに自分の人格とのリンクコードを記述した、特別な〈カオティック・コード〉を投与する。投与された人間は、人体変異を起こすことなく〈カオティック・コード〉に刻まれた外部の人間の人格とリンクする。つまり、そいつを間接的に操ることができるようになる。理論上は、これで人類がPSIを持つ生命体を使役できるというわけだ」

「ほ、本当にできるの? 生身の人間を〈カオティック・コード〉で、操るだなんて……」


 質問を投げかけるノアの表情は青ざめている。


「残念ながら、入れ物となる人間さえ用意できるのであれば、可能だ」

「……」


 夕霧博士の語る壮大な話に、ノアも、ヴェルも完全に呑まれてしまっていた。篠塚宗次郎の狂気の計画の一部始終。話が本当なら、その理論上で語られた〈第三の知性〉は、既に完成している。


「だとしたら……そうか、そういうことだったのか……」


 ずっと意識の埒外に置かれていたパズルのピースが、突如、輝き始める。ヴェルの中で、朧気だった事件の全容が、夕霧博士の話を受けてまとまり、はっきりとした輪郭を描いていく。


「ヴェル、何なの?」

「篠塚宗次郎の目的が分かった」

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