<case : 39> black lily - 黒百合

 数分間の潜水の後、水面に出たヴェルの目に飛び込んできたのは、想像を超える光景だった。


 まず、照らしたのは光だった。ずっと地下洞窟を進んできて、さらに崩落した岩石の間を縫って水中を泳いできたというのに、水面から顔を出すと太陽光さながらの明るい光が、空間を包み込んでいる。


 しかし、不思議なことに見上げても空が見えるわけではない。当然だ、今いる場所は最下層よりもさらに下なのだ。この光はどういうわけなのか。


「何か仕掛けがあるみたい」


 先に到着していたノアが言った。赤い髪が濡れて、首筋に張りついている。


「あれを見て」


 衣服の端を掴んで絞りながら、ノアは前方に顔を向ける。ヴェルが同じ方向を見ると、空間全体のほぼ中央を位置する場所に、ポツリと白い建物が見えた。


 今さら疑うことはないが、モグラしか全容を知り得ない地底世界において、モグラですら知らない〈外の世界〉以外の場所に通じるルートがあるというノアの話は本当だった。


「あれが、例の写真に映っていた場所か?」

「うん。第六科の秘密研究施設。行こう」


 そう言って駆けだしたのも束の間、二人はすぐに建物の異変に気づく。


「そんな……」


 建物の約半分近くが、落石によって崩壊していたのだ。目の前まで辿り着いたノアは、立ち尽くして言葉を失う。


 ヴェルはアーチ状の門をくぐって中に入り、建物の周りを見て回る。相当の年月が経っており、建物の劣化も進んでいる、そこに落石がきたことで損壊がより大きくなったのだろう。


 ここに夕霧博士が眠っているとしたら、生きている可能性は限りなく低い。


 ノアには言いにくいが、それは誰が見ても明らかだった。


「中に入れそうだ。見てみよう」


 そう言うものの、何の返事もないので振り返ると、ノアは未だ門の前に立ったままだった。ヴェルはノアの前まで行き、そっと肩に手を置く。


 ノアも手を伸ばし、一回り小さな手で肩に置かれたヴェルの手を取る。


「辛かったら、ここに残っててもいいぞ」

「……ううん。行く」


「なら、俺が先に行こう」


 ヴェルが自動ドアをこじ開け、建物内に入る。ジャケットからアリシアの映っている例の写真を取り出すと、辺りを見回して比較する。写真は防水加工が施されているので、濡れていても滲むことはない。


 この写真が、ここで撮影されたのは間違いないようだ。


 写真によれば、本来、正面に大部屋があり、そこに恐らく冷凍睡眠の装置もあるようだったが、残念ながら部屋は落石で潰されていて外から入れる状態ではなく、設備ごと全壊していると言っていい状態だった。


「ヴェル、ちょっときて」


 廊下の奥から、ノアの声が聞こえてくる。向かうと、突き当たりにノアが立っていた。


「見て」


 目を向けると、運よく地下への階段は落石の被害を免れていた。ノアと顔を見合わせ、一歩ずつ地下へ降りていく。


 地下に降りると、大きな扉が現れた。これまでと打って変わって、扉には『六』という文字がプリントされていた。ノアによると、第六科のシンボルらしい。


 ドアの横には専用の端末があり、ロックがかかっているようだったが、端末は既に劣化していて使い物にならなかった。


「力技しかなさそうだな」


 ヴェルが取っ手を掴み、扉の片方に足をかけ、力を込めて扉を引いた。ロックの外れる音がして、鉄製の扉がゆっくりと開いていく。


「嘘だろ」


 その場所は、ヴェルがキオンと訪れたファントム本部の地下空間に非常に酷似していた。


 ドーム状の空間に、白い壁。広さこそ異なるものの、その構造はほとんど同じだ。外は見てきたとおり長年の歳月で荒廃としているのに、この空間だけは今も稼働を続けているかのように、埃ひとつなく清潔に保たれているように見える。


 ノアとともに、空間内に踏み込む。中央には白いデスクとモニタが置かれ、真っ白なパソコンに接続されている。その横に、ヴェルには何に使うのかも想像がつかない装置がたくさん置いてある。


「何なの、ここ」

「知ってるんじゃないのか?」


 突然現れた空間に呆気に取られているノアを見て、ヴェルが尋ねる。


「こんな場所、記憶にない」


 確かに、この空間はアリシアの残した写真の中にも見当たらない。


 一体、誰が何の目的で作ったのか。デスクの上に置かれたパソコンに触れようと手を伸ばした時、後ろから電子音交じりの声が聞こえてくる。


「モグラが迷い込んだのかと思ったが、どうやら違ったようだ」


 声に驚いて振り返ったノアとヴェルは、反射的にナイフを握る。


「君は……まさかノアか?」

「だ、誰なの?」


 二人が入ってきたドアの前に、一体のアンドロイドが立っていた。


 真っ白な肌に、人型を模した艶のある美しいボディ。白に映える青のラインが首元から側面を走っている。本部の地下でサーバーを管理していたアンドロイドに似ていたが、今目の前にいる彼、もしくは彼女の方が何世代もアップデートを重ねてフォルムが先鋭化されている。


「私だよ。黒百合だ」


 アンドロイドは眉ひとつ動かすことなく言った。

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