<case : 38> mole - 第六科

 一歩進むたびに、足首まで浸かった水がパシャリと音を立てる。自然に溜まった地下水は冷たく、深部に向かって歩けば歩くほど、だんだんと水位が上がってきている。


 ドームの地下、最下層よりもさらに下の領域を、ノアとヴェルは突き進む。


 クシナダ配達の休憩室に駆け込んできたツゲは、違法配達屋のネットワークを駆使して入ってきた外の様子をヴェルとノアに伝えた。


 夕暮れと同時に、ここらでは見かけないドローンがいくつも飛び始め、黒塗りの車から武装した男たちが何人も出てきては、しらみ潰しに誰かを探しているという。


 幸運なことに、ツゲは違法配達屋として非常に優秀で、営業所内に自分用の経路を確保していた。ツゲは、レイカの願いを聞いてくれるのならと、喜んでその道に二人を案内した。


 ツゲのデスクの下に、地下に通じるマンホールが隠されていて、そこから梯子が伸びている。ノアがその穴を見て意外な返答をする。


「これって、モグラたちが使うルートですよね?」


 それを聞いて、ツゲがギョッとした表情を浮かべる。


「そ、そうだが、何で嬢ちゃんがそんなこと知ってんだ?」


 口には出さないが、十中八九ノアの言うとおりで間違いないとヴェルは思った。モグラというのは、サルベージ専門業者を表す隠語である。


「見たら分かるもの。探そうと思ってたのに、こんなところに入口があるなんて都合がいいわ」


 ノアはツゲにこれまでお世話になった礼を言うと、すぐ後ろにいたヴェルの方を振り向く。


「行きましょ」


 そう言って、躊躇う様子もなく、延々と地下に続く梯子を降り始めた。


////


「大丈夫か?」


 ヴェルが、前方を行くノアに声をかける。ヴェルよりも背が低いノアは、既に太ももの辺りまで水に浸かっている。


 違法生物がそこかしこにうろついているのではないかと思ったが、洞窟は異様なほど静かで、自分たち以外に、命の気配を感じない。時折、天井から落ちてくる水滴の音が、張り詰めた空間に響く。


「私は。あなたこそ、全快じゃないでしょう?」


 ノアは前を向いたまま答える。機械人にやられた傷は塞がり始めていたが、彼女の言うように、まだ身体の痛みは引いていなかった。


「あの機械人、戦ったことがあるのか?」

「ないわ。でも、あの肉体に施された改造は第六科の技術。化け物じみた強さはそのせいね」


「一体何なんだ、その第六科っていうのは」

「旧時代の政府が発足した特務機関。第一から第五まであって、次の大戦を視野に入れた諜報活動や新技術の開発を行っていたの。第六科は、その機関内に存在しないはずの第六の組織で、他の科よりもさらに進んだ研究が進められていた」


「人工生命か」

「ええ」


「そこに、アリシアもいたんだな」


 アリシアの名前に反応して、ノアが振り返る。


「ええ。彼女は最初期の特殊体で、私にとっては、姉みたいな存在だった」


 ヴェルにとっても、アリシアは大切な存在だった。この追い詰められた状況下で今なお事件解決に向けて動くのは、ヴェルの元々の性格がそうさせるわけではなく、アリシアだったらそうすると思うからに他ならない。


「実は、少し前にあなたたちのネットワークにも侵入したの」


 ノアは再び歩みを進めながら言った。


「その時、あなたが出した報告書を見た。これだけは言える。彼女の死は、あなたのせいじゃない」

「だが、俺はそばにいたのに何もできなかった」


「だから、今もこうして、一人になっても戦ってるんでしょ。もしアリシアがまだ生きていたら、きっとあなたと同じようにすると思う。だから、その選択をした自分をもっと誇っていいと思う」


 そのノアの言葉が、あまりにもアリシアに似ていて、ヴェルは思わず笑みを浮かべる。


「何よ? どうして笑うの?」

「いや……強いなと思って」


 それからしばらく歩き続けたが、道に終わりはなく、前を見ても、後ろを見ても、真っ暗な闇が口を開けている。ノアを見ると、すでに腰の近くまで水が上がってきている。


「言われるままついてきたが、どこまで行くんだ?」

「この道……この一番大きな本道のことだけれど、私が眠りにつく直前、ちょうどドーム化が始まった頃にはすでに造られていたの」


「そんなに古いのか」


 ヴェルは天井を見上げながら言った。もちろん、上も真っ暗だ。


「何とかして〈外の世界〉に繋がるルートを残そうとした連中がいたのね。それを知った第六科の科学者、夕霧黒百合博士はその秘匿性の高さを活用して、ひとつだけこの場所に繋がっている秘密研究施設を作り、他の研究施設は、第六科を解体して自身が冷凍睡眠につく時に、すべて閉鎖されたの」

「今、冷凍睡眠……って言ったか?」


「もし夕霧博士を覚醒させることができたら、アイザックの人格データに刻まれた個体識別番号から、今の座標を割り出せるかもしれない」


 そういうことか、とヴェルは呟く。確かに、それができるならアイザックの居場所が分かる上、もし彼が篠塚宗次郎に接触していれば、一気に喉元に迫るチャンスになる。


 しかし、ノアの話を受けて、ヴェルはノアが触れていない課題感も見抜く。


「だが、二百年前の施設が、今もそのまま残っているとは……」

「きっと大丈夫。……ねえ、それで前を照らしてみて」


 ノアに言われるがまま、デバイスの光を前方に向ける。


「これは……」


 過去に崩落があったのだろう、洞窟はそこで終わっていて、前方が瓦礫で塞がれていた。周りを照らしてみても、抜け道のようなものは見当たらない。


「どうするんだ?」


 ノアを見ると、大きく伸びをしながら、深呼吸を繰り返している。その様子で次の行動を察したヴェルが尋ねる。


「おい。……本気か?」

「大丈夫。道は必ずあるわ、行きましょ」


 それだけ言うと、ノアは大きく息を吸い込んで、頭から水の中に入っていった。


 ヴェルは大きく溜め息をつく。アリシアと言い、冴継と言い、またこのノアも、どうしてマキナスは時に合理的でないことを言うのか。それが人間味だと言われたら何も言い返せないが。


「泳ぐのはそんなに得意じゃないんだ……」


 ノアと同じようにして水の中に潜り、後に続く。

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