<case : 30> lead ball - 機械犬
「この子が?」
「ああ、間違いない……」
ヴェルは写真を見て頷いた。
「だとすると、こっちの少年は……まさか、アイザックか?」
「だと思ったんだが、ちょっと顔つきが違うか……」
「顔の造形が違う可能性はあるぞ」
キオンは、渡された写真を興味深く見つめながら言った。驚いたヴェルが顔を上げる。
「どういうことだ?」
「お前と冴継が最初にノアとかち合った篠塚サイバネティクスの地下を思い出せ」
ヴェルは記憶を振り返る。篠塚サイバネティクスの地下、立入禁止区域の先にあった、研究室のような個室。
中央には椅子があり、そこから伸びた無数のコードが、様々な機器を中継しながらモニタに接続されていた。
「人格データの違法インストールだ。あれだけの設備があれば、素体さえ用意できれば技術的には不可能じゃない。といっても、人格データを扱うのはかなりの専門技術を要する。人格データが素体と合わなければ、深刻な拒絶反応が出る場合だってある」
「拒絶反応? どんな?」
「個体によって症状は違うが……いいか。マキナスの人格データってのは、インストールされた素体に応じてゆっくりと馴染み、最適化されていくものなんだ。それがある日、急に違う素体になったとしたら、どうなると思う? 元の素体に最適化された人格データは、新しい素体に完全には合致しない。その歪みが、身体的な症状になって現れるんだ。頭痛や吐き気から始まって、酷い場合は多臓器機不全に陥ることもある。だから、本来、人格データの移行は自身のアーキタイプに合致した素体の準備から始めないといけないんだ」
「なら、この少年がアイザックだとすれば──」
ヴェルが言葉を続けようとしたその時、デバイスのコール音が鳴り響く。発信元は、先ほどアルに渡した小型端末だった。通話機能をオンにして応答する。
「アルか、どうした?」
「ヴェルか? 何かよぉ、ここらじゃ見かけない黒い服を着たやつらがたくさん来てるぞ」
「調整局だ」
キオンが横から言った。だとしたら、早すぎる。
「アル。そこから離れていてくれ」
「いいのか?」
「ああ。できるだけ遠くへ行くんだ。助かったよ」
「分かった。天然肉のパイ、頼んだぜ」
アルとの通話を切り、ヴェルはノアとアイザックの写真をジャケットの内ポケットに閉まいながら立ち上がる。
包囲される前に、すぐにここから立ち去らなければならない。だが、外の様子が分からない以上、どうやって外に出るべきか判断が難しい。
「ヴェル、このマンションに監視カメラはあるか?」
キオンがデバイスを操作しながら言った。
「確か……エントランスに一台ある。それが?」
キオンからARスクリーンが共有され、視野の隅に外の様子が映し出された。
「ハッキングした」
「流石だな」
「とはいえ……コイツはヤバいぞ」
キオンの言葉は的を射ている。調整局が、ここまで早く二人を追えた理由が映像の中にあった。
「機械犬か……。厄介だな」
ざっと映っている国家安全保障調整局の職員の数は四人。その中には、本部で見たあの大柄の男も含まれていた。それは、残念ながらヴェルとキオンを逃がしてくれたロボットがやられてしまったことを意味する。
そして、彼らを先導しているのは自立型追跡端末〈狗〉型──、猟犬を模したフォルムをしていることから、機械犬と呼ばれる追跡戦闘特化型アンドロイドだ。破壊されない限り、どこまでもしつこく標的を追う。
機械犬が先導して集合住宅に入り、例の大柄の男が、続いて中に入っていく。
「くそっ、何かないか……!」
キオンはデバイスを操作して、脱出方法を模索する。
「非常口から裏に出る。それしかないだろ?」
「いや、入ってきたのは機械犬とあの大男だけだ。裏口は固められていると思った方がいい」
「なら、戦うまでさ」
ヴェルは銃を抜き、弾薬を確かめながら言った。
「待て、ヴェル」
キオンはARスクリーンを眺めながら、何かを思案している。
「そうか、この建物は……旧時代のセキュリティが流用されて……」
「キオン、何やってる? もう時間がない、行くぞ!」
ヴェルが先導して部屋の外に出る。キオンはそれでもデバイスを操作して粘っていたが、やがて小さく舌打ちをしてヴェルの後に続く。
「あっちだ」
エレベータとは反対方向の突き当りから、非常階段に抜けられる。遠目から、エレベータが現在いる階を確認する。ヴェルたちがいるのは七階で、すでに六階まで上がってきている。
「走るぞ!」
ヴェルが叫び、二人が走り始めると同時に、エレベータが七階に到着する。キオンはまだ走りながらデバイスを弄っている。ドアが開き、大男が二人を視認する。
機械犬が飛び出し、同時に大男は両腕を自身の前で交差させ、一気に振り下ろす。両腕から鋭利な二本の刃が飛び出す。
「やはりアイツ……機械人か! ……おい、キオン、さっきから何やってる!」
未だにデバイスを触りながら走るキオンを見て、ヴェルが声を荒げる。先行するヴェルと比較しても、すでにキオンとはかなり距離が開いている。それでも、キオンは操作をやめようとしない。
「もう少しなんだ! 俺に構わず走ってくれ!」
キオンがそう叫んだ次の瞬間、ヴェルの視界に入ったのは、側面の壁を走りながらキオンの背後に物凄いスピードで詰め寄る機械犬の姿だった。
「キオン! 後ろだ!」
ヴェルが機械犬に狙いを定めて発砲し、無機質なマンションの廊下に銃声が反響する。機械犬は上手く躰を反らせて弾丸を弾き、返す躰で口を大きく開けると、中から黒い球を投射する。
空中に放り出された鉛玉のような黒球は、パンッ! と弾けるような音とともに飛散したと思いきや、広範囲のネットとなってキオンを捕縛する。
「うあぁ!」
ネットに絡めとられたキオンが、勢いよく床に倒れ込む。特殊合金のワイヤーでできた捕縛用ネットは、もがけばもがくほど、取り返しがつかないほど絡まっていく。
「来るな! ヴェル!」
助けに戻ろうとするヴェルを見たキオンが叫びながら、デバイスを操作する。すると突然、建物内に警報音が鳴り響く。ヴェルとキオンの間の床から、延焼防止の特殊隔壁が起動し、二人の間が突如、透明な壁で隔てられる。
「これは……!」
そうか。キオンは災害時の緊急隔壁システムをハッキングしていたのか。
「行け! ここで一番最悪なのは、俺たちが二人とも捕まることだ! この壁は特殊素材でできている、簡単には破れない」
「だが……!」
突然の警報音に、度肝を抜かれた住人たちが飛び出してくる。それを見た機械人は、見つからないように刃をしまう。機械犬もおとなしくしている。この様子だと、外にも野次馬が集まるはずだ。
混乱に乗じて逃げやすくなる。しかし、キオンは……。
キオンの傍までやってきた機械人は、強引にネットを掴んでキオンを肩の上に持ち上げ、壁越しにヴェルに語り掛ける。
「いろいろ知ってしまってるようだが……ファントムとはいえ、お前一人で何ができる?」
近くで見ると、男は腕以外にも、あらゆる箇所に違法改造を施している。目立たないように厚いコートを羽織っているが、ヴェルの目はごまかせない。
「この男を部下に引き渡したら、再びお前を追跡する」
大男は、不敵な笑みを浮かべる。
「情報を持つ者を連れてくるよう言われているが、一人で十分だ。お前は掃除屋だな? 望み通りテンペストとして相手をしてやろう」
低い声で笑いながら、男はキオンを抱えて階下に歩いていく。連れていかれるキオンと目が合うと、ヴェルは小さく頷いた。
キオンも長官も、他の皆も、必ず助けて見せる。助けなければ。
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