<case : 18> medicine - 遭遇

「ん~、こんな奴ら、見たことないな」


 こんな場所で聞き込みをしているナタリを面白がった若いカップルの彼氏が、ナタリから共有された三沢雄一と瀬田ダンジの画像を見ながら言った。


「そうですか。どうもありがとう。あの、常連というか、いつもここにいる人を知りませんか? その人にも聞いてみたいんだけど」

「なあ、誰かいるか?」


 と言って、彼氏はずっと彼の腕に抱きついている彼女に尋ねる。ナタリも彼女の方を見る。


「んー、それなら……ここの管理人に聞けばいいんじゃない?」


 彼女は辺りを見回す、誰か探しているらしい。


「管理人? 店長じゃなくて?」

「ここって、地下がシェアハウスになってて。まぁ、シェアハウスって言ってもほんとに掃き溜めみたいなところで、お金のない子とか、ワケありな人が住んでるんだけど。そこの管理人なら、いつもこの時間帯はホールのどこかにいるからさ」


「その人、名前は?」

「みんなパブロって呼んでる。苗字は知らない。痩せてて貧相な男だよ……あっ」


 と言って、彼女はナタリの後方に視線を向け、指をさす。


「あそこ。背中しか見えないけど、蛸のロゴが入ったTシャツを着てるのがそう」


 ナタリが彼女の視線の方に身体を向けると、十メートルほど向こう、人と人の隙間から蛸のTシャツを着た、パブロと思われる貧相な男の後ろ姿が見えた。


「誰かと一緒にいるみたいだね」


 彼女が言うように、パブロの傍には男がいて、腕を掴まれてどこかに連れていかれているようだった。


 男はパブロよりも体格がよく、確信はないが、ナタリの目には彼が抵抗しているようにも見える。カップルに礼を言うと、ナタリは人波をかき分けながらパブロたちの方に歩き出す。


 彼らは大ホールを対角線上に奥へ突っ切るように歩いている。


「ちょっと!」


 声を張るものの、周りの熱狂に呑まれて届かない。さらに、タイミングの悪いことに流れている音楽がクライマックスに差し掛かっているのか、照明が目まぐるしく切り替わり、音圧もさらに上がっていく。


 そうしている間にも、パブロは男にどんどん奥へ連れていかれる。


 人やマキナスに押されながら、ナタリがなんとか奥までたどり着くと、パブロも、傍にいた男の姿もすでになかった。


 混雑しているとはいえ、こちらに歩いてきたらさすがに気づく。辺りを見回していると、DJブースの後ろに壁と同色で塗られた目立たないドアがあり、見ていると中から例の男が出てきたので、駆け寄って声をかける。


「あの、すいません。パブロさんに話を聞きたいんですが、この中にいますか?」


 男は近くで見ると大きく、華奢なナタリと比較すると対格差は大人と子供のように見えた。髪は短く剃られていて、右耳の後ろから右目にかけて、三日月状の大きな傷が印象的だった。


「そんな奴、知らんな」

「えっ、でもさっきまで一緒に……」


 男は、ナタリに隠すつもりもなく露骨に不快な表情を浮かべて舌打ちする。


「マキナスが……俺に話しかけるな」


 それだけ言うと男は直進して、ナタリは肩をぶつけられてよろめく。側面の壁に身体を打ち付けたナタリを一瞥すると、男は人ごみに消えていった。


「いたた……」


 男の暗い敵意をひしひしと感じたナタリは、彼が反人工生命主義者かもしれないと思った。篠塚サイバネティクスの地下で見た違法取引のデータから考えても、ここにはテンペストの構成員が何人いてもおかしくないのだ。


 ナタリは男が出てきたドアに駆け寄るとノブに手をかけて、ゆっくりと回す。鍵はかかっていない。


 部屋の中は倉庫のようで、ステージ用の小道具がたくさん並んでおり、少しカビ臭い。どこで明かりをつけるか分からず、ナタリはデバイスの蛍光モードをオンにして、僅かな光源を頼りに少しずつ歩を進める。


「だ、誰かいますか……?」


 暗闇に向かってそう問いかけると、奥から小さな音が聞こえてくる。


 風はまったくないのに、強い風が吹き抜けていくかのような、ヒューヒューという音。音のする方に、デバイスの明かりを向ける。


 そこにいたのは、痩せた貧相な男──恐らくパブロだろう──が、床に突っ伏して倒れている。


「大丈夫ですか!」


 ナタリはすぐ様、パブロのもとに駆け寄る。先ほどまでの音は、彼の荒い息遣いだった。パブロの身体を観察する。外傷はないが、背中にぐっしょり汗をかいていて、首元に触れると高熱だった。


「な、何があったんですか?」

「薬……打たれた……あいつに……」


 パブロは苦しそうに肩で息をしながら言った。薬を打たれた、あいつに。


「あいつって、あの大男のこと?」


 顔を歪ませながら、パブロは頷いた。


「誰なんですか? 薬って?」

「ぐ……。テ……テン……」


「あの男はテンペストなんですか?」


 組織の名を口に出すとパブロは驚いたのか、一瞬目を見開いてナタリを見たが、やがて、小刻みに頷く。


 あの男がテンペストだとすれば、打たれた薬は間違いなく違法薬物だ。瀬田ダンジの死亡報告書にも、彼が薬物を投与されたことを示唆する供述があったのを思い出す。


 そんなことを考えている間に、パブロの容態は目に見えて悪化していく。


「しっかり! 私はファントムの者です。すぐに医療班を呼びますから……」


 ヴェルへのコールのため、ナタリがデバイスを操作しようとした時。ナタリの耳元で、空を切るような音が鳴った。何かが高速で至近距離を通過したのか、後から風が追いついて、ナタリのショートヘアを揺らす。


 同時に、後方でぼとん、と何かが落ちる音がする。ナタリは反射的に振り返る。


 視線の先に落ちていたのは、デバイスのついた腕だった。


 腕には、灰色狼の腕章。


「え?」


 それは、ナタリの腕だった。


「嘘……」


 何があったのか、いや、何をされたのか。この狭い空間には自分と、瀕死のパブロしかいないはずだった。ここにきて、ようやく腕の感覚がないことに気づく。そうだ、パブロは。


 後方、パブロが横たわっていたはずの場所。先ほどまでの荒い息遣いは、もう聞こえてこない。どうして。ナタリが振り返ると、倒れていたはずのパブロが、ゆっくりと立ち上がる。


 その双眸が、ナタリを見据える。


 金色の瞳。


 それも、瀬田ダンジの死亡報告書にあった。どうして彼が。薬。


 思考の整理が追い付かず、だんだん吹き飛ばされた腕が痛み始める。


「先輩……すいません……」


 ナタリは、肩で息をしながらヴェルに謝罪する。


 パブロの金色の瞳が、鮮やかに輝く。次の瞬間、ナタリは壁に吹き飛ばされた。

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