<case : 19> chaos - 種を超越する方法
「実験場ってのは、どういうことだ」
「言葉のとおりよ。彼らはここで、不特定多数の人間とマキナスに〈カオティック・コード〉を投与してる。足のつきづらい、下層以下に住んでいる者をターゲットにしてね。瀬田ダンジも、クレジットと引き換えに実験に志願したんでしょう」
緋色髪の少女は、ヴェルに背を向けたまま、行き交う群衆を観察しながら言った。
「誰がそんなことを?」
「それは……」
少女の言葉に被せるように、ホール中の音響が跳ね上がった。大きなスポットライトが複数、音楽に合わせて明滅を繰り返す照明とは別に、大ホールを駆け巡る。
それぞれのスポットライトは一点を、DJブースの上部に備えられたステージ上に焦点を当てて収束する。同時に、それまで場を支配していた音楽が、徐々にフェードアウトしていく。
「何だ?」
群衆の視線もライトが照らすステージに集中する。ヴェルも、少女も会話を止めて目を向ける。
黒服を着た男がステージに上がり、手に持った小型拡声器に向かって叫んだ。
「飲んでるかッ! 今日のメイーンエベンッ!」
声は電子音交じりに変換され、ホールの各スピーカーと連動していて、複数の方向から聞こえてくる。それに群衆が歓声で応じる。
「人間をッ、超エた存在になれるとシたら……どうすル?」
言葉の真意を捉えかね、群衆がざわつく。
「マキナスをッ、超えた存在になれるとシたら……どうすル!」
「何を言ってるんだ?」
ヴェルがそうこぼすと同時に、後方にあったカップルシートの中から、一組の男女が出てくるのが目に入る。
利発そうな青年の方はすらっと背が高く、長めの金髪が特徴的で、ロングコートを羽織っている。その後ろ姿は、どこかの企業の若手マネージャーのようで、野蛮な連中が集うこのような場所には似つかわしくない。
一方、肩に手を回されている女性の方は、昨今あまり見ないポニーテールが印象的だが、どこにでもいそうな普通の女性だ。
「二百年前、我々は選択を違えタ。最高の人工生命体だと思ったマキナスは、経年による人格データの劣化という問題を抱えた欠陥品だっタ! だが、彼らは、現ドームの中央政府を牛耳る悪魔どもは! その祖先は! ソの欠陥を知りながら、マキナスの普及を促進しタ! 自らの既得権益! 自らの野望! このドームを、世界ヲ支配するために!」
「世界ヲ支配するために!」
「だが、我々はマキナスを責めるつもりはない! 彼らもこのドームに生きていル。ならば、ともに模索するべきではないか! 種を超越する方法ヲ!」
「種を超越する方法ヲ!」
「まさか……」
ヴェルの隣で、少女が血相を変える。視線は、カップルシートから姿を出した例の男女、中でも金髪の男の方に向けられている。
「違法改造、精神転送、そんなオカルトなモンじゃなイ、本物ノ超・越・者となル方法!」
「見つけた……」
そう言って、少女が青年に近づこうとすると、真横に目がついているかのように、彼がこちらに顔を向けた。彼女が近づく前から、それに気づいていたかのように。
青年の赤い瞳は、彼もまたマキナスであることを物語る。しかし、その赤は、ヴェルが今まで見たどんなマキナスよりも暗かった。
青年の双眸は少女とヴェルを捉えたまま、腕を伸ばし、手のひらをこちらに向ける。
止まれ、追うな、それ以上は。耳元でそう言われたような気がして、青年から尋常ならざる何かを嗅ぎ取ったヴェルは息を呑む。
それでも、少女は歩みをやめず、一歩ずつ距離を詰めていく。スピーカーから流れる声はさらに大きくなる。
「新たなる、完璧なポストヒューマン……それが〈第三の知性〉ダッ!」
声高く叫びあげると、黒服は足早にステージを降りる。代わりに、ステージの横から一人の男が姿を現す。蛸のロゴが入ったシャツを着た、痩せた貧相な男。
皆が場の空気に呑まれて、男に注目する。男はステージの中央に立つ。俯いて見えなかった顔を、ゆっくりと上げる。その顔を、遠目で見たヴェルの心臓が高鳴る。
「金色の……瞳……」
「やっぱりここにいたのね」
迫る少女が、よく通る声で言う。
「さあ……何のことかな?」
青年がそう返すと、ホールの方がざわつき始める。スピーカーから、ボコボコと、何かの要因でできた気泡が破裂を繰り返すような、不快な音が聞こえてくる。そこに、ズルズルと何かを引きずるような音も重なる。その音に既視感のあるヴェルは、その時の情景を思い出す。
アリシアを死なせてしまった、あの時のことを。
「……った」
ステージに立つ男の、掠れた低い声が、ホールに響く。
「失敗だったよ」
次の瞬間、男の身体に異変が起こった。不快な音とともに、男の身体は突然変異を起こしたように肥大化、硬質化して、膚は灰色へと変色していく。顔は原型を留めず肉食獣のようになり、牙が生えた。
男は叫んだ。身体をねじるような、およそ人のものともつかぬ苦痛の叫びが、スピーカーを通じて四方八方から飛び交い、それはやがて怒号へと変じていく。男の変異を最前列で目の当たりにした女が、続いてつんざくような悲鳴をあげる。
その、変わり果てた男を言葉で表現するなら、化け物、もしくは怪物と呼ぶしかなかった。そして、そこにいた全ての者が、ようやく自分が異常の只中にいることを理解する。
怪物は目に入った群衆に襲い掛かった。その肥大化した腕で一人、二人を殴り殺し、三人目は大きく開いた口で噛みつき、牙が身体を貫いてぼろ雑巾のように打ち捨てられた。辺りに血しぶきが舞った。
一瞬の出来事に唖然としていた群衆は、全身に血を浴びた女の叫びを皮切りに、我先に逃げようとエントランスに向けて走り出した。
押し合って倒れ、踏まれ、潰される者、その上を乗り越える者、なかなか進まず、自分より前にいる者を殴り始める者とに分かれて、ホールは一瞬で暴徒の渦と化した。
「パブロ、すまない……」
ヴェルと少女が怪物の出現に気を取られている一瞬の間、青年はそう呟いて目を閉じ、再び開く。すると、一緒にいた女が、急に糸が切れたように意識を失って、彼の腕の中に沈む。
青年は女を抱えると、ゆっくり出口に向かって歩き出す。その動きに気付いた緋色髪の少女が、パーカーの袖口からナイフを抜いて叫ぶ。
「待ちなさい!」
少女の声に応じたのか、女を抱えた青年が振り返る。青年の視線は少女と、同時に顔を向けたヴェルの目を、それぞれ射貫く。
そこには、怪物と同じ金色の瞳が輝いていた。
「……君たちと、戦うつもりはない」
「そう。でもこっちはあなたを捕まえる」
少女がそう返すと、青年は残念そうに笑う。
「そうか。なら、好きにすればいい」
それだけ言うと、青年は二人にくるりと背を向けて、出口の方に歩き出す。ひしめく群衆がいるにもかかわらず、青年が近づくと、波を割ったように彼が通る分だけの道が開く。
青年はその中に入っていき、すぐに二人の前から見えなくなる。
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