<case : 17> experimental site - カオティック・コード
ヴェルとナタリが着いたとき、クメールルージュの入口は、既に多くの若者で賑わっていた。皆が皆、蛍光色のラインやゴシックなタイポグラフィを誂えた奇抜なファッションをしているおかげで、黒づくめの自分たちも浮かずに済みそうだ。
「この様子だと、だいぶ並ばないといけないですね」
入口から伸びている長蛇の列を見て、ナタリがポツリとこぼす。
「並ぶわけないだろ。ファントムだと言って通してもらう」
「でも、それだと、中に容疑者がいたらまずくないです? 第一、病院の大量殺人犯なのか、あの狐の面をした女なのか、何が出てくるか分からないですし」
ナタリがヴェルの方を向いて言った。確かに、その問題提起は一理ある。が、しかし、他の方法がヴェルには思いつかない。
「先輩。ここは私に任せていただけないでしょうか」
「……何か手があるのか」
「はい。私、実は昔、クラブ通いが趣味だった頃がありまして」
ナタリは自信あり気な表情で言うが、ヴェルの短い物差しで測ってみても、ナタリは夜遊びしそうなタイプには見えなかった。
しかし、このフィールドは最下層で危険なマキナスの排除という単純な仕事が性に合うヴェルにとって、もっとも不得意とするものだった。
「分かった。やってみろ」
「ありがとうございます! それでは……」
ナタリは辺りを見回し、通りの反対側に座り込んでいる女性のもとに走っていく。女性はどう見てもジャンキーだ。何かを話したあと、デバイスを操作して、女性が装着していたサングラスと、首に下げていた煌びやかな人工皮のファーを受け取る。
それを自分の首に巻いて走って戻ってくるやいなや、ナタリはおもむろに身体をヴェルに寄せ、腕を掴んでもたれかかった。
「お、おい。何やってる! 何だその恰好は」
「あの女性に売っていただきました。雰囲気が大事なので。いいですか、先輩は今から少しだけ私の彼氏という設定でお願いします」
「は? お前、何を言って……」
「行きますよ!」
何を思ったか、ナタリはヴェルを引っ張りながら歩いていき、エントランスに並んでいる若者たちの中に割って入っていった。
「ねえ、ちょっとそこの君。中に入れてほしいんだけれど」
今までの会話で聞いたことのない、艶のある声でナタリがボーイに声をかける。
「あ? なんだお前。ちゃんと最後尾に並べ」
入場の手続きに追われていたボーイは、不機嫌を全力で表に出しながら答えた。その対応に、ナタリは顔をしかめる。
「あら、そんな口の利き方をして大丈夫? 彼は篠塚サイバネティクスの役員よ。このクラブだって金を流してもらってるじゃない。今日のイベントだってそうでしょ? 出資してあげてる私たちが、後から来て最後尾に並ばされたと分かったら、中にいるボスはなんて言うかしら? ……いいの、いいのよ。あなたがそれでも並べって言うなら、並ぶことは厭わない。ただ、私はあなたがそんなに話の分からない男には見えないから、こうしてお願いしているんだけれど」
ナタリの流暢な言葉に、ボーイは驚いて耳を傾ける。ヴェルは、どこからそんな嘘が出てくるのかと、明後日の方を見ながら小さくため息をつく。
「し、しかし……ルールはルールで……あんたらが中にいるボスの連れだとどうやって分かるんだ」
「オッケー、分かったわ」
そう言いながら、ナタリはデバイスを操作する。
「中にいるあなたのボスにコールすればいいんでしょ。あなた、名前は? 今の状況を説明するわ。篠塚サイバネティクスの関係者である私たちが、あなたに、入口で止められていたおかげで、合流するのに遅れてしまいそうだ、と。億単位のクレジットがかかっている弊社にとっても重要な裏取引。偽装のためにこんなイベントまで開催していただいたのに申し訳ないですが、キャンセルにしといて下さい、ってね。あーあ。ボスのメンツは丸潰れ、私たち、タダじゃ済まないわね。でも、まぁクビにはならないわ。足を切られるのは、もっと下の人たちだもの」
「ま、待って下さい」
ボーイは一転して、泣きそうな表情でナタリに訴えた。
「こ、この仕事がなくなると家族を養えなくなります。ど、どうかこのままお通り下さい」
「あら、いいの?」
「もちろんです、どうぞ!」
「分かってくれればいいのよ。それに、家族を養っておられるなんて立派だわ。ねえ?」
ナタリがヴェルの腕を強く握る。
「……君の、口座情報を」
ヴェルはボーイのデバイスから口座情報を受け取ると、クレジットを入金する。
「少しばかりの礼だ。納めてくれ」
「あ、ありがとうございます! こ、これをどうぞ」
ボーイからドリンクチケットを渡され、入口を後にする。
「上手くいきましたね……」
階段を下りてホールに出ると、ナタリは腕組みを解く。通りの女性から買ったサングラスとファーを外し、壁に備え付けられているダストボックスに勢いよく突っ込みながら言った。
「色々言いたいことはあるが、今はいい……」
ヴェルは辺りを見回して、クラブの構造を把握する。大ホールに小ホール。間にバーカウンターがあり、多数の若者が音楽に合わせて踊りを楽しんでいる。
しかし、それは表向きの感想で、これだけ猥雑かつ、暗い空間では、見えないところで様々な犯罪や違法な取引が行われているに違いない。
「何を探すべきでしょうか」
「入院していた三沢雄一と、ここに何度も足を運んでいた瀬田ダンジ。この二人のことを知っている奴を探す。お前はホールを回れ、俺はバーで聞いてみる。何かあったらコールしろ」
「承知しました」
二手に別れると、ヴェルは人の波をかき分けてバーに足を運ぶ。
「ハイ。お兄サン、クールなファッションだネ。黒一色、結構いい感じ」
ヴェルは改めて自身の服装を見る。バーテンダーの女性は、髪をネオンカラーでグラデーションに染め上げて、大きな丸眼鏡。それに比べたら、ヴェルの格好は地味そのものだと思うが。
「聞いてもいいか? 人を、探してるんだが」
「ワオ、いいけど、先にドリンク注文しないとダメだヨ。今日は朝までパーティー、だヨ?」
バーテンダーが背景を指さしたので、デバイスのARスクリーンを起動する。ゴシック体で空間にカクテルの一覧が表示され、テキストの大きさのバラつきは、そのまま注文数を指している。
「じゃあ、トレッドストーンを」
ヴェルは入口でもらったドリンクチケットを手渡す。
「お兄サン、お酒もクール、だね」
そう言って、バーテンダーはグラスにドロりとした赤い液体とリキュールを注いで、ヴェルに差し出した。
そのままずっと見てくるので、仕方なくグラスを手に取って口をつける。濃縮された人工果実の味が口の中に広がり、高度数のアルコールが喉を刺激する。
「美味い」
「で、何が聞きたいんだったっけ?」
「人を探してるんだ。三沢雄一、もしくは瀬田ダンジ。聞いたことないか?」
ヴェルはデバイスを操作して、二人の写真をバーテンダーの視界情報に共有する。
「ん~~~」
バーテンダーは、二人の写真を見ながら悩んでいる。
「あの……」
後ろから声がして、ヴェルが振り返る。そこにいたのは、年端もいかない少女。
その鮮やかな緋色の髪に、同じ色の瞳。フード付きの黒いパーカーを羽織っていて、ヴェルの隣までやってくる。マキナスでありながら、その横顔の美しさは人間のように自然で、どこか異質さを感じさせる顔立ちをしている。
「それ、何ていうお酒?」
「……トレッドストーン」
「お姉さん、このお兄さんと同じのを下さい」
「はいな」
バーテンダーは写真の確認を一時中断して、追加のトレッドストーンの用意を始める。それを見ながら、先に切り出したのはヴェルだった。
「せっかく地下では逃げおおせたのに、わざわざ捕まりに来たのか?」
少女は、小さく微笑んだ。
「あれは、出会い方がよくなかっただけ。銃も向けられてたし」
「お前は何者なんだ。なぜ、俺やアリシアのことを知っている。返答によっては──」
「その話もいいけれど、今はお酒を楽しませて。久しぶりなんだから。それに……」
「はい、お待たせ。お嬢サンも、イケてるね」
少女の前に、トレッドストーンが差し出される。グラスを掴むと、一気に喉に流し込む。
「キツい……けど、二百年ぶりのお酒には相応しい味」
「二百年……」
「嘘じゃない。私は冷凍睡眠で眠っていたの。このドームの地下深くで、有事が起こらない限り、永遠に眠っているはずだった」
「その有事が」
「そう。アリシアの死。〈監視者〉は、三次大戦が生み出した、それひとつで世界の在り方を変えてしまう超危険技術を、戦後に生きる人々が利用しないように監視してきたの。アリシアは私の前任者で、私は、彼女が死ぬと同時に目覚めるようにプログラムされた、最後のマキナス」
「……にわかに信じがたい話だ」
だが、少女の言葉を聞いてヴェルは思う。自分は出会う前のアリシアがどんな風に生きていたかを詳しくは知らない。
本人は、ヴェルと同じく幼い頃に残党街に廃棄され、盗みを繰り返してファントムに捕まった後、掃除屋として訓練を受けたと言っていたが、ヴェルに不審を抱かせないための方便だったのかもしれない。
「信じようと信じまいと、事実よ。あなたも見たでしょう? 人工生命体の倫理規定を無効化し、人格データに直接上書きを可能にする、混沌から生まれたあってはならないプログラム。私たちは、それを〈カオティック・コード〉と呼んでいる」
「〈カオティック・コード〉……」
ヴェルは反芻する。瀬田ダンジの暴走、病院の大量殺人、篠塚サイバネティクスの関与……彼女の言葉を信じるなら、全ての事件は、その〈カオティック・コード〉に繋がっているというのか……。唯一、要人の失踪だけは関連性が掴めないが、これは別の事件なのだろうか?
「さて……」
少女は残りのトレッドストーンを一気に飲み干して、グラスをカウンターに返す。
「さっき言いそびれたんだけど、私の読みが当たっていれば、ここはもうすぐ文字通り混沌と化す」
「どういうことだ?」
「ここは、実験場よ。応援を呼べるなら呼んだほうがいい」
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