<case : 16> the study - 研究
「レイカ! ここだよ」
クメールルージュのある通りに出ると、アイザックは入口で待っていた。しかも、自分を先に見つけて健気に走ってくる。
彼とのデートはこれで三度目だった。これまでに二回、いずれもアイザックからの連絡を受けて、一緒に食事をした。レイカにとっては、まさに僥倖と言わざるを得ないボーナスステージが、今もなお続いていた。
ああ、いつ見てもアイザックはかっこいい。ジャンクの山の中に咲いた一凛の花、それが彼だとレイカは思う。目をぱちくりさせて、夢じゃないことを何度も確かめる。
「いつもと違う格好だから驚いたけど、すぐにレイカだって分かったよ」
「えっ! へ、変かな?」
黒のライダースにミニスカート、十代の頃に初めてのアルバイト代で買ったお気に入りの服だったが、友達付き合いが薄かったので特に出番もなく、二十代になってもずっと新品同様のまま、クローゼットの中で眠っていた服たちである。腕にはネオンリングを重ねづけし、リングと同じ色でヘアマニキュアを合わせてみた。
「ううん。すごく可愛いよ」
早くも、レイカの紅潮が最高潮に達する。
アイザックに連れられて、クメールルージュのエントランスへ向かう。どうやらアイザックがあらかじめ入場料を払ってくれているらしく、露骨に行列を横切って進んでいても、入場を取り仕切っているらしいボーイは二人にそのまま入場を促してくる。
ドリンクチケットを渡されて、階段を下りる、するとすぐバーカウンターがあるホールの中継地点に出て、まずはドリンクを注文する。
「お酒詳しくないんだ、何が美味しいかな?」
「ええーっと、どんな味が好きとかある?」
「レイカが選んでくれるなら、何でもいいよ」
レイカ自身、特に酒に詳しいわけではなかったが、適当に人工酒のカクテルを注文する。戦前で言うところのカシスベースとジンベースで、後はバーのスタッフに任せた。
クメールルージュの内部は意外に広く、大ホールと小ホールに分けられていて、ふたつのホールの対局にそれぞれDJブースがあり、真ん中にバーがある。全ての空間を合わせると、二百人くらいは入りそうな規模感だった。
どちらのホールでも、すでに大音量で音楽が鳴っていて、マキナスも人間も関係なく、たくさんの若者たちが無秩序に音の洪水に身体を任せて酔いしれていた。
暗がりにシアン、マゼンタ、イエローのライトが飛び交って、この空間だけが別世界に切り取られたような熱狂の渦を創り出している。
アイザックがここに座ろうと言い出した席は、すぐ傍にあったカップル仕様のシートだった。レイカは、胸にこみあげてくる良心の呵責を必死で抑え込むが、アイザックの方はというと、表情からもまったく気にしていないらしい。
どぎまぎしながら席につくとさっそく軽くグラスを合わせて、レイカは一気にカクテルを流し込んだ。
こんなの、シラフではやってられない。
「て、ていうか。まだどんなパーティーなのかも分かってないんだけれど……」
もちろん、事前にデバイスで情報にアクセスしたが、飛び交う抽象的な言葉を前に、レイカの感性が理解よりも先に降伏勧告を挙げたのだ。
「ああ。今日は一種の祝賀パーティーという感じかな。ある研究があってね……それがほとんど完成を見込んだから、そのお祝いにパーッとやろうってワケさ。パーティーはパブロがほとんど取り仕切ってて、僕はいてもいなくてもよかったから、レイカが来てくれて嬉しいよ」
そう言って、席から身を乗り出してホールの方を見る。レイカも続いて顔を出すと、アイザックの視線の向こうに、配達の時にアイザックと一緒にいたあの貧相な青年が見える。
「ふうん。二人は、友達になって長いの?」
「いや、パブロとは、会って二週間だよ」
「ええっ?」
「実は彼、最下層の出身なんだ。僕の父が、彼に仕事を斡旋して、慣れるまでしばらく一緒に暮らしてほしいって言われてね」
「何か奇妙な縁だね。研究って、アイザックは普段、何をしてるの?」
会うのは三回目だが、レイカは彼がどんな仕事をしているのか知らずにいた。
「僕は……最近までずっと眠っていたんだ。二百年くらいかな」
レイカが苦笑する。
「もう、冗談はいいから。どんな仕事を?」
「マキナスの研究に参加していたんだ。人格データ周りのアーキテクチャの設計と、パフォーマンスを向上させるチームにいたんだけど」
「すごい。科学者なの?」
「見ての通り、僕はマキナスだよ。でも、他のマキナスとはちょっと造りが違ってね。だから、僕を造ってくれた人のチームで被験者をやっていたんだ」
「どう違うの? 私には分からないけど」
「見た目は変わらないよ。けど、僕は人格データの構造が、ちょっと他のマキナスと違うんだ。元々そういう風に設計されたわけじゃなくて、偶然の産物らしい。そうだな……」
グラスの中の液体を見つめながら、アイザックはしばらく考えて口を開いた。
「レイカにだけ、特別に見せてあげるよ」
そう言うと、アイザックは自身が手に持っているグラスを見るように促す。まだ半分以上、カクテルが入っている。
「このカクテル、人工酒でできたカシスと何だっけ?」
「オレンジリキュールよ。カシスオレンジ風ね」
「じゃあちょうどいい。見てて」
アイザックは両手で包むようにグラスを握り、ゆっくり目を閉じる。再び目を開いたアイザックの変化に、レイカは息を呑む。その瞳は、マキナスの赤ではなく、金色に輝いていた。
レイカが口を開こうとすると、アイザックは目でグラスを見るように促す。目を向けると、グラスの中のカクテルに思いがけない変化が起こる。
グラスの中で小さな波紋が起きる。最初はアイザックがグラスを揺らしたのかと思ったが、すぐにそうではないと理解する。
だんだんカクテルは渦を巻いて回転し、やがてカシスのブラックとリキュールのオレンジが別れ、ひとつの空間の中で中心に向かって層を成しながら回転するようになる。レイカは、口をぽかんと開けているのも忘れてグラスの中に見入っている。
「僕は、手を触れず物体に干渉することができる。すごくかんたんに言うと、超能力ってやつだね」
言いながら、アイザックの瞳の色が元の赤色へと戻っていく。
「すごい! 他にもできるの?」
「物体を動かしたり、紙の裏に書かれたものを当てたり、普通の人が想像するようなことはできると思う。この力の源泉が、僕の人格データの中にあるんだ。僕の父……僕を造ってくれた研究者は、この力を人類に転用する方法を研究していて、僕は被験者として実験に協力して……」
ふいに、アイザックが額に手を当てて、苦しそうな表情を浮かべる。
「……」
「アイザック? 大丈夫……?」
「ごめん。ちょっと待ってれば何ともなくなるから……」
そうは言うものの、アイザックの様子は明らかに先ほどとは違っていた。額に汗を浮かべて、目を閉じ、嵐が過ぎ去るのを待つような表情で、小さく震えながら何かを堪えているような表情。
「本当に大丈夫……? 救急車を呼ぼうか?」
「大丈夫。力を使うのは久しぶりだったから、ちょっと眩暈がしただけさ。ほら、もう治った。問題ないよ」
「そ、そう? なら、いいけど……」
横からアイザックの表情を見るが、今は先ほどまでと変わらない、普通の表情だった。苦しさを隠しているような様子も見受けられない。
「でも、あなたって、やっぱり特別なのね」
「やっぱり、って?」
「初めて会った時から、なんとなくそんな気がして……」
レイカは、アイザックに届けた白い箱のことを思い出す。『異』という文字がプリントされていて、中に赤い液体の入った小さなシリンダーが並べられていた箱。アイザックはあれを、自分が研究している『種』と呼んでいた。
「そういえば、あの時届けた荷物も……仕事に関係があるの?」
「うん。あの薬は、父が僕の人格データから抽出して造った、特製の拡張データのサンプルなんだ」
アイザックは言葉を切って、少し思いつめたような表情を浮かべる。
「……といっても、まだ試作品だけどね」
「そうだったのね」
認可されていない薬品は、正規の配達業者では運べない。クシナダ配達を使うのも合点がいく。
それから、しばらくお互いの身の上や、最近の出来事を語り合った。レイカはクシナダ配達にツゲさんという怖い営業所長がいることや、アイザックに荷物を届けるのは、実は前日に偶然ルートを引き継いだだけだったことを話し、アイザックはそんな他愛もない話をとても楽しそうに聞いていた。
「レイカ、今日はありがとう。こんなに楽しい時間は初めてだよ」
「ふふ、大げさ!」
「ほんとだって、ずっと眠ってたしね」
「どれくらい?」
「二百年」
「それはさすがに嘘」
レイカも笑った。最近は働きづめで、ツゲさんには怒られてしまうし、同僚のダンジは亡くなるしでいいことがなかったので、久しぶりに心の底から笑っていることに気づいた。
「でも、お父さんの実験に協力してるなんて、アイザックは立派だね。それに比べて、私なんか今の仕事でいっぱいいっぱいだし……正規の配達業者になれる日なんて来るのかなと思うと、無性に不安になったりするよ」
レイカがそう言うと、アイザックはグラスを手の中で遊ばせながら考える。
「そんなことないさ……」
先ほどまでの楽しい空気が一転、アイザックは思いつめたような表情で話を続ける。
「僕は、幼少の頃から父に言われるがまま、自分の人格データの解析ために自らを捧げてきた。そこに自由はなかった。常に監視され、データを取られ、自分の人生を数値とグラフに置き換えて、過去の大半を研究施設の中で暮らしてきた」
「そ、それって……」
アイザックが子供だったのであれば、それは完全に違法な行為ではないのか。レイカの考えを見透かしたように、アイザックが答える。
「嘘じゃない。それも当時は合法だったんだ。ギリギリだけど」
「いつまで、その生活を?」
「二十二歳かな。そう、今の年齢さ。つい最近まで、ずっとそんな暮らしだったんだ」
レイカが返す言葉を失くしていると、アイザックは微笑む。
「ああ。なんかヤバい想像してない? 一応、研究施設の中にはいるけれど、ほしい物は与えられたし、安定した生活は送れたんだ。観たい映画も、どんなルートを使ってるのか知らないけど、公開後すぐに手に入れてもらったり」
レイカが想像していた、ありとあらゆる、それこそ戦争映画の非人道的行為の寄せ集めみたいな生活ではなかったらしく、ほっと胸をなでおろす。
「それに、幼い頃というのは好奇心が強いもので、父の研究に貢献できるのが嬉しいと思ってた時期もあったんだ。父はガチガチの理想主義者だけれど、そんな僕の姿には好感を抱いたのか、毎日実験に参加している僕に約束してくれた」
「約束?」
アイザックは、レイカを見て微笑む。
「全てが上手くいったら、僕を人間にしてくれるんだって」
「に、人間に?」
アイザックとは逆の、人間をマキナス化するという話ならレイカも聞いたことがあるが、陰謀論じみたオカルトのテーマとして、たまにエンタメ的に扱われるくらいのものだ。
「まあ、その後すぐに研究は凍結してしまったんだけどね」
「凍結、って?」
アイザックは一瞬、レイカの目を見る。レイカが真剣に聞いているのが分かると、言葉を選びながら、ゆっくりと話を続ける。
「当時、研究対象のマキナスは僕だけではなかった。比較対象として、何人かのマキナスが選別されて、同じような暮らしを送っていた。ただ、そのマキナスたちには僕のような力はなかった」
「……」
「それは、子供ながらに大いに嫉妬の原因になった……ある日、僕は、そのマキナスたちを……」
ふとアイザックの手元に目を向ける。グラスを持つ彼の手が、小刻みに震えている。それを見て、言葉を続けようとしたアイザックをレイカが制した。震える彼の手を、レイカの手が優しく包む。
「言いたくないことは、言わなくていいのよ」
手を通して、レイカの暖かさがアイザックに伝わり、手の震えが止まる。アイザックが、レイカを見つめる。
「会うのは三回目だけど、あなたが優しい人なのは知ってるわ」
「……ありがとう」
言いながら、アイザックはレイカの手を強く握り返した。
レイカにはとても信じられない話ばかりだが、アイザックが嘘を言っているようには見えなかった。それに、ずっと研究施設で暮らしたという話を聞いて合点のいくところもあった。
上層で食事をした時、彼はレイカに立ち並ぶビルについて次々と質問をした。環境庁など、普段の暮らしにそれほど接点のない組織は知らないのも頷けるが、マキナスならば知っていて当然の人工生命犯罪対策室を、彼はまるで初めて見るような目で見ていた。
もしかして、本当に知らなかったのではないか。
「ごめん。なんか、暗い話をしちゃったね」
「ううん、いいの。でも、それで……研究が凍結したから、今は自由に暮らせるってこと?」
「そうだったら、よかったんだけどな」
アイザックはなおグラスに目を落としながら言った。
「研究は、今も続いているんだ」
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