<case : 15> collision - 逃走

「お前は……」


 ヴェルが逃走する瀬田ダンジを追う際、電波塔から見た、ダンジの前に現れて消えた女。その女が、病院での殺人事件を追ってやってきた篠塚サイバネティクスの地下施設に、なぜ……。


「手を挙げなさい!」


 ナタリが一歩前に出て、女に銃を向ける。続く言葉よりも先に、女が口を開く。


「蒼井……ヴェル……」

「なぜ、俺の名を」


 白狐の面で顔が見えないが、その声は印象よりも幼い。身長は隣にいるナタリよりも低く、十代後半、いや、もっと若いかもしれない。


「ここで、目覚めたの」


 視線の先には椅子。過去に、誰かがここに座っていた……犯人か?


「先輩、どうしますか……」


 銃を構えたまま、小声でナタリがヴェルに問いかける。


「何が目覚めたんだ?」


 ヴェルが尋ねると、女はゆっくりと、遠くに顔を向ける。


「因子……混沌の因子。世界を破滅へ導くプログラム……」

「何ワケの分からないことを言ってるの? 先輩、拘束しましょう!」


「待て」


 ヴェルがナタリを制する。この女はまだ話を終えていない。拘束するなら、それからだ。


「混沌の因子? それは何だ」

「見たでしょう。倫理規定を越えた、破壊と自死。あれは、マキナスが持ってはいけない力……」


 ヴェルの脳裏に、顔の半分が怪物と化したダンジの顔が浮かぶ。


 壁を砕いた異常な膂力、激しく明滅するランプ……。


「ここで、誰かが蘇らせてしまった……。混沌を。本来は、彼女がそれを阻止するはずだった……」

「彼女?」


「アリシア」


 女の口から発せられるはずのない名前を聞いて、ヴェルが目を見開く。


「ど、どうしてあなたが、アリシアさんを……」


 状況が呑み込めず、ナタリが女に問いかける。その隣で、沸々と、ヴェルの中に緋い感情が募る。こいつは知っている。アリシアを殺したあの怪物を、そこに繋がる何かを。


 彼女の死の真相は、一連のマキナスの暴走と関係があるのか。


「彼女は最強の〈観測者〉だった。でも、死んでしまった。それは、世界の計算から外れた、想定外の事態。だから私が目覚めたの。蒼井ヴェル、あなたの力を借りたい」

「聞きたいことがあり過ぎる……」


 そう言うと、改めて、ヴェルが女に銃口を向ける。


「お前をファントム本部に連行する。話はそれからだ」


 場を静寂が包み込む。ナタリは微かに震えている。


 それは、彼女がファントムの掃除屋候補生として、長官であるミコトに見初められるほど優秀な成績を収めている人材だからであり、病院で自分に向けられたのとは比べ物にならないヴェルの暗い感情を、本能的に感じているからだ。


「……今、捕まるわけにはいかない」


 女が構え、臨戦態勢を取る。


「そうかい」


 ヴェルが引き金に指をかける。


「なら、戦って連れていく」


 発砲すると同時に、女が勢いよく腕を振り上げた。袖口から何かを投擲したらしく、激しい金属音が響いて銃弾が弾かれたと分かる。細いナイフだ、服に仕込んでいたらしい。その瞬間、女は後ろに回転して跳躍する。


 出遅れたナタリが、女の着地するタイミングに合わせて狙いをつけると、今度はナタリに向かってナイフを投げる。


 ナタリが避けきれず、ナイフのダメージを最小に留めるよう構えると、横からヴェルが銃身でナイフを弾く。


 その隙に、女はヴェルとナタリが入ってきたのとは正反対の位置にあるドアを開け、外に逃げる。ここが本来テンペストの潜伏先であると考えると、そのドアは外に繋がっている。


 ここで逃がすと厄介なことになる。ヴェルが身を乗り出して追いかける。


「先輩!」

「お前は本部に連絡、応援を要請しろ!」


「わ、私も……!」

「言うことを聞け!」


 言い終わる前に、ヴェルは女の後を追って部屋を出ていく。ナタリは判断に迫られるが、病院での一件で無理を言って着いてきたこともあって、ここでヴェルの意向に沿わないことはしたくなかった。それに何より、ヴェルの判断はひとつも間違っていない。


「分かりました! 奴をお願いします!」


 ヴェルは全速力で女を追う。向かいのドアの外にも、同じく暗い廊下が伸びていた。ヴェルの赤い左目は、暗闇を駆ける女の後ろ姿を捉えている。


 連続して二発、威嚇射撃。当てるつもりはない。女は一瞬こちらを振り返り、ヴェルがどこまで迫っているかを確認する。突き当たりに上階に続く階段が見えてくる。


 女は階段の前までたどり着くとヴェルの方に振り返る。右腕を上へ伸ばしながら左手でデバイスを操作し、上階に向かって何かを発射する。それは特殊合金でできたワイヤーらしく、上階の柵に巻きつけると彼女の身体を物凄いスピードで上へ運び始めた。


「待て!」


 叫びながら、ヴェルは銃を構え、女が吊られているワイヤーに狙いを定めると躊躇せずに引き金を引く。しかし、先ほどと同じようにナイフに弾かれ、女はヴェルの視界から消える。


 ヴェルが再び走って階段の下にたどり着くと、女は上階の出口の前に立っていた。


「なぜ逃げる?」

「ここから先、組織は力にならない。きっと、内側から崩されるわ」


「なぜだ、何のために?」

「二百年前に凍結された、理想の実現のためよ」


「理想? 何を言っている?」

「あの部屋のインターフェイスを確認してみて。答えはそこにある」


 そう言って、女は出口から外に出ていった。


「……くそっ」


 女の身のこなしは半端ではなかった。撃った銃弾を細身のナイフで弾く反射神経、返しの攻撃をヴェルではなくナタリの方に行う判断力。


 ひとつ言えるのは、あんな動きは人間ではあり得ないということだ。面をしていたので確かめられなかったが、恐らく女はマキナスだろう。


 しかし、マキナスならばどこかの組織に所属しているはずだが、ファントムでないのは明らかで、見当もつかない。


「先輩!」


 後ろからナタリが追いついてくる。


「女は?」

「逃げられた」


 ヴェルが追っても逃げられたという事実に、ナタリは驚愕する。


「そっちは、何か見つかったか」

「あ、はい! 見ていただきたいものが」


 椅子のある部屋に戻り、ナタリがモニタを見るように促す。


「やはり、ここはテンペストの潜伏先で間違いないようです」


 画面には、直近の取引データと思われるリストが表示されている。


「武器や爆薬、違法取引の履歴か。キオンに連携は」

「もうしました。で、ひとつ気になるところが……ここの取引場所の欄を見て下さい」


 ナタリがインターフェイスを操作して、最新のリストに遷移する。その項目には、ヴェルも覚えのある場所が記載されていた。


「クメールルージュ……」

「はい。瀬田ダンジが生前に何度も訪れていた、若者向けのクラブです」


 思考を整理しながら、ヴェルは辺りを見回す。椅子、机、その上にモニタ。周りにはたくさんの棚があり、中にはヴェルにはよく分からない薬品がたくさん入っている。その配置。美しすぎる配置が、ヴェルに違和感を与える。


 テンペストの連中が、ここまで整理するとは考えにくい。


 おもむろに、ヴェルが机を押して位置をズラす。そこには、廊下で見たのと同じ、黒い染みが残っている。


「それって、もしかして血ですか」

「ああ……」


 立ち上がると、ヴェルは中央の椅子に目を向ける。ここで何があったのか。女の言葉を反芻する。混沌の因子、そして彼女は、アリシアのことを観測者と呼んだ。観測者とは……。


 今までに起きた別々の事件が、全てどこかで繋がっているのだとしたら。


「クメールルージュで、今夜イベントがありますね」


 ナタリが、デバイスを操作しながら言った。


「イベント?」

「はい、若者が集まって、大音量で音楽を聴きながら、酒を飲んで騒ぐタイプの。今から向かえば、ちょうどいい時間帯かと」


 ナタリのデバイスを覗き込んで、詳細を確認する。画面にはサイバーなタイポグラフィが踊っていて、若者に向けたメッセージがアニメーションで流れている。


「おい。今日は帰れないぞ」


 ヴェルがナタリに告げる。


「と、言いますと……?」

「ここは後続に任せて、俺たちはクメールルージュへ向かう」

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