<case : 07> training - 新たな命令

 枝分かれのない一本道。無機質な白い壁が続く廊下を抜けると長官室のドアが見え、前まで行ってノックする。


「蒼井ヴェル、参りました」


 『六』という字が大きくプリントされたドアが自動で開き、中に入ると、上層の景色が一望できる展望窓から、長官の志藤ミコトが外を眺めていた。


 伸ばした金髪が印象的なファントムの若き一番星。元々、人工生命創造計画の一端を担ったとされる研究グループに所属していた研究者の家系で、ドアの『六』の字はその名残り、と聞いている。


 ヴェルから見ても、これほどこの組織のトップに適任の者はいないと思わせる女性で、見た目はまだあどけなさすら感じるが、組織を率いる手腕は確かで、アリシアや他の職員からの信頼も厚い。


「蒼井ヴェル特別捜査官、よく来てくれました。お身体の方は?」


 ミコトが振り返る。金髪によく似合う切れ長の青い目でヴェルを見据えた。胸元に白狼のペンダントが光っている。


「おかげさまで。任務にも支障はありません」

「それは良かった。でも、無理はしないで。実験的側面も多分に含まれる大手術と聞いたわ」


「はい」

「……二人きりで話すのは、初めてだった?」


「ええ、多分」

「そんなにかしこまらないで。私の方が、三つくらい年下でしょう?」


「しかし、上官ですので」


 態度を崩そうとしないヴェルを見て、ミコトは薄っすらと笑みを浮かべた。


「アリシアの件、本当に残念でした。彼女は、私が長官に着任した時からすでに一線級の掃除屋だった。私も、色々なことを教えてもらいました」


 ヴェルが頷くと、ミコトはデスクの前にあるソファに座るように促す。座ると、ミコトもこちらにやってきて対面に座った。


 パリッとした白の制服と、長官にのみ許される白狼の徽章のミコトに対し、黒づくめのヴェルは徽章も掃除屋を表す灰色狼。二人のコントラストは正反対だった。狼はファントムの象徴的動物で、あらゆるところにそのエッセンスが伺える。


「あなたを呼んだのは、他でもない……〈テンペスト〉の件よ」

「……奴らに何か?」


「先日、うちの部隊が中層にある彼らの潜伏先のひとつを襲撃し、これを制圧した。けど、部隊が突入したとき、敵方の構成員の大半が、すでに殺されていたの」


 驚いて、つい前のめりになる。 


「つまり、我々が襲撃する前に、何者かによって襲撃されていたと?」

「その可能性もなくはないんだけど……現場検証の結果によると、どうやら我々が踏み込む前に、〈テンペスト〉の構成員同士でやり合ったみたいなの」


「同士討ち?」


 ヴェルは腕を組んで思考する。思い返してみても、反人工生命主義を掲げる抵抗組織というのは、基本的にどのグループも構成員の個々人の繋がりは強い傾向にあった。そんな奴らが、身内で殺し合いをするだろうか、一体、どんな理由で?


「あなたの考えていることは分かるわ。私も不可解なの。彼らは外に向けて過激な行為を行うけれど、自分たちが喰い合うような真似はしないと思う」


 ヴェルの表情から考えを察したミコトが言った。


「同感です」

「そこで、あなたに頼みたい。今回の現場には、一人だけ生き残りがいたの。重傷で意識不明だったんだけど、先ほどうちの管轄の病院で目覚めたと連絡が入ったわ。その男に話を聞いてきてもらいたい。彼らのアジトで、一体何が起こったのかを」


「なるほど、分かりました」


 ヴェルがそう言うと、ミコトがふいに目線を外して、何かを考えるような表情を浮かべる。


「……何か?」

「報告書によると『アリシアは怪物に殺された』と、あなたは言ったそうね。確かに、このファントムでも一、二を争う実力者であるあなた達のペアが、〈テンペスト〉の末端構成員ごときに不意を突かれたという調査部の見解には、私も素直に頷けない部分がある。でも、怪物を見たというあなたの証言を裏付ける証拠は、現場には残されていなかった」


 実際、あの現場で生き残ったのは自分だけで、証拠不十分と言われても仕方のない状況だった。


「報告書では、瀕死の重傷を負って幻覚を見たと処理されているけれど、私はあなたの言う怪物の線も、まだ棄ててないわ。もともと、〈テンペスト〉は反人工生命主義組織の中では、中の中といったくらいの格付けよ。それがここ数ヶ月で、異常に活発化して、どんどん組織が膨らんでいる。そこにこの騒ぎ。あの報告書には、想像力が足りない気がするの」

「それで、俺に?」


「ええ。この件に対して、あなた以上の人材はいないと思う」

「なら、瀬田ダンジの件は、どうしますか?」


「それも、聞きました。最下層の労働型マキナスが倫理規定を越えた破壊行為に及んで、暴走の果てに自死した、と。そちらも確かに不可解で気になりますが、ステータスは斎藤分析官の報告待ちね。それがあがってくるまでに、先にこちらの件を当たってほしい」

「キオンによると、例のマキナス、瀬田ダンジがクメールルージュという若者向けのクラブに何度も足を運んでいたそうです。病院での聴取後、そちらに伺っても?」


「聴取の後なら、自由に」

「分かりました、ならさっそく向かいますよ」


 話がまとまり、ヴェルは席を立つ。自分のような最下層出身のいち捜査官にも誠意をもって接するミコトを見て、アリシアが彼女の人格を褒めちぎっていたことには同意せざるを得ない。


「蒼井捜査官。実は、もうひとつお願いが」

「何です?」


 呼び止められたヴェルが振り返ると、同時にミコトはデバイスを操作してどこかへ通話する。


「いいわ。入って」


 すぐにノックの音がして、長官室のドアが開く。


 入ってきたのは、小柄な女性型のマキナスだった。ヴェルと同じ掃除屋仕様の制服を着て、つまり黒づくめで、ミコトとは対照的な真っ黒のショートカットは、表情の幼さをさらに加速させている。


「冴継ナタリ、参りました」


 反応できずにいるヴェルに、ミコトが事情を説明する。


「あなたの捜査に、この冴継も同行させてほしいの。現状、緩やかに増加の一途をたどる人工生命犯罪に対して、掃除屋の人員不足は深刻。ただでさえ特殊な技術や思考力が求められる上に、任務に赴けば常に危険と隣り合わせだもの。あなたはアリシアの下で五年間、目覚ましい成果を挙げてくれた。そろそろ、後進の育成にも力を貸してもらうわ」

「お断りします」


 ヴェルはミコトの目を見てキッパリと言った。


「ダメ」

「嫌です」

「どうして」

「俺が後輩の育成なんてできるわけないです。向いてない」

「それでも、これは命令です」


 さっきまでの温和な態度はどこへ行ったのか、ミコトは全く譲ろうとしなかった。この若さでこの地位にいるのである。それなりの胆力もあるのだろうと思っていたが、今のヴェルの目には、ミコトは拗ねている駄々っ子にしか映らない。


「……お言葉ですが、こんなヒョロヒョロのガキに掃除屋が務まるとでも?」


 ストレートにそう言われて、立っていたナタリがビクつきながら改めて背筋を正す。


「冴継の能力は私が保証します。こう見えて、若手の中では今一番光るものを持っています。足りないのは、圧倒的な経験値。それをあなたに埋めてほしい。それでもあなたがそう言うなら、雑巾のようにコキ使って構わないし、現場で命を落としても、私が責任を取るわ」

「命を落とすのは、ちょっと……」


 か細い声で小さく呟いたナタリを、ミコトが眼光で黙らせる。


「と、に、か、く。彼女を使って。蒼井捜査官、いいえ、ヴェル。いいわね?」


 ミコトのその一言で決まりだった。それ以上、ヴェルが何か言おうものなら、今度は物でも飛んできそうな勢いだった。渋々ナタリとともに本部を後にすると、ヴェルは大きく溜め息をついた。


「あ、蒼井捜査官。私、せ、精一杯がんばりますので、ご指導よろしくお願いいたします!」


 ナタリは改めて、ヴェルに深々と頭を下げる。


「よせ。俺は本当にパートナーを取るつもりはない」

「そ、そんなぁ……私が怒られます……」


「なら、怒られるといい」


 ヴェルは、ナタリを顧みることなく歩き出す。


「あの……どちらに?」

「……」


「あ、長官からお話のあった、例のテンペストの生き残りがいる病院ですね? でしたら車の方が」


 思いがけないワードに、ヴェルの足が止まる。


「車、だと?」


 ヴェルの知識では、車を使えるのはドーム建造に貢献し、何らかの財を成した超富裕層、もしくは政府高官や、ミコトのような社会的地位の高い者たちだけだ。最下層には、それこそ旧時代の車の残骸が山ほどあるが、実際に走っている姿は中層より下ではほとんど見たことがない。


「あ、はい! もちろんファントムの持ち物ですが、長官から一台いただいています。『仲良く使え』と……私、運転できますが、ど、どうされますか?」


 長官は、このナタリとかいう小娘に弱味でも握られているのか? どうしてそこまで厚遇するのか、ヴェルには分からない。


 ヴェルはデバイスでマップを立ち上げて病院の位置を確認した。病院は中層の郊外、外れの外れもいいところにあり、徒歩だと半日以上かかることが分かる。小さく、ナタリに聞こえないように舌打ちをする。


「……車、取ってこい」


 ヴェルは心の中で悪態をついた。

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