<case : 06> verification - 検証

上層は下層とは打って変わって、無機質な建物が立ち並ぶビジネス街で、公共施設のほとんどが上層に集中している。


ヴェルの所属する人工生命犯罪対策室〈ファントム〉の本部もその一角にある。灰色狼のロゴがついた、巨大なビルがそれだ。


「掃除屋さまのご登場だ」


 セキュリティゲートを抜けると、白衣を着た痩身の男が待っていた、キオンだ。半身を潰され療養期間を取っていたこともあって、生のキオンと会うのは実に数ヶ月ぶりのことだった。


「うーん、ちょっと痩せたんじゃないか。ちゃんと食べてんのか?」


 キオンはヴェルにハグすると、心配そうな顔をして言った。


「俺はお前の息子じゃないんだよ」


 裏の仕事が多い掃除屋には、気性が荒い者や、もともと犯罪組織に属していた者もいる。経歴だけ見ればヴェルもそう大差なく、一般職員の中には恐れて近づかない者も多かった。


 しかし、この斎藤キオンだけは関係なく、いつ会っても距離が近い。


「さっそくだが、これを見てくれ」


 二人でエレベータに乗り込むと、キオンはデバイスを操作して、ヴェルの眼前にVRスクリーンを展開した。そこに表示された検死中のダンジの写真を見て、ヴェルは呻く。


「これは……」


 あの夜、ダンジの顔半分は、アリシアを殺した醜い怪物のそれに酷似していた。しかし、写真に映っているダンジの顔は、硫酸をかけられたように原型を留めず崩れ落ちてしまっていた。


「詳しい理由はまだ解明できていない。とりあえず、分かっていることを伝えよう」


 ヴェルが頷くと、キオンは話を続ける。


「まず、瀬田ダンジのストーキングで吸い出せた彼の人格データを解析した。いくつか、奇妙な点があるんだ。これは、その一部なんだが……」

「おいおい、俺はお前みたいな優秀なエンジニアじゃないんだ。生の人格データなんて専門外だぞ」


「そう言うと思ったよ。ほら、ここだ」


 キオンがデバイスを操作すると、映し出されているコードの一部が赤くハイライトされる。


「人格データ上にいくつかある、この赤いハイライトがついているコード群。これは本来、瀬田ダンジの人格データには存在しないコードだった」

「じゃあ、拡張データか?」


 ヴェルの発言に、キオンは目を丸くする。


「冴えてるじゃないか、俺も最初はそう思ったんだ。拡張データは、労働型マキナスの行動要件に応じてインストールするもので、確かに人格データに上書きされる追加プログラムのようなものだ。データ解析に従事するマキナスに、計算能力向上の技能を付与したりできるわけだが、最下層で暮らす瀬田ダンジにインストールされることは、まずないだろう。もちろん、一応調べたんだが、この赤いコード群と流通している既存の拡張データは、全て一致しなかった」

「拡張データじゃないのなら、この赤いコード群は一体何なんだ?」


 ヴェルがそう問いかけると、キオンは腕を組んで大きくため息をついた。


「分からない」

「お前でも、そんなことあるのか」


「俺もこんなのはじめてだよ。ただ、いいか? 今の話は、戦後に普及した〈新時代のネットワーク〉上のデータと比較した場合の話だ」

「〈新時代のネットワーク〉……ああ、そうか」


「今、俺たちが利用しているのは、ドーム建造後に構築された〈新時代のネットワーク〉だ。それ以前の〈旧時代のネットワーク〉は、次の大戦勃発を恐れたドーム中央政府が封印して、今は許可がなければアクセスができない。何しろ、〈旧時代のネットワーク〉には、第三次世界大戦の引き金になった各国の超特級機密情報が、今もわんさか埋もれているんだからな」


 地上を汚染した大量破壊兵器や生物兵器の設計図、隠された核弾頭の在処。そして、マキナス創生に関わる人工生命体創造計画の内部情報まで、ありとあらゆる暗黒時代の情報を、旧時代のネットワークは保有しているという。


 一方、〈新時代のネットワーク〉は、ドームの運用に必要となる最低限のソースのみを切り離して移管し、運用されている。〈旧時代のネットワーク〉上に氾濫した情報が、第三次世界大戦の引き金となった。


 取り返しのつかない犠牲を払った人類は、その情報へのアクセス権を自ら遮断した。


「瀬田ダンジのコードを旧時代のネットワークで参照するために、閲覧申請を出している」


 キオンが手順通りに調べを進めているのはヴェルにも理解できたが、腑に落ちない点がある。


「もし、そのコード群が旧時代の遺物だとして、それがどうしてダンジの人格データに刻まれる?」

「それだよ」


 とキオンは頭を抱え、再び大きな溜め息をついた。


「今はまだ分からない……。それに、〈旧時代のネットワーク〉を参照した結果、コード群が何らかの拡張データだったとしても、ダンジが壁を突き破った異常な力の説明はつかないんだ……。拡張データは、素体が持つ能力の限界を超えることはできないからな。今、検死結果からも、ダンジが通常規格の労働型マキナスであることは間違いなくて、あの壁を突き破るような力はないことが分かってる」

「なら、例の女の正体は?」


 ダンジが最後に見た、狐の面をした女。その映像が、ヴェルの脳裏にフラッシュバックする。


「それも不明だ。現地に人をやって聞き込みも入れているが、今のところ、有力な情報はない」

「そうか……」


 まだある、とヴェルは思う。ダンジが死の間際に言った言葉を反芻する。『男に言われた』『人間になれる』『薬』……。それらの言葉の真意も、探らなくてはならない。


「これだけ分からないことだらけだと、気味が悪いな」


 ヴェルがそう言うと、キオンは神妙な面持ちで黙り込む。


「何だ、まだあるのか?」


 キオンは小さく頷き、言葉を選んでいるらしく、しばらく考えてから口を開く。


「……今説明した、不明のコード群さ。俺もエンジニアの端くれだ。ソースコードを見ればどんな奴が、どんな風にこのコードを構築しようとしたのか、その片鱗くらいは感じ取れると思っている。けど……このコードは、何というか……作り手の感情のようなものを、一切感じないんだ」

「感情……」


「ああ、抽象的な表現ですまないが」


 意外だ、とヴェルは思った。キオンは実直な男だ。分析官として合理的に物事を推し進めていく。その手腕はヴェルも全幅の信頼を置いている。その男が、そんな表現をするとは思わなかった。


「……まあ、これは俺の感想に過ぎない。気にしないでくれ」

「いや、参考にする」


 音が鳴って、長らく上昇を続けていたエレベータが目的階への到着を知らせる。


「って感じだから、この件、もうちょっと詳しく調べないと何とも言えない。〈旧時代のネットワーク〉の閲覧申請が通ったらまた連絡する。長官に会うんなら、どの道、この件も話題に出るだろうしな」

「ああ。頼む」


 キオンはヴェルの肩をぽんと叩いて、エレベータを出ていく。


「ファントムへ、おかえり」


 扉が閉まる。エレベータに残ったヴェルは再び上階へ移動し、最上階で降りる。

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