第6話
夕食の席で、私はすでに席に着いていた男性に目を奪われ、何度も瞬いた。
晩餐会というほど豪華ではないけれど、今日はヴィルヘルム様をお招きして私の家族と懇親会めいたものを行なう予定になっていた。
先ほどまで私の部屋にいたお兄様たちや両親が、見知らぬ男性と歓談中だ。私だけのけ者なのは良いとして、もしかしたらその麗しい男性はヴィヘルム様ですか?
念願の素顔公開は明日だと思っていたのに、心の準備ができていない今、目の前に前世から恋焦がれたヴィルヘルム様がいる。素顔は知らなかったけれど、山男のような風貌で心が優しく悪役令嬢エステリを唯一幸せにしてくれる人。
心臓が早鐘を打っているのを感じる。心臓が弱くて入退院を繰り返していた前世の私なら、今この瞬間に間違いなく召されていただろう。自信がある。
どうしよう、ヴィルヘルム様を直視できない。格好良すぎてどうしようというか、何事もなければそう遠くない未来に、性格が良くて顔も良い旦那様と毎日一緒という日々が待っているはずだ。そんな日々を送ることを考えると、私の心臓がときめきすぎて止まらないか不安いっぱい。
ときめきが止まらなくて助けて欲しい、と頭の中で捲し立てるもう一人の私がいる。分かる、気持ちはとてもよく分かる、というか私ですし。
まずは薄目で遠くから眺めたいけれど、皆が入ってきた私に注目しているからそんなことはできないし、目をそらすのも不自然だ。
「おお、来たか」
ご機嫌なお父様に呼ばれ、私は意を決して歩き出す。手と足が同時に出てしまいそうなほど緊張していたけれど、涼しい顔をして空いていた席に腰を下ろした。
眩しい。
向かい側の席に座るヴィルヘルム様と思われる方のお顔が眩しい。本当に私の一回り上の年齢ですか? 歳をとらない生き物なんですか、と聞きたくなるほど若々しい。私と同じくらいは言い過ぎだけれど、落ち着いているし風格があってとても素敵な年上の男性だ。
髭は剃られ、長かった髪の毛もセットされている。今まで前髪越しにしか見えなかった瞳は、切長でとても深い赤だ。宝石のように煌めいて見える。私の髪は鮮血のような色をしているけれど、ヴィルヘルム様の隣に座るお母様の深い赤髪と似ている。
整った顔立ちで無表情なら威圧感と冷たい印象を受けるのだろうけれど、今は私を見て優しく微笑んでいて雰囲気も甘い。はっきり言ってとても恥ずかしい。
前世では恋愛皆無で過ごしていたし、この世界でも恋愛初心者と言っても良いくらいなので、この甘い雰囲気にどうしていいか分からなくなる。
もう絶対に顔が赤いし、どこに目を向けていいのか分からなくて視線を彷徨わせているから失礼極まりないし。とにかくヴィルヘルム様と目が合わせられない。
なんというか、長年の夢が叶う瞬間への心構えが足りなかった。こんなに早く訪れるなんて!
「あら、あらあら」
お母様に助けを求めるように視線を向けると、目があった途端ににっこりと微笑まれた。
「この子の照れている顔なんて初めてじゃないかしら」
私が求めていたのはそれじゃないのよ、お母様。
さらに頬を染めていると、お父様まで珍しいものを見るように顔を覗き込んできた。本当に恥ずかしいからやめてほしい。
「これは辺境伯の願い通りになったみたいだな」
反射的にヴィルヘルム様を見ると、それはもう悪戯が成功して喜ぶ子供のような表情で私を見つめている。大人の余裕を見せつけられている気がするけれど、さっき私に告白されて照れていたのは別人ですか?
そんなヴィルヘルム様の顔を直視してしまった私は、格好良いのになぜか可愛いいと息を飲む。さらに、その表情から私へ甘い気持ちが向けられていることに衝撃を受けて、本気で倒れてしまいそうになった。さっきの今でその表情は狡いと思う。それを必死に耐えた私は偉いはずだ。
私はヴィルヘルム様にこんなに気に入られるようなことをしただろうか。こんなにも早く甘ったるい視線を受けるようなことをした記憶がない。
確かに私は告白をしたけれど、ヴィルヘルム様が同じ気持ちを感じてくれることは、そんなに早く来ないだろうと思っていた。
嬉しく思うべきところなんだろうけれど、困惑の方が強くて現実味がない。
その後も、お父様やお兄様たちが何か言っていたけれど、私は倒れないように意識を保つだけで精一杯だった。
その日の夕食の味を、私はまったく覚えていない。
頭が真っ白になったまま気絶するように寝落ちした私は、婚約式の朝を迎えた。
ぐるぐると考えることを早々に諦めて寝たからか、頭はすっきりとしている。
タイミングよくレラがやってきて、朝の準備を始めた。
婚約式はヴィルヘルム様のご家族も参列しやすいように、辺境伯領とこちらの領地の間にある教会で行うことにしていた。もし、ヴィルヘルム様が今回の話を断った時は無駄足を踏ませてしまうところだったけれど、そうならなくて本当によかったと思う。
朝から用意して昼には教会に向かい、ヴィルヘルム様と私は正式に婚約する。
「お嬢様、締まりのない顔をなさらないでください。お化粧ができません」
「はい」
流れるようにレラに謝罪しつつ、私は顔を引き締める。
どうも今日は垂れ目が強調されているような気がするけれど、きつく見えるよりはおっとりとして見える方がいいだろう。
今日のドレスはヴィルヘルム様の瞳の色に合わせて赤にした。瞳の色は先に教えて貰っていたのだ。
髪はド派手な赤だけれど、ドレスはシックで大人な雰囲気のデザインで色も抑え目にしている。私がヴィルヘルム様よりも年下なのはどうにもできないことだけれど、少しは背伸びをして隣に並びたかった。
でも昨日も思ったけれど、あんなにお顔が良くて性格も最高なのになぜ今まで縁談がまとまらなかったのだろう。不思議で仕方がない。まあ、そのおかげで私が隣に並べることになったので万々歳だけれども。
ヴィルヘルム様は先に教会へ向かって準備をされるということで、お父様たちと一緒に行ってしまい朝はお顔を見れなかった。
少し残念だったけれど、どうせすぐに会えるのだ。
私は上機嫌のまま馬車に乗り込み教会に向かったのだけれど、教会に着いたところで騒がしい声が聞こえた。
それはとても聞き覚えのある声で、私は頭を抱える。
これはない。悪夢だ。
なぜ呼んでもいないバカ王子の声が聞こえるのか。
それに続いて、関わり合いにならないようにしている私に、事あるごとに難癖をつけまくるイーナ嬢の声も聞こえてくる。
「嘘でしょう」
せっかくの気分が台無しである。
ヴィルヘルム様の声も聞こえてきて、こんな日に最悪の出来事の対応させていることに胸が痛む。私が原因なのにヴィルヘルム様に対応してもらうのは違う気がする。
私は深いため息を吐きながら、馬車を降りる覚悟を決めたのだった。
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