第5話

 レラに活を入れられ、私はヴィルヘルム様の照れ顔にまいっている場合ではないと話を進めることにした。

 ヴィルヘルム様を立たせたままなのは胸が痛むし、これまでの話で伝えたいことも伝えられたと思う。あとはヴィルヘルム様の心にお任せしよう。やるだけのことはやったし、ヴィルヘルム様の照れた様子が拝めただけで大満足です。

 

 私は立ち上がるとヴィルヘルム様の手を両手で包み込む。淑女としてははしたないと思われてしまうかもしれないけれど、触れた手は温かくて安心できた。ゴツゴツとしていて剣を振るってきたのが分かる、たくさんの人やものを守ってきた手だと思う。

 

「私は今でも十分幸せです。家族も側に仕えてくれる者達からも愛情を感じていますし、自由に動ける丈夫な体もあるんですもの。きっと、これからだって幸せですわ。ただ、そこにヴィルヘルム様もいてくだされば良いなと欲が出てしまったのです」

 

 そう、欲が出てしまった。

 自分がこの世界で精一杯生きると決めた日から、自分の幸せのため、愛する人たちのため、領地の人々、国のために自分のできることをしようと前へ前へと進んできた。婚約破棄は予想していたことだけれど、今までのことは無駄ではないにしても捧げた時間や思いはなんだったんだろうと帰宅してからほんのちょっぴり胸が痛んで。そこで確かに選択肢にはあったけれど、前世から大好きだったヴィルヘルム様に手を伸ばしてしまったのだ。小さな小さな胸の痛みを忘れたくて、子供のように私の中にあるキラキラと光るものを欲しがった。

 

「お話は以上ですわ。ヴィルヘルム様を巻き込んでしまって本当に申し訳ありません。今回のことは明日の朝まで熟慮された上で、お心のままに判断をしていただきたく思います。そしてもし、今回のお話を受けていただけるのなら、今お話しした内容をご家族にも私からしっかりとお話しするとお約束します」

 

 私はヴィルヘルム様を見つめ、一気に言葉を吐き出した。顔の半分ほどが見えないけれど、驚いているのは分かる。

 勝手に手を握ってしまったし、言いたいことを捲し立てた。それに、内密にと告げた内容も話すと言っているのだから驚かれる要素はある。

 でも私の想いを、意図を間違えずに受け取って欲しかった。

 私が真摯な目を向けていると、ヴィルヘルム様の口角がゆっくりと上がる。それをぼんやりと見つめた。

 

「俺の方が一回りも年上だというのに、こんなに熱列な告白をされるとは思っていなかったな」

 

 苦笑気味にヴィルヘルム様は言うと、私の前に跪く。そして、改めて私の手を取ると、手の甲に口付けた。

 

「明日までの期限など要らない。俺はあなたのことをもっと知りたくなった」

「あの、それでは……」

「明日はよろしく頼む」

「はいっ、こちらこそ」

 

 ヴィルヘルム様が私と婚約してくださる。

 前世から恋焦がれた人物との夢のような話に、私はそれが消えてしまわないように願いながら何度も何度も頷く。

 その様子をヴィルヘルム様とレラが優しく見守ってくれているのを感じながら、私は目の端に滲んだ涙をそっと拭った。

 

 その後、ヴィルヘルム様は私を部屋まで送ってくれた。

 私はまだ夢見心地で、ホワホワとした気持ちのままヴィルヘルム様の隣を歩いて部屋に辿り着いた。

 部屋の中に入る手前で、私は彼を振り返る。

 

「あの、私もヴィルヘルム様のことを、これからもっとたくさん知りたいと思っております」

 

 私が知っていたのは、ゲームでエステリを幸せにしてくれるらしいということと、山男のような姿だけ。

 実際にお会いしてして気付いたのは、とても優しいことと竜を大切に思っていること、照れると可愛いところと、ゴツゴツとしたたくさんのものを守ることができる手。困ったような表情をしながらも、少しだけ見えた眼差しは優しかった。

 もっとたくさんの表情を見たいし、何が好きで苦手なのか、どういったことに興味があるのかを知りたい。

 一つの欲を叶えてしまったら、ヴィルヘルム様に対して多くの欲が溢れ出た。でも、きっとこれは当たり前のことなのだ。好きな相手のことを知りたいと願い、相手の幸せを思うのは。

 自分自身の幸せももちろんだけれど、ヴィルヘルム様のことも私は幸せにしたい。

 まだ言わないけれど。

 

 そんな突然の私の言葉を受けて、ヴィルヘルム様は驚いていたようだったけれど、すぐに返事をくれた。

 

「それは嬉しいな」

 

 そんな嬉しい言葉を残し、ではまた後で、とレラに案内されながらヴィルヘルム様は去っていく。

 遠ざかる後ろ姿を、行儀が悪いと思いながらも扉の影からこっそりと見送ったのだった。

 

 

 

 

 しばらくして、部屋のドアを叩く音が聞こえた。

 

「エステリ、私だ」

「カールレ兄様! どうぞ」

「僕もいるけどね」

「まあ、イルッカ兄様も!」

 

 もしかしたら心配してきてくれたのかもしれない。もしくはレラに聞いて駆けつけたかそのどちらかだろう。

 二人とも私に甘い。甘すぎて本当に大丈夫なのかと心配になる時がたまにある。

 カールレ兄様は私と同じ赤髪でキリッとした瞳のせいでクールな印象を受けるけれど、イルッカ兄様はお父様譲りの銀髪で私と同じタレ目なのもあってかおっとりとした印象を与える甘いマスクの人物だ。どちらも濃紺の瞳を持った美青年で人気もある。

 二人とも見た目百点の、有能ぶりも評価に入れると妹の贔屓目を差し引いても三百点満点だ。私の自慢のお兄様たちだ。

 どちらも引く手数多なはずなのに、妹が嫁に行くまでは自分たちの話は保留でと言って後回しにしている。それをお父様もよしとしているのでなんとも言えない。

 

「話は終わったんだろう?」

「ええ、ちゃんと聞いてくださいました。あと、お返事は明朝でいいと言ったのだけれど、もういただいてしまったの」

「もちろん受けてくれたんだろう?」


 それが当たり前だとでも言うように、二人の兄は私の前で満足そうに頷く。まだ何も言ってないんだけれど、ご想像通り受けてくれました。


「そうなの。私のことをもっと知りたいと言ってくださったわ。厄介ごとに巻き込んでしまったのを責めもせず、私自身を見てくださったの」


 自分の目の前で両手を合わせ喜んでいると、左右から大きな手が伸びて頭を撫でてくれる。小さい頃から変わらない。きっと、彼らにとって私はいくつになっても可愛い妹なのだ。


「僕の可愛い妹を悲しませるようなやつだったら、いくらエステリの頼みでも先にこの話をぶち壊していたからね」

「私もその意見には賛同する。妃殿下から良い青年だということを聞いたから頷いただけで、悲しませるようだったら領地出禁にするところだった」


 二人とも目が本気すぎて怖い。これ、ヴィルヘルム様が断ってたら血の雨が降ったかもしれない。そのくらい愛されていることを喜べば良いのか、道を間違えてしまう前に矯正すべきなのか悩む。

 大切にされていること自体は嬉しいので、私は締まりのない笑みを浮かべながら、お兄様たちの気が済むまで頭を撫でさせていたのだった。

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