四枚目 言の葉が舞い降りる

16-1 言葉にできなかった過去さえ-陽向-


 ——言葉が降りて来る。


 その表現は、二週間程前、久し振りに琴葉と二人きりで音楽室にいた時の会話の中で生まれたものだった。


 春からずっと僕らを見守り続けた桜が、色褪せた葉を散らす季節になった。

 たまたま開いていた窓から、その色褪せた桜の葉が舞い、音楽室に降りてきたのを見て、琴葉が言った。


「陽向の言葉もさ、この葉っぱが舞い降りて来るみたいに、出てくるようになるといいね」


 何故そのような綺麗な表現をさらりと言えてしまうのかと思った。彼女にそれを伝えると恥ずかしそうに頬を赤らめ、「そう?そんなに綺麗だったかな?」と答えた。


「うん、すごく」

 そう言葉を吐いた時、一つの考えが浮かんだ。


「こ、琴葉、前に自分の曲を作ってみたいって言ってたじゃん。今の言葉を題材にして作ってみたら?」


「いいけど、どんなのがいいかね。さっきのをタイトルにするの?そのままじゃちょっと微妙じゃない?」


「そうだね。うーん、た、タイトルは、『言の葉が舞い降りる』とかは?」


「良い、それすごく良いかも。なんか創作意欲が湧いて来た。うん、やってみるよ。楽しみに待ってて」



 •


 •


 •



 『言葉が降りて来てるよ』そう言われた時、僕は耳を疑った。勿論、その言葉の意味と琴葉が伝えたかったことは理解できたのだが、自分で吃らなくなっているとは全く気づいていなかったのだ。気が付かないなんてそんな馬鹿なことがあるかと自分でも思うが、案外そんなものなのである。

 今思い返すと恥ずかしすぎて穴があったら入りたいくらいだが、美術室で大声を上げてしまった時は言葉が滝のように流れ出てきていたので気にしていなかった。

 その後、琴葉と座って対話した時も、家に帰り父と祖父にダメだった伝えた時も、つい先程琴葉と電話で話した時も、吃っていないなんて全く意識していなかった。今考えれば美術室の時から心が軽くなったような気がしたが、深く考えるほどでもなかった。


 吃音症に効果がある事として”気にしない”ようにすることが挙げられるが、中々意識して出来ることではない。それがいつの間にかできていたのだろうか。

 とにかく一人でいる今は確かめようがないので、明日を楽しみに今日は寝るとする。逆に明日、意識しすぎてもいけないのでどうにか一度”吃音が治った”ということを忘れるように努力して布団の中で目を閉じた。





 朝から五月蝿うるさいくらいに元気の良い生徒たちで溢れる廊下を抜け、開け放たれた扉から教室に入る。今日は登校中に琴葉たちと遭わなかったので、初めての会話は先が近い一樹になりそうだ。

 ああ、意識してしまっているではないか。良くないな、と思いつつもやはり緊張してしまう。汗が額を流れるような気がする。手を強く握り、彼になんでもない朝の挨拶をする。


「おっ、、は、よう」

 これは詰まらずに出た、のか?


「おはよう、」

 一樹がキョトンとした顔でこちらを見る。


「どうしたの?朝から。顔が怖いよ」


「いや、あのさ」


「ん?」


「僕、今普通に喋れてるよね?」


「うん。普通だけど、なんで?」


「なんでって、あの、」


「あっ!!!!」

 いきなりの大声に一瞬怯んでしまった。


「もしかして言葉に詰まって、ない?」


「うん、」


「え、治ったの?」


「う、う、うん」


「今のはわざと?」


「うん。」

 二人で見つめ合い、数秒間の沈黙が流れる。そして、


「くくっ、」


 堪え切らずに先に吹き出したのは一樹だった。


「ぷははっ、わっはっはっは」

「ふふふっ、ははっはははっ」


 僕も堪えられずに笑ってしまう。二人で見合っていたのがまるでをしていたかのように何故か面白くて、笑いが止まらなくなる。


「そうか〜治ったか。いや、良かったね。本当に良かった」

 笑いながらも優しい言葉をかけてくれる彼はどこまでも良い友達だ。


 朝登校したばかりにも関わらず、急に大声で笑い出す二人を見て周囲が訝しむような、冷たい視線を飛ばしているのを感じるが、そんなことなどどうでも良いほどに何かが可笑しくて、止まらない笑いを続けていた。

 ふと、僕の目線の奥から強烈な三つの冷たい視線が飛ばされているのに気づいた。


「あ、みんな、おはよ」


「お、おはよう。朝からなんでそんなに笑ってるの。すごい変な人たちみたいだよ」

 朱莉が宇宙人でも見たかのように目を細めながら言う。


「そんな事言っている場合じゃないよ。いやね、陽向の言葉の詰まりが治ったんだよ」


「え?本当に?良かった。それは本当に良かった」


「おめでとう、でいいのか分からないけどよかったね、森本」


「やっぱり治ってたんだ。もうこれで下を向いてる必要はないね。おめでと、陽向」


「うん、ありがとう。これでやっとみんなとちゃんと話せるよ」


「え?私たちはちゃんと話せてたつもりだったけど?」


「いや、吃りがあると、言いたいことを回りくどく言ったりするからね。僕としては話したいことをちゃんと話せてた気はしなかった」


「いやー、分かるなそれ。自分が苦手なカ行とかは回避するんだよね。でもそれだと伝わりづらかったりして」


「琴葉も大変だったもんね、昔は。というか、陽向の吃音が治ったのは気づいてたの?」


「昨日の夜にあれ?って思って電話したんだよね。そしたらやっぱり治ってるっぽくて。ね、陽向?」


「うん、僕もそれで初めて気づいたんだよ」


「本当に?意外とそんなもんなんだったりするの?」


「うん、案外そんなもんなんだよ〜」


「あ、ねえ、そういえば完全にスルーしようとしてたけど何であんな大笑いしてたの?」


「いやー、ちょっと、ね?一樹」


「うん、ちょっと色々ね。朱莉もあるでしょ?ツボっちゃうこと」


「そうだよただツボってただけ」


「なんか変なの。まあおめでたいことだし見逃してあげるよ」


「なんだよ見逃すって。別に悪いことをしていた訳じゃないし。」



 カーンコーンカーンコーン


 一日の始まりを知らせる鐘が鳴った。

 この鐘の音と共に僕の新しい日常が始まる。


 そして、やはり楽しい時というのは、過ぎるのが普段の何倍も早く感じるのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る