16-2 言葉にできなかった過去さえ-琴葉-

 陽向の吃音が治った。そのおかげか昨日、今日の彼はいつもよりどこか楽しそうで、心から良かったと感じる。


 私はといえば彼が提案してくれた、オリジナル曲作りに取り掛かろうとしているのだが、やはり曲を作るということは難しく、中々進まない。

 言いたいことがありすぎて言葉が纏まらなかったり、それを音に乗せるのが難しかったり、自分のイメージに合った音が見つからなかったり。問題は山積みだ。


 今日は木曜日なので、私は掃除当番になった三人よりも一足先に音楽室に来ている。詩を書くのが難しかったので先にメロディーを作ろうと思い、ギターのコードを幾つも鳴らし、頭の中にある音に近いものを探している。

 今までカバーしかしてこなかった代償なのか、あまり覚えているコードが多くないので、苦戦しているのだ。


 そして勿論、曲を作っていることは他の人には言っていない。提案してくれたのは陽向だが、どうせすぐに忘れているだろうし、忘れた頃にサプライズで歌ってあげるのも良いな、などと妄想を膨らませている。

 最も、その事ばかり考えていたせいで今日歌う曲が決まっていないという本末転倒な状態なのだが。


 ガチャリ、と引くタイプの重い音楽室の扉が開く音がすると共に三人が部屋に雪崩れ込んでくる。何の話をしていたのかは分からないが、何やら盛り上がっているようだ。


「いいから言ってみなって。折角吃らなくなったんだし良いチャンスじゃん」


「そうだよ、絶対優しくしてくれるから」

 私になにかしてもらおうとしているのか?全く察しが付かず、自分の頭の上にはてなマークが浮かんでいるのが容易にイメージできる。


「なに?どうしたの?」


「いや、えっとね、僕もギターを弾いてみたいなって思ったんだけど、教えてくれないかな」


「え!本当に?勿論良いよ!」


「まじ?やったあ!ありがとう」


「じゃあ今日は時間が来るまでみんなでギター触ってようか」


「一果と朱莉は?」



「私たちはいいよ、見てるだけで楽しいから」


「あれ?陽向、二人の呼び方変えた?」


「うん、さっきそろそろ名字呼びは堅苦しくない?って言われちゃって」


「いいじゃん、そっちの方が自然だよ」


「そう?なら良かった」


「そんなことより早くギター教えてあげなって。時間無くなっちゃうよ」


「ほんな焦ることでもない気がするけど、まあそうだね、じゃあやるか」


「よろしくお願いします」


「あ、音楽準備室に学校のアコギ二本くらいあったと思うから使ったら?」


「そんなのがあるのか。分かった」

 そう言って陽向は小走りで扉を出て、すぐに戻ってきた。やはり二本あったが、ビビッと来た方をパッと持ってきたらしい。


「じゃあね、まずはギターを触る前には必ずチューニングっていうのが必要になるから、これを使って音を合わせてみよっか」


 ポーン


 六本ある弦を一つずつ鳴らしていく。


「ここの表示が緑になるところで音が合うから———」




「———そうそう!それがCコードっていうやつ。一番スタンダードなコードかな。弾き語りの人は、大体この”コード”を左手で押さえて、右手でストロークをしたり指弾きをして演奏するんだよ」


「すごい!既にちょっと難しいけど、楽しいかも。音が綺麗に鳴ると気持ち良いね」


「でしょでしょ!まずは少しずつコードチェンジをスムーズにできるように———」




 陽向が音楽に興味を持ってくれたことが嬉しかった。今、彼は絵を描けていないので、他の芸術に触れるのも良い影響がありそうだ。


 何よりも嬉しかったのは、陽向の「琴葉を救っていう音楽を、歌を僕もやってみたい」という言葉だった。私の身体の半分を構成していると言っても過言ではない音楽を、彼が積極的に触れて入れると言うのは私にも興味を持ってくれているみたいに感じられるのだ。


 家に着くと、机に向かって歌詞を考える。もはや愛しさすら感じられる彼の顔を頭に浮かべてペンを走らせる。

 今度は歌詞を書き上げるのに、多くの時間は必要なさそうだった。


 ♪


 ♪


 ♪



 十月に入った。曲作りにはあの後一週間程の時間を費やし、自分が本当に良いと思えるものを作った。

 そして訪れた火曜日の放課後。陽向へのサプライズの日に設定していたこの時が来た。今日の件を一果と朱莉に言うと、二人の方が良いだろうと今日は先に帰ってくれた。どこまでも優しい友人たちだ。

 ギターを片手に最終確認をしていると陽向が音楽室に入ってきた。


「あれ?今日は一果と朱莉は?」


「今日は先に帰るって」


「あっ、そうなのね」


「うん」


「なんか今日固くない?」


「そう?」


「うん、なんか」


「陽向さ、」


「ん?」


「一ヶ月くらい前にオリジナルの曲作ってよ、みたいな事言ったの覚えてる?」


「うん、勿論。待ってたよ」


「え?覚えてたの?」


「勿論だよ。言の葉が舞い降りる、でしょ。いつかなって思ってた」


「そうだったんだ。待たせてごめんね」


「ううん、全然大丈夫。それが、できたの?」


「うん、陽向の吃音が治ってから、色々考えながら作った」


「そうなんだ、それは楽しみだな」


「あ、そんなもうすぐに聴きたい感じ?」


「そりゃそうでしょ。後回しにするの?」


「いや。そうだよね」


「ちょっと緊張してる?」


「うん、」


「珍しいね」


「今回は自分で書いた詩だから、気持ちが入っちゃうっていうか。勿論今まで気持ちが入ってなかったって訳じゃないけど」


「分かっているよ。琴葉がちゃんといつも気持ちを込めてくれていることは」


「そう、伝わっているなら良かった」


「だから、いつも通りやってほしいな」


「うん。分かった」


 彼の目を見て頷く。


 ジャラ〜ン、ジャン、ジャカジャカ ジャッ!

 適当に曲に出て来るコードを弾き、覚悟を決める。


「よしっ!」

「ふーっ、それじゃあ聞いてください。『言の葉が舞い降りる』」




『言葉に出来ない言葉があった

 君に伝えたい気持ちがあった

 体が唸るほどの思いを

 伝えられない日々だった』


 この曲は控えめなギターのコード弾きと歌から始まる。心は程よく熱く、程よく落ち着いている。

 歌詞は、敢えて陽向視点のものにした。私は周りに恵まれていたとは言ったものの、吃音の辛さは痛いほど知っている。彼が最近まで経験していたその痛みに寄り添ってあげられるものにしたかった。


『冷たい目を向けられ俯くしかできなかった

 君の光るその瞳を見ることなどできなかった

 喜び怒り哀しみ楽しさそれら全て

 君と分かち合いたかったのに』


 誰かと分かち合いたい感情があっても、それを言葉を変えて伝えなければならない。そうすると本当に真意が伝わっているのか不安になる。


『僕が拒んだ世界は本当は美しく

 風は吹き鮮やかな色が舞い降りて

 それを手に見上げれば空は輝くの』


 これは私が今まで陽向に伝えたかったこと。今は彼に伝わっているだろうか。



『僕の言の葉が舞い降りる

 はらり心の声を聴いてよ

 透き通るようなこの気持ち

 君に受け止めて欲しいから

 言葉にできなかった過去さえ

 埋め尽くすほどの言葉を

 かけがえのない時間を』




 演奏を終え、はっと我に帰る。完全に楽曲の世界の中に入り込んでしまっていた。慌てて彼の表情を見る。

 その顔は固まっていた。動くことのない地蔵や大仏様のお顔のように微動だにしない。だが、その顔の凹凸からは幾つもの感情が受け取れる。


 不意に彼の右目から一筋の涙が垂れた。その雫は頬を伝い落ちる。徐々にその量が増えていく。終いには両目から溢れる涙で顔をぐちゃぐちゃにし始めた。

 目の前の男子が堪えようとしながらもわんわんと声を上げて泣いている。みっともなくも、愛しさを感じざるを得ない彼の背中をさする。その背中は、大きいように見えて小さく、頼りないように見えてしっかりとしていた。





【言葉にできなかった過去さえ】

 Inspired by 葵琴葉『言の葉が舞い降りる』

(作詞:葵琴葉)

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