12-1 赤黄色の金木犀の香りがして-陽向-
去ってしまった夏の暑さはまだ残るものの、夕方になると秋の涼しさも感じるようになってきた。鮮やかだった空の色も次第に薄くなり、町全体が淡くなっていくのがなんだか寂しい。
コンテストの中間発表から二週間が過ぎた。
僕はこの間に絵が描けなくなっていた。それでもいつかこのスランプから抜け出せる時を待って美術室に入るのだが、筆を持っても全く発想が浮かんでこない。そんな状態になり、十日後に発表されるコンテストの最終結果だけが僕の心の支えになっていた。
絵は描けなくなっても琴葉が部活が無い時には変わらずに音楽室に通うようになっていた。
琴葉が一日一曲歌って、申し訳程度の勉強もしつつ、他愛ない会話を四人でする。いつの間にか日常になりかけているそんな日々が愛おしくすらなっていた。
このままではいけないという焦りが募る中、僕は今日も音楽室を訪れていた。
今日は小林と早坂が用事でいないとのことで、音楽室には琴葉と二人だ。
時が過ぎるのも忘れて、陽が遠くの山の向こうに沈みかけて、淡い空が茜色に染まるまで他愛もない話を続けた。琴葉が最近聴いている音楽や彼女の夢のことを教えてくれた。
「将来はそういうふうになりたいんだよね」という彼女の煌めいていて色鮮やかな表情は僕の心に深く刻み込まれる。
「じゃあ陽も落ちてきたし今日の歌うたってから帰ろっか」
会話が一度落ち着いたところで彼女が区切りをつけた。今日はどんな曲だろうか。
僕は今まで音楽には疎く、あまり知識も無かったが、最近は彼女のおかげで少しずつ聴くようになってきた。まだ琴葉の歌う曲は知らないものばかりだが、何よりも彼女の歌声が良いのでどんな曲でも心地良く、楽しく聴くことができる。
「今日は秋の曲を探してきたからそれを歌うね。秋のことを歌ってる曲ってあんまりないんだけど、これはぴったりかなって思って」
「秋の曲、た、楽しみ」
「最近金木犀の香りを色んなところで嗅ぐしね。陽向は金木犀って何色だと思う?」
「き、金木犀か、オレンジっていうよりも橙、いや、なんか違うな」
「ふふっ、じゃあこれで陽向の絵になる色が一つ増えたね」
琴葉が悪戯っぽく笑う。一体どういうことなのだろうか。
ポロポロと優しく弦を
イントロのギターのフレーズに哀愁が漂う。どこかいつもよりも不安定な歌声が琴線に触れる。過ぎ去った夏への未練を感じさせる歌詞が物悲しく感じられる
『冷夏が続いたせいか今年は
なんだか時が進むのが早い
僕は残りの月にする事を
決めて歩くスピードを上げた』
僕にとって今年は、今までにないほど早く時間が流れていっている。ただでさえこの日々がいつ終わるか分からないのに、更に歩くスピードを上げなければならないというのか。
『期待外れな程 感傷的にはなりきれず
目を閉じるたびに あの日の言葉が消えてゆく
いつの間にか地面に映った
影が伸びて解らなくなった』
夏が終わるのも一瞬だったように、この楽しい日々が終わる時もすぐに訪れてしまうのではないか、そんな不安がいつも胸の中にある。
『赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって
何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道』
最後のサビが終わった後も少しの間アウトロをポロポロと弾き続け、ジャッと一回鳴らして今日を締めた。
感想を伝えたかったが、とりあえず帰りながら話そうと言われた為広げていた勉強道具を片付ける。
「そういえばさっき言ってた色って赤黄色のことだったんだね」
「そうそう、あの曲のタイトルにもなってるんだよ」
「たしかにあの色は赤黄色っていうのが一番しっくりくるかも」
「でしょでしょ。それで今日の曲はどうだった?好きだった?」
「うーん、こ、こ、琴葉の歌がいいのは今日もそうだったんだけど、あの曲はなんだか不穏な感じがしてちょっとなんか体が拒否してた気がした」
「そっか〜私は好きなんだけどな、あの曲」
そういって彼女は俯いた。彼女の思うような返事をできなかったことを申し訳なく思うが、実際にどこか嫌な感じがしたから嘘をつく訳にもいかなかった。
いつもの分かれ道で手を振って琴葉と別れた。前を向いて歩いていく彼女の後ろ姿は心做しかいつもよりも色彩が薄い気がした。
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