6-2 夏が始まった合図がした-琴葉-

 私がギターを出して少しサビのメロディーを口ずさんでいると森本くんがそれに少し反応した。


「ん、この曲知ってるの?」


「ええ、まあ、聞いたことはあります」


「君、いつも音楽に興味なさそうだから少し意外かも。っていっても有名な曲だから不思議ではないかな」


 覚えたてのコード進行をざっと鳴らし、気持ちを整える。彼も向き直ってくれる。


「それじゃあ、いくね」

 一つ咳払いをして歌い始める。


 この公園で歌ったことは前にもあったが、彼と来たということもあってか少し感覚が違う。初夏の空は鮮やかで濃い天色をしている。遠くで生まれたばかりの入道雲は空の高い方へと向かって伸びを始めている。私の声も高く青い初夏の空の中を伸びゆく。ギターでジャカジャカと奏でる音は遠くの山の方へと抜けていく。



『私には関係ないと思っていたんだ』

『夏が始まった合図がした ”傷つき疲れる”けどもいいんだ』



 この歌詞が私が今日、この曲を選んだ理由だ。

 私には、彼には、関係ないように思えるけれど、この夏を『映画じゃない、僕らの夏』にしたい。そんなことを考えていた。それはこの歌がうたうような恋ではないかもしれない。それでも、一生忘れないような、終わった後に美しい夢を見ていた感覚になれるような夏にしたい。


 額を汗が滴ってくる。ストロークの合間に手の甲で湿った顔を拭う。初夏とはいえもう蒸し暑さを感じる時期だ。

 さらさらと優しい風が吹いた。ざあっと力強い風が吹いた。東屋の後方にある木々が揺れて、新緑の葉が舞い降りてくる。



 演奏が終わった。彼はいつものように力いっぱいの拍手を贈ってくれた。夏が始まった。



 歌をうたったら喉が渇いた。彼がスケッチブックを出している間、ジュースでも買ってこようか。


「ねー、下の自販機でジュースでも買ってこようと思うんだけど、なんかいる?」


「いや、お、お、お金、持ってないですし、、」


「大丈夫!お金なら私が持ってるから払わせて!」


「なんでそんなの持ってるんですか。用意周到すぎます。」


「でしょ〜なんかお好みはある?」


「なんでも大丈夫です。葵さんと同じので。」


「おっけー!」


『葵さんと同じので』彼のその言葉が脳内を反芻する。良い響きだけど、なんだかなー、と思う。

 公園内の丘にできた階段を降り、道路を挟んだ先にある直売所の外にある自動販売機でペットボトルに入ったサイダーを二本買う。

 振ってしまって炭酸が抜けないように注意しながら小走りで再び階段を登る。女バスの部活のトレーニングになりそうなくらいには息が上がる。


 階段を登りきると、彼は既にスケッチを始めていた。シャッシャッという音と共に彼が手を動かす隣に座り、間にサイダーを置いた。


「あ、ありがとうございます」


「いいっていいって〜」


 そう言って私がプシュッとペットボトルのキャップを捻ると彼も同じく手に取りキャップを回す。

 ゴクッゴクッと二人で喉を鳴らして一気にサイダーを流し込む。


「「っぷはーっ!」」


 同時に声があがり、なんだか可笑しくなって顔を見合わせて一緒に笑った。

 初めて彼が思いっきり笑った顔を見た。眩しいくらいの笑顔だった。


 楽しい。夏は始まったばかりなのに、既に夢見心地であった。



「あのさ、思ったんだけど、そろそろ名字呼びと敬語使うの辞めない?」


「え!あ、ま、まあダメではないですけど。」


「私のことは琴葉ってちゃんと読んで?それから、森本くんのことは陽向って呼び捨てにしても、いいかな?」


「良いですけど、あまりにも慣れていないので最初はと、と、と、と戸惑っちゃうと思います」


「全然いいよ!これで少しでも距離を感じなくなってくれたらいいな〜」



 ひと段落してから、彼はスケッチを再開した。まだ漠然としたイメージだけなので見ていても何を描いているのか正確には分からないが、やはり美しく、そして今回はこの晴れ渡る空のように爽やかな雰囲気だ。


 結局この日は陽が傾くまでここで絵を描いたり、歌ったり、夕日を眺めたりしていた。幾度となくここを訪れてきたが、この日見た景色は一生忘れることがないだろうと強く、強く心の中で思った。




【夏が始まった合図がした】

 Inspired by Mrs. GREEN APPLE 『青と夏』

(作詞:大森元貴)

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