二枚目 新緑の葉が舞い降りる

6-1 夏が始まった合図がした-陽向-

 試験が終わり、最初の席替えが行われた。僕の日々の平穏に貢献してくれた教室端の席ともお別れだ。次の席はどのようになるのか、僕だけでなくクラス中がソワソワしている。



 全員がくじを引き、新しい席へと移った。運悪く、僕はクラスのほぼ中央の席を引き当ててしまった。廊下から三列目のそこは僕がクラスの中心であれば大喜びをするような席だったが、生憎全くの反対の僕はただ落胆するしかなかった。

 一つだけ不幸中の”幸い”があるとすれば、葵さんが右斜め後ろという比較的近くの席にきたことだった。彼女と話す時の居心地はそこまで悪いわけではないので最悪彼女に助けを求めることが可能というわけだ。

 そんなことを思い右後ろを振り返ると彼女がこちらにウインクを飛ばしてきた。よく恥ずかしげもなくあんなことができるな、と思ってしまう。まあ可愛いは可愛いので許されるのだろうが。



「あのー、隣になったからよろしく」

 ふと前を向きぼんやりとしていると右隣の席の男子が声をかけてきた。他のクラスメイトよりも頭ひとつ抜けた高身長でおっとりと優しそうな彼は藍沢一樹だったか。

 みんなと仲が良さそうに見えるが決して大きな態度を見せたりせず、たまに不思議なことを言って周りを笑わせている。


「よ、よろしく」

 突然のことに少し戸惑いながらも挨拶を返す。最近会話をする数が多くなってきている気がする。悪いことではないと思うが、疲れるので多すぎるのも勘弁したい。


 こうして、これまでとは少し変わった新しい日常が始まった。

“少し変わった日常”の中でも僕と葵さんがそれぞれ美術室と音楽室に行くことは変わらなかった。

 体育祭や定期テストなどの行事がない時はいつもそれぞれ思うままの時間を過ごして、ふとした時に互いの教室を訪れる、そんな日々が過ぎて行った。




 梅雨を過ぎ、快晴の日が続くようになった。新緑の青々とした植物たちは日常の中の風景で鮮やかな色を見せてくれる。

 僕は今日もいつもと変わらずスケッチブックに絵を描くことに勤しんでいた。窓の外には小さな入道雲がその身体を大きく見せようと背伸びをしている。


 ふと、葵さんがいつもよりも少しだけ勢いよく、ドタドタ、という風に美術室に入ってきた。夏服のスカートの右側のポケットから使用禁止のはずのスマートフォンを取り出し、その画面を僕に見せる。


「あのさ、森本くんの絵、このコンクールに出してみない?」


 そこには全国を対象にしてで行われている水彩画コンクールのポスターが収められた写真が表示されていた。よくある夏休みの課題とは別の、本気でやっている人たちが参加するようなものだ。

 まさか、と思う。

 確かに最近は自分の絵が人に見られることの耐性もついてきたが、それとこれとは別物だ。やるからには僕も本気で良いと思えるものを描かなければならないし、他人に見せるために絵を描くなんて”自分のために絵を描く”という僕のモットーとは対照的な行為だ。


 そのことを丁重に説明して断ったが、彼女は引き下がらない。


「もう気づいてるかもしれないけどさ、私は君の絵にすごくたくさんのものを貰ったから、そういうような力が君の絵にあるって信じているんだよね。だから君の絵がもっと多くの人の目に触れてほしいって思っているんだけど、それでもダメかな?」


 こうも情熱的に頼み込まれると、断れなくなってくる。彼女と関わり始めて気づいたが、僕はこのような押しにめっぽう弱いらしい。それを知った上で頭を下げる彼女は本当にずるいと思う。

 少し真剣に考えてみる。これまで僕がどう絵に向き合ってきたのか、これからどう向き合っていきたいのか。そしてどうしたら本気で人に見せられるような作品に取り組めるのか。

 頭に一つ、アイデアが浮かんだ。それを彼女に条件としてつけてみる。


「じ、じゃあ、葵さんがまた歌を聞かせてくれるんだったら、い、いいですよ。」


「本当に?」


「ええ、まあ。そ、そ、その代わりちゃんと良い歌を聞かせてくださいね?」 


「もっちろん!まかせて!」


 彼女を信じて頼みを受けることにした。やるからには、後悔のないようやろうと思った。


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 その日から二日が過ぎた木曜日、放課後になり一時間が経った頃に彼女はギターを背負って美術室を訪れた。どうしたのものかと訊くと「中央公園に行かない?」と彼女が言った。

“中央公園”とは正式名称を中井中央公園と言い、何もないこの町に唯一ある大きな公共施設だ。道を挟んで遊具、大きな広場、直売所や野球場などがある。

 そこに行って何をしようというのか、分からないが席を立ってみる。


「あ、森本くんスケッチブックと鉛筆でも持ってきてよ」


「え、なんか描くんですか?」


「まあ向こうに着いたら教えるから、とにかく行こう」


「は、は、はい」


 僕はスケッチブックなどの荷物を持ち美術室を出た。前を行く彼女はギターを背負っている。いつもやっていることを公園でやろうというのか。


 学校を出て5分ほど坂を登り、公園に着く。そこからさらに長く続く数十段の階段を登り、頂上の東屋に到着した。


 彼女がおもむろに口を開く。

「さっきのね、絵のコンテストのお題が”新緑と私の町”だったんだ。そのお題にここはぴったりかなって思って。あんまり人も来ないし、ね」


 確かにここは僕の町で唯一誇れるような良い場所だ。町自体が田舎というのもあってその割に人もおらず快適である。

 山の頂上のような場所に位置するこの東屋からは開けた広大な土地の向こうの小さな山々とその奥に堂々と鎮座する富士山が望める。まさに”私の町”を代表する絶景スポットなのだ。


「今日から晴れの日はここで歌ったり絵を描いたりしたいなって思っているんだ」


「ま、まあ良いですよ。僕がここでできるのはスケッチくらいですけど、最初のイメージを膨らますには十分ですし。」


 そもそも彼女が持ち込んだ提案なので、絵に直接関係すること以外は彼女の好きなようにさせるつもりだ。彼女が僕にとってマイナスになるようなことをしないのはそろそろ分かってきたところである。

 ここに連れてこられたことで絵の題材がほぼ決まってしまったのは癪に触るが、彼女の歌さえあればなんとかなるという直感もあり、そこは我慢をしておこうと思う。


 そんなことを考えているうちに彼女はギターをケースから出してハミングをしていた。彼女の口から漏れ出すそのメロディーは、音楽に疎い僕でも聞き覚えのあるものだった。

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