4 体育祭にて-陽向-

 葵さんと最後に会ってから—つまりを完成させてから— 二週間と少しが経過した。

 僕はいつもと同じように登校してきた訳だが、今日の教室はいつもと空気が違い、どこかそわそわとしている。

 というのも今日は年に一度の体育祭の日なのだ。

 運動など滅多にせず、特別運動神経が良い訳でもない僕には全員参加の綱引き以外の役目はない。


 教室内では運動が得意な男子たちが女子に良いところを見せようと燃え上がっているし、優勝を目指す女子たちはキャッキャっと声を上げながら作戦会議をしている。もちろんその輪の中には葵さんの姿もある。


 どうしてさっきから葵さんに何度も触れているかというと理由は簡単で、彼女しか僕に関わりのあるクラスメイトはいないので、このような状況ではどうしても彼女に目が行ってしまう。

 教室で聞こえてくる話を聞く限り、彼女は運動神経が良く足も速いらしいので何種目か出るのだろう。


 とは言いつつもそんな事は僕には関係がない。僕は今日も絵を描くつもりだ。いつもは風景画がメインの僕にとって珍しく”人”をメインで描こうと思う機会だ。

 体育祭というのはそれぞれの思いを抱えながらみんなが頑張っている姿が見られる。人が努力している姿というのは絵になるのだ。



 どうやらくじ引きの結果、僕たちのクラスは各種目の時間が被ることはないようだ。いつも一人でいるとはいえ一応は僕もクラスの一員なので、先ずは朝イチの種目バスケットボールが行われる体育館に向かう。


 体育館の側面のいくつかある開放された扉のうちの一番端の物の側で腰を下ろしてスケッチブックを構える。気づかれて体育祭でまで絵を書いている変なやつだと思われないように、ひっそりと。


 ——するとトントンと肩を叩かれた。早速気づかれてしまった、そんな気持ちと共に振り返ると、そこには体操着姿の葵さんがいた。

「えっ、あっ、ど、どうも」


「ども〜、何やってるの?こんな端っこで〜」


 僕が咄嗟にスケッチブックを隠すと彼女はふふっと笑う。


「いいよ、隠さなくても。今日も絵、描くんでしょ?」


「は、はい。き、き、き今日は人の絵でもか、描いてみようと思って」


「ふーん、いいじゃん。体育祭のみんなカッコいいもんね」


「まあ、そんなところです」


「あ、じゃあ私を描いてよ!」


「あ葵さんを、ですか?」


「うんうん、私もカッコいいところ見せてあげるからさ、良いでしょ?」


 そう言って彼女は後ろで結んだ髪からはみ出た前髪を爽やかに耳にかける。ニカッと眩しいほどの笑顔でこちらを見てくる。

 ずるい。ダメだなんて言えるわけがない。


「ま、まあ良いですけど、無闇に言いふらしたりしないでくださいよ?」


「もちろんだよ。私は君が嫌がるようなことはしない。それはわかってるでしょ?」


「ま、まあそうですけど――」

 ――『琴葉〜!何やってるの〜?そろそろ始まるよ?』


 僕の言葉を遮るように遠くにいるクラスメイトが葵さんに声を掛けた。確か早坂さん、だっただろうか。話すことはないが、クラスメイトの顔と名前は大体一致する。


「んじゃあ、そういうことだから!格好良く書いてよね?!」


 目が眩むような笑顔と共にそう言い残し彼女は走り去った。

 まあ接点のない女子をスケッチする勇気などは持ち合わせていないので丁度良かったといえばそうなのだが、どちらにしろクラスの人に見つかった時に面倒になるのは確実なので誰にも見つからないようにいつも以上に影を薄くしながら彼女の登場を待った。


 朝一番の試合が終わり、うちのクラスの中で女子バスケになった他の数人と共に彼女はコートに姿を現した。和気藹々と雑談を交わしている。



 ――ピィーッ!!

 準備が整い、ホイッスルが鳴ると同時にジャンプボールからゲームは始まった。

我が1組が最初のボールを手にすると、ドリブルやパスで上手く繋ぎつつ、こちら側にあるゴールに向かってくる。

 ゴール下にいる葵さんにパスが回る。

彼女は敵の合間を縫って動き、ゴールを狙いそして、シュート!

 ―っ!彼女が放ったボールは惜しくもリングに弾かれる。彼女は悔しそうな顔をしながらも手を叩いてチームを鼓舞する。

 見ているうちに少しずつ絵のイメージが固まってきた。動きのある人を描いたことがないという訳ではないが、いつもの風景画に比べて描き慣れておらず、動き続ける人物をスケッチするのはやはり難しい。

 大体のイメージを決め、構図を決めたところで彼女がその通りの動きをしてくれるのを待つ。


 再びゴール下の彼女にボールが回ってきた。パスを受け取り、少しドリブルなどで相手を錯乱させ、頭の上にボールを構え、あとは――


 ――「入った!」


 思わず口に出てしまい、少し恥ずかしくなる。自分としたことがどうしてしまったのだ。スポーツに熱くなるなど滅多にないことなのに。


 気を取り直してさっきのシーンを思い浮かべ脳内に落とし込み、スケッチを始める。まず描くのはシュートをした瞬間の彼女。真剣な表情で結った髪が揺れていて汗がキラリと光るその姿は確かに格好良かった。使うのは鉛筆と練り消しゴムだけ。それでどこまでリアルに、魅力的に見える絵を書けるかで腕が試される。


 一枚描けたら、ページを捲り次はまた別のポージングで描く。そんなことをしているうちに試合の展開はそっちのけで、ただスケッチに集中してしまっていた。


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 3枚目を描き終え、一度細かく見て直しをしよう、と思った時、スケッチブックの上にたった今描いていた彼女の顔が覗いた。


「おーい、大丈夫?すごい集中してるみたいだけど」


「うわ!あれ!?し、試合は……?」


「もう終わったよ!無事勝利ぃ〜」

 座って鉛筆を持つ僕の横にしゃがんだ彼女は笑顔とともに指でVサインを作った。



「いや〜琴葉ちゃんの大活躍のおかげだよ〜ゴール下にボール持っていけばほとんど決めてくれるんだもん」


「へ?」僕が間抜けな声とともに振り向くと、そこには先程コートにいた、葵さんを除く4人の女子が立っていた。


「琴葉ちゃんに聞いたよ。森本くん、とっても素敵な絵を書くんだってね?」

 彼女らの中でもおっとりしているように見える小林さんがそう僕に投げかけた。終わった。これではクラスに”バスケをする女子までスケッチするキモいやつ”と広まって僕の平穏な日常は終わってしまう。


「ま、まあ絵は描きますけど、、ていうか葵さん、い、い、い言いふらさないって言ったじゃないですか?」


「うーん、まあ君、熱中しすぎてコートから見てもバレバレだったし。それにね、この子たちは君が怖がってるみたいに君の描く絵を馬鹿にしたりしないよ。だから無闇に言いふらしてはないよ。ねえ?」


 本当だろうか。クラスの中心にいる人たちというのは少数派がやっていたり、自分と違うところがあると馬鹿にするようなものではないのだろうか。


「うんうん、何も女子バスケの試合を見てる男子は森本くんだけじゃないしね。それも、あいつらはエッロい目で見やがるし」

 5人の中でも少し気が強いように見える早坂さんがそう言う。


「うんうん、本当だよね〜あっ、そうだ、その絵見せてよ!」


「え、あ、まあ一応ちょっと直そうと思ってたところなんですけど、見せられない物ではないので……」

 そう言ってスケッチブックを手渡す。


「うわぁー凄い!」

 葵さんが歓声をあげると後ろにいた4人もわらわらとそれを覗きにくる。


「ほんとだ!凄いカッコいいじゃん!躍動感溢れて、バスケしてる時の琴葉が輝いてるのが分かるよ〜」


「え、ほ本当に?」

 葵さんでもない、クラスの人たちに褒められるなんて夢にも思わなかった。


「うん、スケッチでこんなに描けるもんなんだね〜私も描いて欲しかったくらいだよ」

 そう興奮気味に言ってくれたのは小林さんだ。やはりまだ褒められることに慣れていないのでなんだかむず痒い。


「ほらね?森本くんの絵は、君が思ってるよりも評価されるようなものなんだよ。だから、もう少し胸張っていけばいいの!」


 何も言えなかった。確かに僕は、自分を蔑み低く見すぎたかもしれない。葵さんがたった今放った言葉が頭の中をグルグルと回る。


「琴葉ちゃんお母さんみたいじゃん!森本くんとそんな関係だったの?というか、どこでそんな仲良くなったのよ〜」


「内緒に決まってるでしょ」


 彼女たちがそんな会話を繰り広げている間も僕はぼうっとすることしかできなかった。


「それじゃあ、そろそろ行くね」

 彼女らがそう言って体育館を後にするのを、ただ僕は見つめていた。

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