3-1 愛も希望もつくりはじめる-陽向-

 ——危なかった。いくら少し会話をできるようになったとはいえ、誰かと一緒に二人で帰るなど今の僕には到底できるはずもなかった。100%会話が続かない。いくら相手がコミュニケーション能力の高い葵さんだとしても、だ。


 家に着き、手を洗って自室に入ると、ベッドに倒れ込む。

 疲れた。

 集中して絵を描いていたのもあるだろうが、他人ひとと会話をするのは疲れる。あれを易々とやってのけるクラスの人たちはやはり凄いなと思う。

 今日も父の帰りが遅いらしいので適当に夕食を摂ろうと考えていたが、そのまま眠りについてしまった。


 、

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 五月に入ったそれから2日後の木曜、葵さんと音楽室で出会ってからちょうど1週間が経った今日も再び彼女は一人で教室を後にしていた。恐らく、火曜日と木曜日が弾き語りデーなのだろう。僕も例のごとく美術室に向かう。

 他の部員がほぼ参加することがないように、うちは甘々な部活なので僕はその日の気分で美術室に行くかどうかを決めているが、今日は例の桜の絵を完成させたかったのでスケッチブックに向き合うことに決めていた。


 コンコン、

 美術室に入り鞄を置いていた時、扉をノックする音がしたのでそちらを振り向くと葵さんがいた。2日前と同じ状況だが、今日は前よりもだいぶ来るのが早い。


「やっほー、今日も来ちゃった。絵、そろそろ完成したりするかな、なんて思って」


 そんなことを言いながらガラガラと扉を閉めて入ってくる。一つだけ、彼女が2日前と明らかに違う所があった。今日はなんと、ギターを背負っている。


「え、あの、それ……」


「あー、これね、持ってきちゃった。森本くんが絵を描いてる横で、邪魔にならない程度に弾いたりしたいなって思って。放課後の三階の端っこなんて誰もいないし、ね?」


 確かに、美術室は部活をしている人が多い体育館からも一番遠く、人気ひとけのない場所に位置しているが、それにしても凄い度胸だ。先生に見つかったら咎められるに決まっている。


「ま、まあ、僕は良いですけど、その、邪魔されなければ」


「うんうん、邪魔はしないよ。後ね、今日はとっておきの春の曲を持ってきたんだ。森本くんには聞いてほしくって」


「いいん、ですか?」


「うん、どうせ私から言わなくても、また聞かせて下さい〜って来るだろうと思ってね」


「ま、まあ、そ、そ、そそれはそうですけど……」


「ほらね?じゃあ私も準備するから、君も絵の具の準備でもしてなさい」


「は、はい」


 彼女がギターを取り出し、チューニング(?)をしている間、僕もスケッチブックや絵の具を準備する。

 僕の正面の、美術室ならではの白く塗られた机の上に彼女は座る。


「じゃあ、とりあえず聴いてもらおうかな」


 気合を入れるかのようにジャッと一度短く和音を弾くと、ポロポロとギターを鳴らすと共に歌い始めた。

 今までの曲と同じようで少し違う、うららかな雰囲気と春のポカポカとした陽気が思われる。

 と同時に、暗かった美術室に日光が射した。雲の切間から太陽が顔を出したようだ。


 窓の外では音楽室から見える桜の木が頭だけ見える。数少なくなった花弁を散らすその木は暖かな陽に照らされている。

 その一方で美術室を取り囲む樹々は青々としており、少しずつ訪れようとしている夏の気配を持っている。


『春の歌 愛も希望もつくりはじめる

 遮るな 何処までも続くこの道を』


 彼女は「とっておきの春の曲を持ってきた」なんて言っていたが、それは単に彼女がこの曲を好きなのか、それとも何か別の意味があるのか。

 これは推測でしかないが、彼女の選曲にはどこか意図があるように感じる。何か僕に伝えたいことを歌に込めているような、そんな雰囲気が彼女の声から伝わってくる気がするのだ。あくまで考えすぎかもしれないが。



 彼女は演奏を終えるともう一度弦をジャッと勢いよく鳴らしニヒッと白い歯を見せいたずらっぽく笑った。

 僕は二日前と同じく拍手する。そして準備していた絵の具を手に取り色を混ぜ合わせ始める。

 葵さんが歌ってくれた三曲が作る絵が、もうすぐ完成する。


 僕は筆を持っている間、周りに見える全ての物が僕の描く絵の世界にあるように感じたりもするのだが、その中でギターを抱える彼女は文字通りいた。

 その彼女といえば指を器用に動かしポロポロと単音の旋律を奏でている。アドリブなのかもしれない。僕には到底できっこないことなので、彼女の動きは人間離れしているように見える。その美しさは”指先に神様がいる”とでも言えばいいのだろうか。

 そんなことを考えてしまっていては絵は完成しないので、今は穏やかな顔で何処か楽しそうにギターを弾く彼女を待たせすぎないようになどと気を遣いつつ筆を動かす。


 教室に射す陽が傾いている事にも気づかず、僕はただ夢中でスケッチブックの中の世界にいた。

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