第3話

 四角形の職員室の一辺に沿って、教頭の机を中央にして、教務部長、進路部長、生徒部長、そして研修部長の机が横一列に並んでいる。この一列が職員室の正面となる。正面に直角に、机を二つ向き合わせて作った列が四本できている。これが教員達の席だ。それぞれの列の正面に近い所から順に、学年主任、一組の担任、二組の担任、以下クラスの番号順にその組の担任の机が置かれている。下座は副担任(クラス担任ではない教諭)、あるいは常勤・非常勤の講師の席になっている。正面に向かって左端の列は第三学年の列だが、その下半分は向き合う机がなく、机一つだけの列となっている。吉塚富雄の机はその列の末尾から二番目にある。

 吉塚は二年前に教育大学を卒業して、昨年理科の常勤講師として採用された。彼は若いが、彼の周囲は年配の教員が多い。左隣、つまり列の末尾は公立高校を停年退職した後、再就職してきた水田であり、吉塚の背後、つまり通路を挟んだ隣の列の同じ位置に背中合わせに座っているのは、これも公立高校停年組の鏑木だ。右隣は塚本という国語の教員で、五十前後と思われる。年齢差の大きい教員とはやはり話がしにくい。ただでさえ無口な吉塚はいよいよ黙りこくって過ごすことになっていた。

 吉塚の苦手は左隣の水田だ。水田は暇を持て余している教師だ。それは吉塚の推測ではなくて水田自身がいつも口にしていることだった。「さて、何もすることがない。これからどう過ごそうか」と水田は突然言い出す。それも吉塚の方を向いて。隣で仕事をしている吉塚はびっくりする。なるほど授業を終え、次の授業まで二時限空いているのだ。そう言われても、吉塚は時間を持て余している水田の話し相手になることはできない。ことに相手が水田のような人間であればなおさら何を話したらいいのか分からなくなる。砕けた物言いをするようだが、水田には気難しいところも、ちくりと人を刺すところもあるのだ。それに吉塚は水田のように暇ではない。クラス担任ではないが、校務分掌では進路部と生徒部に配属されている。どちらも仕事の多い部署だ。その上若い吉塚には細細こまごまとした手のかかる仕事が回されてくる。特に進路部では就職係を担当しており、三年に所属している関係から学年への伝達事項や書類作成の仕事がほぼ毎日ある。実際、暇な水田が羨ましく思える時もあるのだ。水田はその日の授業が終わると、「さて、することがなくなった。あまり早く帰るとうちの奥さんが嫌がる」などと言う。吉塚が困るのはそんなことを言う水田が体を自分のほうに向けることだ。水田の席は列の末尾だから、左隣に人はおらず、前も向き合う机がなくて壁なので、人間のいる方向に顔を向けたくなるという気持ちも分からないことはないが、吉塚にしてみれば相手をしないのかと横顔を睨まれているような感触で落ち着かない。もっとも水田が正面の方、吉塚の感覚からすれば自分の方に体を向けるのは、吉塚に会話の相手をせよと催促しているとばかり言うことはできない。水田の背後の列の末尾から三番目に堀尾という理科の教員がいて、この男がよく水田の相手をするのだ。だから水田は堀尾の方に体を向けていると言うべき場合もあるのだ。ただ、堀尾が不在の時も、習慣となっているのか、水田の体は正面の方を向いているのではあるが。

 鏑木も公立高校を停年退職して再就職してきた教員だ。この学校に来て七、八年になる。水田が非常勤講師としてこの学校に入ったのはこの鏑木の紹介によるものだ。鏑木は水田に比べて、まだまだ衰えていないぞと、自らの力を誇示するような動きをする教員だった。彼の授業は熱がこもって厳格だという印象を周囲に与えていた。鏑木は豆テストを毎授業行って生徒の尻を叩いた。さらにその結果を担任に知らせ、担任にも発破をかけた。鏑木は豆テストの結果を単票に書き込んで、ランク毎に色分けした。橙や黄、青、茶などの色が奇怪なモザイク模様を呈している単票が彼の机の上には置いてあった。

 鏑木は口数は多くはないが、時折、ウィットの効いた発言で周囲を笑わせたりするところがあり、機知的な物言いにまぶして辛辣なこともさらりと口にした。例えば、彼の斜め前の席の教員が一時限を潰して机の上や下を整理して、「これでゴミがなくなって清々した」と言った時、すかさず、「あとはあなただけよ」と言ったことがある。その教員の整理作業がうるさかったようだ。カメラが趣味で、いろいろなコンテストに応募して賞を取っていた。それを職員室で自ら話題にし、賞を取った作品なども見せるので、鏑木の趣味と腕前については多くの教師が知っていた。写真部の顧問をしていたが、六十五歳を過ぎて非常勤講師となってからは退いた。非常勤講師となったことを、淋しくなった、肩身が狭くなったと嘆いた。「非常勤講師に発言権なしか」などという僻みっぽい言葉をしばしば口にした。背広は着ず、色もののシャツにループタイなどをつけ、登山靴のようながっしりとした靴を履き、その身なりはダンディーだった。

 

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