第6話 プリンセスの謎
俺のせいでケガをした人たちを治療して、国王のお話を聞いて、形式上の騎士団入団式とこなしていたら、すでに二十一時。
よい子は寝る時間だ。
俺も明日から、朝早く起きなくてはいけないので、もう眠りたいところだ。
とりあえずの宿として、騎士団の詰め所に案内された俺は、ベッドの上で大きく伸びをした。
詰め所と言っても、きちんとした個室が用意されている。
こうして一人でゆっくりできるのは、ありがたかった。
浴場も案内してもらったし、体を洗って寝るか……。
と思った瞬間だった。
ドアがノックされたのは。
俺はドアの向こうにいる誰かに、言葉を投げかけた。
「どなたですか?」
こんな時間に来る……誰だ?
騎士団の誰かが、俺に伝え忘れた用事でも思い出したのだろうか?
俺の声に答えたのは、そんな予想とはかけ離れた、可憐な声だった。
「シェロットです」
シェロットって……姫様!?
姫様がこんな時間に、何の用だ!?
しかもここ、騎士団の詰め所だぞ!?
そんなところに来てもいいのか!?
俺はとっさに、部屋の様子に目をやる。
自分の部屋でもないのに、片付けられているかが気になってしまったのだ。
次いで、身だしなみを軽くチェックしてから、姫様の声に答えた。
「ど、どうぞ!」
扉を開けて部屋に入ってきたのは、寝間着姿の姫様。
その美しさに、俺は思わず、言葉を失った。
普段のドレス姿も美しいが、キャミソールの寝間着を着た姿は、まさに妖精そのものだった。
金色の髪が、純白の寝間着に映え、飾り気のない服装だからこそ、端正な顔立ちが強調される。
人はここまで美しくなれるのかと、俺は息を呑んだ。
姫様は扉の向こうにいるであろうアマリアを制し、部屋に入ってくる。
ふわりと、柔らかい香りが、俺の鼻をくすぐった気がした。
「申し訳ありません。こんな夜分に」
「い、いえ……! 丁度退屈していたところですので!」
姫様の前に立つと、やはり緊張する。
そんな俺を見て、姫様はクスリと笑った。
「そんなに緊張なさらないでください。
これからあなたは私の近衛兵になるのですから」
近衛兵に!?
そんな話、聞いてないぞ!?
あくまで一介の騎士団員として雇われたもんだと思っていたが……。
「こ、近衛兵ですか?
でも、そんな話、少しも……」
「私が直々に雇用したんですもの、ただの騎士団員にするわけがないでしょう?」
「た、確かにそうですが……」
だからって、王族を前にして、緊張するなというのも無理な話だ。
しかも相手は、こんなにも美しい姫様。
そばにいられるだけでも、高貴なオーラに浄化されそうになる。
「と、ところで、姫様はこんなところまで何の御用で?」
一番気になるのはそこだ。
いくら急ぎの用といえども、わざわざこんな時間に来る必要はないだろう。
明日まで待ったり、どうしても今日中に済ませなきゃならないようなら、伝言でもいいはずだ。
それなのに、寝間着姿の姫様が、わざわざ出向いてくるなんて……よほど大事な用事なのか?
「ちょっとした業務連絡を」
「業務連絡?」
「はい。
明日は『承純の儀』の当日ですから、フェル様にもご承知おき頂きたいと」
承純の儀ねぇ……え……?
「承純の儀!?」
承純の儀は、この王国の大切な儀式。
ある年齢になった王族の人間を、正式に王家に迎え入れるという儀式。
魔族の血が混じらない、純粋な人間であることを証明するものだ。
この儀式の為に、数百の商社が生まれては潰れるらしい。
そのくらいのビッグイベントだ。
近々行うことはわかっていたが、まさか明日だとは……。
待て、こんな儀式を明日に控えておきながら、姫様は国の外に出ていたのか?
「そんな大事なことを控えていて、なぜオークなんかに……?」
姫様は、俺の言葉に苦笑いを浮かべた。
俺の言い分もわかるのだろう。
「軍部からの要請で、新たな前線基地への表敬訪問をすることになったのです。
儀式が終わってしまえば、私は正式に政に携わります。
そうなれば、そう簡単に時間は取れませんから。
安全圏でオークに襲われるのは、予想外でしたが」
なるほど……姫様も大変なんだな……。
だが、こんな話を今更聞かされた俺も大変だ。
きっと、明日も何かしらの役をやらされるに違いない。
「で、俺は明日、何をすれば?」
「明日、近衛兵長からお話をさせます。
リハーサルもできずに申し訳ありませんが、難しいことは致しませんので」
リハーサルって言葉が出てくるってことは、少なくとも人前に出る仕事ってことか……。
近衛兵が国民の前で何をするのか、あまり想像できないが……。
「でも、そんな話、伝言を頼めばよかったのでは?
姫様がわざわざ伝えて頂くほどのことでは……」
姫様は、わずかに俯くと、ゆっくり口を開いた。
「もう一つ、大切な……。フェル様だけに知っていて頂きたい話が一つ……」
そう言うと、姫様はゆっくり……寝間着のキャミソールの肩ひもをはずした。
ま、まさか、服を脱ごうとしているのか!?
「ひ、姫様、何を……!?」
「兵士は、この詰め所から払っております。今ここにいるのは、私たちだけ……」
「そ、それって……」
い、いくら人がいないからって、服を脱ごうだなんて……。
というか、俺達はまだ知り合ったばかり、そ、その……そういうことをするのは、まだ早いんじゃないか?
姫様は俺を二年前から知っていたようだが……って、そんなことはどうでもよくて!
こ、これは姫様を止めるべきなのか?
まさかこれも、姫様による試練!?
俺が姫様に欲情することがないように、ここで試そうってことか!?
だったら、今すぐ姫様を止めなくちゃ――。
なんて思考を巡らせている間に、姫様を乳房の少し上まで、キャミソールを下ろしていた。
「あなたに、見ていただきたいものがあるのです」
「み、見て欲しいもの……?」
そして姫様は、乳房の側面を、キャミソールから露出させ――。
そこで俺は、異変に気が付いた。
姫様の真っ白な肌に見えるのは、魔族特有の紋様。
禍々しい黒い紋様が、白い肌に刻まれている様子は、異様に見える。
姫様は一切魔物の混じらない、純粋な人間の血統を持っているはず。
その姫様に、魔族の紋様が刻まれているのだ。
乳房の真横という、普段なら見えない位置だから、今までバレずにすんでいたのだろう。
おかしい。
それが俺の純粋な感想だった。
魔族の紋様が刻まれているのは、魔族の中でも特に強い魔力を持つ者のみ。
元トップクラスパーティだった俺ですら、紋様を持った魔族と遭遇したのは、数える程しかない。
なのに、純粋な人間である姫様に、紋様が刻まれている。
なぜだ……?
「お分かりいただけましたか? 私が見せたかったものを」
「はい、確かに」
姫様はそそくさとキャミソールの肩ひもを戻す。
やはり恥ずかしかったのだろうか?
「私にこんなものが刻まれているなどということが、国民に気付かれるわけにはいきません。
王族は、純粋な人間でなければならない。
そのような国だからこそ、今の平和がある。
仮に王族に魔族が潜んでいると皆が知ってしまえば、大きな戦争が巻き起こることでしょう」
「……でしょうね」
でも、何故それを俺に……?
近衛兵になるから、知っていてほしいということか?
「でも、姫様はなぜそれを俺に?
これ、国家機密レベルの情報ですよね……」
姫様は、真っ直ぐな……一点の曇りもない瞳で、俺を見つめていた。
強い決意を含んだ瞳で。
「私は、この体に刻まれた紋様の、真実を知りたいのです。
きっと、この城にいては、真実にたどり着けない」
その時俺の中で、すべてが繋がった。
姫様がなぜ、二年前から俺を覚えていたのか、俺を近衛兵に招いたのか……。
姫様はきっと、旅がしたいのだ。
自分の出生の謎を解き明かす旅が。
姫様は言葉を紡ぐ、きっと、二年前から俺に伝えたかったであろう言葉を。
「だから……私をこの城から連れ出していただけませんか?
すぐにとは言いません。
根回しはしておきます。
国王に、真実を知るための旅が許される……その時が来たら、私の護衛をお願いしたいのです」
姫様の決意は、確かに俺に伝わった。
だが、姫様の紋様は火種だ。
王族も触れたくない、目の上のたんこぶのはず。
そんなものを持った姫を連れ出したいと言って「はいそうですか」と、王国が頷いてくれるだろうか?
答えは否だ。
姫が、自分の謎を解き明かす旅に出る機会は、一生訪れない……。
「はい。
……その時が来たら、きっと」
今の俺に、それ以上の返事はできなかった。
姫様もわかっているはずだ、姫の身でありながら、真実を探ることの難しさが。
承純の儀と魔族の紋様……俺は、明日の儀式に一抹の不安を抱きながら、部屋を出る姫様を見送った。
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