04 戦争でも始めるつもりだったのか
「ところで、なんでサンドバッグに詰められるようなことになったんだ?」
俺は膝をついてドアノブの鍵穴に道具を差し込みながら訊いた。
「不能なはずだったのに、爺さんこっそりED治療薬を飲んでた。痛くて目が覚めて、ボコボコにしてやったら、上客になにするんだって、キレられた」
俺は溜息をついて立ち上がると、ドアノブを回した。どうやら、昔の勘が戻ってきたようだった。最も、こんなスキルは浮気調査ではあまり必要ないし、今時のデジタルロックならお手上げなのだが。
ドアが静かに開き、暗い室内に足を踏み入れた途端、明かりが点いた。
「うげっ」
声をあげたのは俺の背後から室内を覗き見ているユキだった。俺は喉の奥で低い唸り声をあげた。
室内の棚や壁一面に様々な武器が見本市の如く整然と陳列されていた。ナイフや日本刀のコレクションから始まって、短銃、ライフル、散弾銃、短機関銃、機関銃、ロケットランチャーまである。日本国内でもライセンスを取得すれば合法的に所有が可能なものから、軍隊からの横流しか密輸品としか思えない殺傷能力が桁違いに高い代物まで、全て本物だ。何が「仕事部屋」だ。「武器庫」の間違いだろう。
中に入るのは初めてらしいユキが数歩前に進み、周囲を見回して、またおかしな声をあげた。こんな物騒な部屋、爺さんがあの状態では鍵をかけてアクセスを遮断しておくしかないだろうな。これだけ揃っていれば、その辺の組の一つや二つぐらいなら、十分もかけずに制圧できそうだった。
「戦争でも始めるつもりだったのか」
と呟いてから、黒光りする金属の表面にうっすら積もった埃が目についた。周囲を見回してみて、しばらく誰もこの部屋に入っていないと確信した。
「そこで何をしている」
背後から、ただならぬ殺気を含んだ声が聞こえた。俺は、いきなり刺されたり撃たれたりしないよう、両手を上にあげてゆっくりと振り向いた。
強張った顔で立ちすくんでいるユキの頭越しに、部屋の入口に立つ爺さんの姿があった。
「なんだ、起きたのか。風邪ひくぞ」
俺に倣ってゆっくりと振り向いたユキががっくりと肩を落とし「せっかくパジャマを着せたのに」と溜息をついた。
まったく、なんだって毎回下着まで脱がねば気が済まないのか。どんな薬を服用しているのか知らないが、医者は処方を見直すべきだろう。
「おめえは、一体どこの組のもんだ」
爺さんは座った目つきで言った。その眼光の鋭さ、尋常ではない。全裸でなければ、震えあがったことだろう。
「ヤキが回ったな、爺さん。俺は組のもんじゃない。ボクシングジムで会った探偵だ。覚えてないか? コートを貸してやっただろう」
爺さんは目を細めた。どうやら、記憶の糸をたぐっているらしい。
「俺は、この子とあんたを送って来ただけだ。探偵業で飯が食えないから、ちんけな運び屋をやってるってわけさ。俺はノボルがガキの頃の知り合いなんだ。それで仕事を世話してもらった」
「ノボル」
爺さんの目が更に細くなった。
「あいつは、ハタケヤマみたいな悪党の倅になるには弱すぎた」
爺さんはそう言って眉間の皺を更に深くした。
俺の脳裏に、怯えたノボルの顔が浮かんだ。少し前にはしご酒をした時のすっかり老けたあいつよりも、若々しい顔をしている。施設に居た時の面影がまだかなり残っている顔。場所は、この武器庫によく似ていた。
「子供には手を出すな。老いぼれがどうなろうと知ったこっちゃない。だが、子供にそんなことをさせるな」ノボルは上ずった声で言う。
「おいおい」と言ったのは若かりし、といっても既に老人ではあるが今よりかなり矍鑠とした様子のジョージ爺さんだ。壁にかかっている拳銃を手に取り弄んでいる。
「それでもハタケヤマの跡取りなのか。養父を半殺しにしたというから、どんな奴かと思いきや」
「あれは、アクシデントだ!」ノボルが叫んだ。
「あいつは、かわいい男の子には目がなかったからなあ」と鼻で笑うジョージ。
ノボルの顔色が変わった。が、それは一瞬で消えてなくなった。
「子供を利用するのは、許さない。大人ならば行動に伴う結果の責任を自ら負うのは当然のことだが、子供は駄目だ。あんたの部下にそう言うんだ」
ノボルはジョージの目を見据えて言った。
「後悔するぞ。若旦那」
真顔で静かにそう言ったジョージには、その場にいたら俺でも失禁しそうな迫力があった。
馬鹿な奴だ、と俺は思った。分別のある輩なら、現役バリバリのノボリベツジョージに刃向かうよりは自ら銃口を咥えて引き金を引き、頭を吹き飛ばす方を選ぶ。刑事時代の俺でも可能な限り距離を置きたいと願うであろう非情極まりない大悪党だ。
「やばい」というユキの声で俺は我に返った。
「なんだ」
「看護師が戻って来た」
ユキの言う通り、玄関で物音がしていた。
「確かにまずいな」
ガチャガチャと鍵を開ける音についで、重そうなドアが開き、例の香の匂いが強くなった。看護師がブツブツ文句を言っているのが聞こえる。
「あの耄碌ジジイ、許さないから」
爺さんの寝室で、狂態を演じるベルボーイと看護師のあられもない姿が浮かんだ。薬の効果が切れた老人は硝子のように透き通った目をして大きなベッドに横たわっており、眼前で繰り広げられていることには一切関心を示さない。女が淫らな笑みを浮かべ、老人のシャツの前をはだけさせ、タイツを履いた爪先で下半身をまさぐる。若い男がけたたましい笑い声をあげる――爺さんが一瞬でも正気を取り戻せば、二人とも命はないというのに。
見るに堪えないビジョンを、俺は懸命に頭の中から閉め出した。
突然爺さんが怪鳥のような奇声をあげて武器庫の入口から姿を消した。
「あっ」と玄関で叫び声をあげたのは、看護師だ。
「ちょっと、待ちなさい。そんな恰好で。戻って」
口汚く罵る声が遠ざかり、消えた。
いつの間にか元の状態に戻った爺さんが、元気に徘徊を始めたのだ。この機会を逃す手はない。
「おい、行くぞ」
俺はユキを促して、玄関に向かった。
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