03 元極道の終の棲家

「で、どうする?」

 看護師が出て行った玄関のドアが静かに閉まると、ユキが言った。

「まず、爺さんに服を着せてやってくれないか。いくらなんでも素っ裸じゃ体に悪いだろう」

 俺は爺さんから脱がせたコートに袖を通すと、廊下を直進してリビングルームへと向かった。

 玄関からまっすぐ伸びる廊下の両側にドアが四つ。ポノレカ花の宮のノボルの部屋と同じ間取りだ。廊下の突き当りにあるだだっ広いリビング。正面がガラス張りで夜景を一望できるところも同じ。ただしこちらの窓には分厚いカーテンが引かれて外界から遮断されている。こんな部屋で最期を迎えるためには余程の悪事を働いたんだろうな、と俺は顎の無精髭をさすりながら思う。

 とはいえ、どれだけ贅を尽くした立派なソファでも、お漏らし対策で防水シートが敷いてあるようでは興醒めだ。この部屋には、外の廊下よりも強く異臭が漂っている。即ち、自力でトイレに行く力を失った、あるいはトイレで用を足さなければいけないという基本ルールを忘れてしまった者の暮らす部屋特有の臭いだ。こういうものは、どれだけ金をかけてプロに掃除をさせても完全には消し去れないらしい。

 リビング左手側の壁の一面には様々なスチール写真を引き伸ばしたパネルが飾ってあった。写っているのは、ドスにチャカに日本刀を手に、サラシを巻いた半裸の男達、流血、ドラム缶――どうやら爺さん、任侠映画のファンらしい。俺は警官が主人公の映画なんて、鼻白んでしまいとても見られたものではないのだが、ジョージは相当のナルシスト、少なくとも、自分の職業に誇りを持っていたらしい。

 白黒でなければ相当血なまぐさい場面もあり、惨殺死体や拷問シーン、任侠映画というより殆どホラー映画の様相を帯びていくパネルを眺めるうちに、俺はそれが映画のスチール写真ではないことに気付いた。写真のいくつかには若かりし頃の爺さんと思しき人物が確認できたからだ。これらは、作り物ではない。一体何を考えてこんなものを飾っているのか。遠い過去の武勇伝だとでも?

 いや、この堅牢な要塞でなら、このようにヤバいブツでも安心して展示しておけると、高を括っているのか。

「それは、認知機能の回復のため。昔を思い出せるように飾ってあるんだって」

 いつの間にか俺の背後に立っていたユキが言った。

「こんな過去なら忘れちまった方がよさそうだがな。爺さんは?」

「ベッドに押し込んできた。大人しくさせるために後で添い寝しに行ってあげるって嘘ついたから、早くしないと」

 そう、のんびりしている時間はないのだ。ただ

「何から手を付けたらいいかと思ってな」

 俺は一連のパネルの端っこ、小さい白黒写真に目をとめた。パネルではなく、普通サイズの写真だ。見覚えのある風景が写っていた。

「それ、あの映画館で見た」

 ユキの言う通り、写真に写っている鉄筋の建築物は、重量オーバーで床が抜けたXXX三階のミニシアターで上映していた映画で、二人の刑事の背景になっていた学校を連想させる建物。だが、これは学校じゃない。それよりはるかに、非情でむごたらしいものだ。

「これは、ノボルが居た児童養護施設だ」

 学校のような雰囲気を醸し出しているのは、校門を思わせる鉄製の重たげな門とコンクリート製の柱がどっしり構えているからだ。その門前に並ぶ十人ほどの仏頂面の子供達。年齢も性別もバラバラだが、例外なく陰鬱な顔をしている。十歳になる前に自分の人生は糞だと、自ら吐いた血反吐の中でのたうち回りながら思い知らされるとこんなツラになる。

「これ、ノボルだ」

 ユキが指さした先に居るのは、小学校に上がる頃だろうか。髪の毛がやや長い、目のくりくりした可愛らしい子供だ。眩しそうに少し顔をしかめている。二列に並んだ子供達の後ろに、政治家張りに胡散臭い笑みを浮かべた中年の男女。男の一人は若かりし頃のジョージだろう。この頃の反社会勢力というのは、今時のインテリヤクザとは違う。隠そうとしたって到底隠せるものではない殺気のようなものが漲っている。ノボルも含めて子供達の顔が引きつっているのはそのせいもあるだろう。

「これは、誰」とユキが人差し指で押さえたのはジョージの隣に立っている男だ。

「それは、施設長だ。通称『お父さん』」

「はあ?」

「施設の子供達に『お父さん』と呼ぶよう強要していた。呼ばないと折檻をうけるから、皆仕方なくそう呼んでいた」

「おじさんも、そう呼んでたの」

「ああ、腕の骨を折られて食事を三日抜かれて、反省室に一週間入れられた後にな。まあ、どれだけ反抗的でも子供は子供だからな」

 だが、ノボルは最後まで抵抗した。少しからかわれただけでもベソをかくような、見た目通りのひ弱な子供だったのに、いかなる折檻を受けても、これだけは頑として受け入れなかった。いや、あいつが真に拒んだのは、施設長の隣に立っている中年女、彼の妻を、「お母さん」と呼ぶことだった。元々どこの誰だか知りもしない父親のことなどを、あいつがそれほど気にかけていたとは思えない。

「あいつは、その点に関しては頑固だったからなあ」と独り言を呟いた俺に、ユキが「ああ?」と怪訝な顔をした。

「いやなんでもない」と誤魔化して、俺は写真から目を逸らせた。


 児童養護施設ポルケ園


 校門を連想させる頑丈な門の銘板にそう記してあった。何故今まで忘れていたのだろう。由来も知らない、知りたいとも思えないふざけた名前を口にするのを常々恥ずかしがっていたからか。

 俺はリビングをざっと見まわしたが、他に目ぼしい物はなさそうだった。何か隠しているのなら、来客の目に触れないところだろう。

 リビングの奥のダイニング・キッチンを覗いてみたが、モデルハウスのように、日々使われている痕跡がない。爺さんは自炊をするタイプには見えないし、食事の支度は看護師の業務の内とは思えない。食事は介護施設の如く、配給されてくるのだろう。

 リビングに戻り玄関までまっすぐ伸びる廊下に出た。廊下を挟んでドアが二つずつ。老人の一人暮らしには広すぎる。

「爺さんの寝室はどこだ?」

「玄関の近くの右側」

 さっき看護師が爺さんの着替えをとりに入った部屋だ。

「その隣は?」

「看護師の部屋。そこに寝泊まりしてる。反対側は仕事部屋とトイレ・バス」

 俺は仕事部屋とやらを見てみることにした。あの状態の爺さんにどんな仕事があるのか知らないが、とりあえず書斎のようなものだろうと踏んだのだ。

 廊下を挟んだ左、爺さんの寝室の真向かいのドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。俺はポケットから道具を取り出した。

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