07 冥途カフェ
俺はユキに案内されたそのビルを見上げた。ビルの名前XXXXは、クアドラプルエックスと読むのだろうか。
「バツが四つだから、みんな『ハヌキ』って呼んでる」
俺の心を読んだかのように、隣でユキが言った。
「冥途カフェえ? 客のことをご主人様とか呼ぶアレか?」
「お客は『チルドレン』って呼ばれる。チルドレンは三途の川で石を積むんだけど、それをメイドが崩して回る」
それは一体、何が楽しいのかと訊こうとして、やめた。そもそも通常のメイドカフェの楽しさがわからないのだから、亜流の良さが理解できるはずもない。
「だいたい、なんで冥途カフェの名前がポルカなんだ」
苛立ちが治まらない俺を、ユキがエレベーターまで引っ張っていったが、俺は本能的に閉所恐怖症を発症しそうな狭い箱の中に入ることを拒否し、階段を上り始めた。
「おじさんさあ、無駄に健康志向だね」
三階のたった一つのドアには営業中の札がかかっていた。窓にはブラインドが下ろされ、中の様子を窺い知ることはできない。
まあ、俺が客でもメイドと石積み遊びしているところなど他人に見られたくないと思う。外装には殆ど金をかけておらず、これがカフェであることを示すのは、薄っぺらい木製のドアの横に立てられた黒板に、チョークでお勧めメニューが記されていることぐらいだ。営業時間は午前七時から午後十時まで。腕時計を確認すると、現在午前八時。
なんというか、普通にいかがわしい性風俗店に入るよりも抵抗感がある。
躊躇っている俺を尻目に、ユキはさっさとドアを開けて中に入っていく。仕方がないので後に続くと、ちりーんと仏壇を彷彿とさせる鈴の音が鳴り響いた。暗い店内には陰鬱なへヴィ・メタルが流れていたが、喧騒の中でもよく響き渡る鈴の音に呼び寄せられたのか、まっ白い顔をした気味の悪い人影が現れた。よく見れば、虎柄の短パンに白いエプロンを着け角の生えたカチューシャをしたメイド(?)達だ。それがわらわらと集まって来て整列したと思ったら
「この……親不孝者めが!」とドスの利いた声で一喝された。途方に暮れて目でユキに助けを求めると
「親よりも先に死んで、賽の河原にやって来たから」と事もなげに言う。
「店長、この人、孤児だよ」
カウンターの奥からいそいそと出てきた、この場にそぐわないごく普通のカフェのマスター然とした白黒ユニフォームの男にユキはそっけなく言った。
店長は、俺には目もくれない。
「キヨコちゃん、遅刻は困るんだよね。土曜の朝は稼ぎ時なんだから」
「だって、この探偵さんがなかなか離してくれなくって」
ユキは俺を顎で指して言うと、店長は分厚いレンズの奥から俺を睨みつけた。
「ああ……そういうお付き合いは困るんですよねえ。うちはメイドとチルドレンの恋愛は禁止なんですよ。未成年との不純な交友は市の条例によっても」
「誰がこんな子供に手を出すもんか。それに俺は客じゃないんだ」俺は慌てて言った。
「この人、私のこと殺人犯じゃないかって疑ってんの」
「ああ……それじゃあ仕方がない。他のお客さん――チルドレンの迷惑にならないようにしてください」
店長は俺にそういうと、ユキに向かって
「キヨコちゃん、早く支度して。常連さんがお待ちだから」
はーいと小馬鹿にした感じで元気よく返事をして、ユキはどんどん奥へと進んでいく。追いかけていく途中で、暗闇に目が慣れて店内の様子が確認できた。
客――チルドレン――は店内の床のそこかしこにべったり座り込んでいる。十人以上は居ようか。その床というのは、なんというか、河原に見立てたという心意気は感じられるが、小学校の演劇のセットよりもお粗末な代物で、店内の暗さはそれを隠す目的もあるのだろう。
この暗闇の中を、メイド――鬼達――はトレイに載せた食べ物やドリンクを客――チルドレン――の所へ運んでいきながら、彼等が高く積み上げた石をすかさず足で蹴り倒す。客――チルドレン――は崩れて散らばった石を呆然と見つめるが、やがて気を取り直すと傍らに置かれた皿からパンケーキをぱくついたり、コーヒーを啜ったりして、また石を積み始める。
一体何が楽しいのか、駄目元で一回ぐらい訊いてみたい気がした。彼らなりには説明のつく行為なのだろう。何十回かトライするうちに、石積みを達成することができ、それによってカタルシスが得られる、とか。
ユキのあとについてSTAFF ONLYと書かれたドアの中に消える前に、俺は客――チルドレン――の一人に見覚えがあることに気付いた。その客――チャイルド――は、ユキに気付いて嬉しそうに手を振ったが、彼女はそれに気づかなかった、あるいは気付かなかったふりをして、無視した。
ドアを後ろ手に閉めると、明かりがついて俺はまぶしさに目をしばたたかせた。壁際にロッカーが並び、中央にテーブル、スタッフルームなのだろう。そして物置も兼用しているらしく、段ボール箱が所狭しと積み上げられ雑然としていた。
「あの男、常連なのか?」
「誰? すだれ頭?」
俺は、他の客もだいたい似たような感じの中年だったことを思い出しながら、説明を試みる。
「すだれ頭で、雑居ビルXXXの大家をしている男だ」
「すだれの職業なんて、知らない。ここじゃ客と言葉を交わすこともほとんどないしね。だからここで働いてるんだ」
ユキがロッカーの一つを開けて中からメイドの制服を取り出したので、俺は彼女に背を向けてパイプ椅子に腰かけると、テーブルに両肘をついた。徹夜による疲労が一気に押し寄せてきた。眠気覚ましに、俺は質問をすることにした。
「キヨコってなんだよ」
「源氏名。ストーカーになる奴もいるから、ここで本名は名乗らない」
「よりによって、なぜキヨコなんだ。どう考えても今風じゃない」
背後でかさこそと、着替えている音が聞こえてくる。
「ここではそういう昭和っぽい名前が喜ばれんの。他の子は、ヨネコ、トメコ、ウメコ、ヨシコ」
「子をつけりゃいいってもんじゃ」
「もうこっち向いてもいいよ」
ユキに言われて振り向くと、着替えを済ませた彼女は、ロッカーの扉の内側の小さい鏡に向かって化粧をしていた。最初に会った時にしていたメイクは昭和の商売女を思わせる派手なアイシャドウに毛虫のようなつけ睫毛を合わせたメイクだったが、今纏っているのは、アングラ劇団員のような、白塗りに黒いアイシャドウ、口紅も黒い。また変装の如く外見が変わっている。
「あっ」
ユキが突然悲鳴を上げた。彼女のロッカーの中から、何か大きな物が倒れかかって来たので、ユキは慌ててそれを避けた。どさりと重たげな音を立てて床に転がり出たのは、トレンチコートの男、だった。
「キヨコちゃあん、まだ準備できないのぉ?」
ドアが開いて一瞬店内の陰惨なメタル音楽がでかい音で漏れ聞こえてきた。すだれ頭ことXXXの大家だった。
「ちょっと、ここはスタッフ以外立ち入り禁止。あ」
またドアが開いて、飛び込んできたのは店長だ。最後の「あ」は足をロッカーに突っ込んだまま床に突っ伏している男に気付いたからだ。
「うわあ、死んでるんですか」
間延びした声を上げたのはXXXの大家だ。大家はホイップクリームで汚れた口元を紙ナプキンで拭いながら倒れている男に歩み寄ると、顔がよく見えるように仰向けにした。
その男はまたもや俺で、首に俺の物であろうはずがないスカーフがきつく巻き付いていた。顔色から判断するに、絞殺だ。死体はカチコチに固まっている。
「困るなあ、ツケが半年分も溜まっているのに」と店長は頭をかきながら言う。
「あーあ、弱ったなあ、うちはカフェなのに死体なんて」
大家はポケットからケータイを取り出し
「六階のクリーニング店に処分してもらおうか」と電話をかけ始める。
「借金してまでこんな店に通うわけないだろう」俺は腹を立てて怒鳴った。
「そんなこと言って、ツケを踏み倒そうったって、そうはいかない」
店長は座った目で俺を睨む。ひょろ長くいかにも腕力がなさそうなのに、切れさせたらまずい雰囲気が漲っている。
「あ、チョーさん? 今三階のポルカに居るんだけど。そう、冥途カフェのポルカ。死人が出ちゃってさあ、困ってんの」
大家は俺達の会話にはお構いなしで電話に話しかける。
「いや、わかるけどさあ。こないだのヤバいやつ、アレしてあげたじゃない? 持ちつ持たれつだよチョーさん。頼むよ」
「その人、河原で石を十個積み上げた伝説のチルドレンだよ。十個完成させたら、鬼から頭なでなでしてもらえるんだ。だからチルドレンは必死に積み上げるんだけど、こっちはすだれ頭なんか撫でたくないから全力で崩して回る。だから、この人、すごいんだ」とユキが青ざめた顔――それはドーランのせいだったかもしれないが――で言う。
「だから、俺は絶対に石なんか積まない」
「キヨコちゃんのためなんだってば!」と大家は電話機に向かって怒鳴る。「あんただって、特別サービスしてもらってたじゃない。ねえチョーさん」
「君がやったのかい、キヨコちゃん」
店長に詰め寄られて、ユキは激しく首を左右に振った。店長はユキの左腕を掴んだ。
「ちょっとあんた、メイドさんにお触りは禁止!」電話中の大家が店長を指さして詰る。
「あんたが言うな、俺が見てないと思って何をしているか、知ってるんだぞ」
店長が大家に詰め寄る。その隙をついて、ユキは店長の手を振りほどくと、部屋から逃げ出した。俺も素早く後を追って部屋の外、陰湿なメタルが軋むようなエレキの音を響かせている店内に出ると、閉めたドアを体で押さえた。ドアノブがガチャガチャ回され、ドアを蹴っているのか殴っているのか、振動ががんがん薄い板越しに感じられた。
ちりーんという鈴の音がかすかに聞こえ、ユキが店を出て行ったことがわかった。
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