空也、無性の神と街歩きすること

 午後の講義中、周りの学生の話題が気になった。そういえば、昼休みでも同じような内容で女子学生が盛り上がっていた。

空也はスマートホンのサイトで今朝のニュースを調べてみることにした。


『兵庫、大阪で新型のウイルスか』

『急な高熱と湿疹』

『成人男性でもかかりやすい病』

『重症になると命の危険性も』


 朝から少し目に付いた光景も納得ができた。まだ暖かい日も多いというのに、マスクをしている人間をちらほら見かけたのだ。情報に流されやすいのか、大学の購買会でもマスクを求める学生が溢れていた。確かに新型ウイルスならワクチンも足りなくなるだろうから、予防するに越したことはない。空也もマスクを購入すると、ごったがえす購買会を足早に出た。

 午後四時半。空也は六時からのバイトまで時間をどう潰そうか思案しながら正門の前にやって来た。学生たちが楽しそうに話をしているのを見ると孤立感が強くなる。ここ最近は別天神たちと交流を持ったせいで慌しいことが増えたものの、普通の人間との交流に自信が持てるわけではなかった。むしろ、崇めていれば済む神さまとの関係の方が気持ち的には楽かもしれない。高校時代の友人とも会わなくなってしまった。この先、卒業までに親しい友人など出来るのだろうか。ましてや恋人など――。


 つい美穂子の顔を思い浮かべたとき、


「空也」


 涼やかな声に、空也以外の学生たちも振り向いた。


 ゆっくりと近づいてくるその姿に思わず声を上げてしまう。


「む、ムスヒさんっ?」

「そんな大声を出さなくたって……ちょっと良いかな」

 少し首をかしげたムスヒを多くの学生が見ている。

 おそらく、その理由は当初の空也と同じだろう。あまりに男女の境が感じられない風貌に、つい見入ってしまう。もちろん、それだけではなく、元から整った顔立ちをしているので、人目を引くのも不思議ではない。

 空也にとって不思議なのは、どうしてここにいるか、だ。

「あの、オレに何か用ッスか?」

「頼みがあるんだ。浮き橋のためにも」

 ムスヒは少し目を伏せた。まさか、向こうから頼みを持ち掛けてくるとは思わなかった。それだけ浮き橋の在処が重要だということだ。これで、ムスヒを縛る何かが見つかれば一気に解決するかもしれない。


 空也の小石がパチンと鳴った。


「もちろんですよ。出来る限り協力します」

「少し街歩きに付き合って欲しい」

「え?」

「アルバイトの時間までで良いから」

 そう言いながら、ムスヒは駅前の方に向かって歩き出した。あまりに意外な申し出に拍子抜けしたが、時間潰しにも丁度良い。空也は、無性の神とともに、緩やかな坂道を下っていった。

 ムスヒの背丈は空也より少しだけ低い。ミナカと同じくらいだろうか。ただ、その瞳が本当に可憐で、どうか女であって欲しいといつも願ってしまう。もとより、この神にも性別がないのだから意味がないことはわかっているが、ウマの身体が女だったとはまったく気づかなかったのに対し、女かもしれないと思わせる何かがムスヒにはあった。

 少しは良好なコミュニケーションを――そう期待したものの、ムスヒは空也の話に的確な相槌を入れるだけで、自分から話題を振ることはなかった。先日のビアガーデンで気まずい思いをしている空也にとって、ムスヒの素っ気なさは、かなり気分を落ち込ませた。


 すると、突然ムスヒが振り向いて言った。


「君は、今――幸せ?」

「へ?」

 黒い瞳が少しだけ滲むような色合いになる。空也はその眼差しに縫い留められ、わずかに鼓動が早まった。

「あ、えーと、えーと、幸せ……なのかな。はい」

「そう」

 一瞬で興味をなくしたように、ムスヒは再び路面店を眺めながら歩き出した。空也は安易に出した自分の答えに激しく後悔した。相手は神さまなのだ。もっと深い問答を繰り広げるべきだったのではないか。空也はすっかり意思疎通に自信を失った。

 沈黙の時間が長くなり始めた時、駅のメインストリートへやって来た。ムスヒが足を止めたのは、一軒のブティックだった。ショーウィンドウに飾られているマネキンの衣服は、どれもこれも高そうだったが、ムスヒはそこに物怖じせず入っていく。空也が躊躇していると、ムスヒが無表情でこちらを見るので背中を丸めて後に続いた。


 ――まさか、買ってくれとか言わないよな。


 トコタチならともかく、ムスヒは良識があると信じている。それでも、意図ははっきりしない。女性用の衣類ばかりが置いてあるが、ムスヒが自分で着るのだろうか。

「空也、これは何だと思う?」

 ムスヒが指をさしたのは、最近若い女性の間で流行っているものだった。しかし、名前が出てこない。

「あ、何か上から羽織るものみたいッスよ。トコタチの方が詳しいかもしれないッス」

「確かに羽織り物と言われてみれば、昔は雪国の童がこれに似ているものを着ていた」

「そうッスね。流行は繰り返すといいますしね」

 ムスヒは細い指でサテンのリボンをなでた。

「いらっしゃいませ。そちらはボレロでございます。今年は鈎針編みのものや、レースをあしらったものが人気です」

 女性店員がこちらに近づいてきた。その手にはワイン色のスカートが載せられている。

「こちら新作のスカートでございます。これからの季節はもちろん、春先まで使えますから重宝すると思います。そちらのボレロと合わせると可愛いですよ」

店員は他にも白いブラウスやニットを並べながら、着回しの説明をする。確かに、落ち着いた色合いは秋らしくて良い。

女性店員が褒めちぎりながらスカートをムスヒに合わせた時、

「ありがとう――でも」

 ムスヒがそれに目を落としながら静かに語りかけた。


「どうして、女だと思った?」


 女性店員は顔から落っことさんばかりに目玉を引ん剥くと、慌てて頭を下げた。

「も、申し訳ございませんっ!大変失礼いたしましたっ」

「それは良いんだ。ただ、どうしてか気になるから」

 しかし、女性店員は顔を真っ赤にしながら謝るばかりで、すでに泣き出しそうだった。そして、空也の方をチラチラと見つめてくる。助け舟を求めているのだろうか。それとも、こちらの関係を把握しようとしているのか。

「す、すみません、プレゼント探していたんスよ。オレらが着るんじゃなくて……」

 何とか切り抜けようと、空也は精一杯のフォローをした。おかげで女性店員も安堵の表情を浮かべた。

「あぁ、なるほどっ!お相手の女性のサイズは……」

 しかし、ムスヒは小さく息をつくと、そのまま背を向けて店の外に出て行ってしまった。再び泣きそうな顔をした女性店員に頭を下げて、空也も店を飛び出した。


 ――わけがわからない。

 

 何も語ろうとしないムスヒがとてつもなく遠く感じた。声をかければ振り返ってくれそうな距離にいるというのに、やはり人間である空也をどこかで認めていないのかもしれない。しかし、ウマやトコタチと交流し、その心を掴んだという自負が空也にはある。胸元の小石を見つめつつ、空也はムスヒを追った。

 さらに賑やかな通りに入ると、雑踏の中でムスヒを見失いそうになった。何とかその姿を確認したとき、空也は思わず立ち止まってしまった。風俗店のティッシュを配る男たちが、次々とムスヒにそれを手渡そうとする。その合間に、化粧品のサンプルや、女性向けの小冊子を持った女の子がムスヒに近づく。それらを全て受け取りながら、ムスヒは道端のティッシュ配りの男に話しかけた。

「このティッシュなんだけど」

「はいはい、すぐそこの店ですよ」

「男だと思ったからくれたんだよね?」


 ――。


 いてもたってもいられなくなった空也は、強引にムスヒの腕を掴んで引き戻した。


 いや、何だこれは。


 空也の右手が得た感触は、ムスヒの腕であるはずなのに、それはシャツの袖だけだった。


 ムスヒはそれを振りほどくことなく、うなだれた。

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