空也、少女と出会うこと
空也は劇場のロビーの椅子にへたりこんだ。
脳裏にへばりついた数々のアダルトシーンが再生されるたびに、身体中から汗が噴き出した。
「大丈夫か?ホレ、水じゃ」
追ってきたミナカが心配そうな顔でのぞきこむ。空也はミナカからミネラルウォーターを受け取ると、力なく口をつけた。
壁に寄りかかっていたトコタチがため息をつく。
「たかが女の裸を見たくらいでのぼせていたら、次の店に行けぬではないか」
空也は反論する気も起きず、ただただうなだれた。
もちろん、女の裸体がどういうものかは知っていたし、見るのは嫌いではない。しかし、生身の女が自分の目の前で服を脱ぐのは、もっと特別なものだと信じていたのだ。誰に何と非難されようと、空也の中にはそういった女性に対する一種の信仰に近いものがあった。そもそも、ストリップが一糸まとわぬ姿で踊るとは知らなかった。さらに踊りの後の過激なサービスが空也にとどめをさした。まるでアダルト動画のような世界、しかも最前列で見せつけられたのだ。
「しかし、ウズメはもちろんじゃが、人間の女子はみんな踊りが上手じゃな」
「確かに。あなどっていた」
ミナカとトコタチが淡々と感想を述べ合っていると、輪の中に誰かが近寄ってきた。
「主様、お久しぶりです。トコタチ殿もお元気そうで何より」
さっきまで激しいダンスを踊っていたウズメという女神だった。年配受けしそうなグラマラスな体つきだ。少し背が高いので、太っては見えない。唇の横にあるホクロが妙にいやらしく見える。再び、ステージでの光景が脳裏に浮かんできた。
「まさか、いらしてくださるとは思わなかったですわ。しかも、人間と一緒――」
ウズメは空也に顔を近づけてくると、いきなり倒れ込んでそのまま空也にしがみついた。
「おわ!」
動揺する空也の一方でウズメはぐったりとして動く気配がない。徐々にその重みが空也の腕に伝わってきた。
「あれ、う、ウズメさん……大丈夫ですか?」
少し心配になった時、ちょうど劇場のスタッフが駆けつけ、ウズメを別室に運んでいく。空也は破裂しそうな心臓を必死に押さえた。
小石が淡く光る。
「驚かせて申し訳ないわ」
空也の目の前には、和装の黒い髪の女が立っていた。眉毛が凛々しい。
「――え?」
「
混乱する頭で、スタッフに運ばれていく女と目の前の女を交互に見ていると、ウズメが笑った。
「アタイの姿は人間には見えないの。あの娘の身体を借りて踊っているのだわ。でもアンタは別みたいだわ」
ウズメは空也の小石を指差した。
「別天神が人界におられると知った時は驚きましたわ。みなさま大胆ですわあ」
「ワシらも葦原の中つ国でウズメの舞が見られるとは思わなんだ。ただ、天界で見た時より少し大人しい舞じゃったのう」
「人間に受けねば意味がないのですわ。でも、楽しめたでしょう?」
ウズメは呆然とする空也の髪の毛を興味深そうに触れた。凛々しい顔も、笑うとやはり色っぽかった。
救急車の音が聞こえてくる。すぐ近くに止まったかと思うと、慌しく救急隊員が入ってきた。控え室からさっきのダンサーが運ばれてきた。
「あの娘はねえ、両親に捨てられて一人で頑張ってきたのですわ」
眉を寄せて、ウズメがしみじみと語り出した。
「大きな舞台で踊る夢を見ていたけれど成功しなかったのですわ。生活のためにこういう場所で働くうちに自暴自棄になって悪い薬に手を出してしまってねえ。そして、橋の欄干で転がって死にそうになっていた時に、小さくアタイの名を呼んだのですわ。こんな娘がものすごく強い信心を持っていたなんて驚きましたわよ。そこでアタイは、この娘に憑依して夢を叶えるために手伝いをしておりましたの。そのうち、舞台の大きさなど問題ではなく、ただ自分らしく舞う喜びに目覚めてくれたのですわ。ただ、もう身体は限界かもしれませんわ。最近はこうやって身体から弾き出されることも増えてきたんですわ」
救急車の音が遠ざかっていくと、ミナカがウズメの肩を叩いた。
「そばにいてやれ。おぬしを呼んでおるわ」
ウズメは小さくうなずくと、ふわりと宙に浮いて消えていった。
ステージでの彼女の踊りを思い出すと、胸に痛みが走った。自分のすべてをさらけ出して、文字通り命を削るように舞を舞う。それを、単純に性の対象としてだけ物見をする男たちをどう思っているのだろう。
「人間、くだらぬことを考えているのか」
トコタチが空也の頭を小突いた。
「そんなこと言われても、あんな話聞いたらどうしたって考えるさ」
「お前の思考など意味がない。救ってやりたいと思うなら金を使え」
言い返す言葉が見つからない。この神の言葉は正しい。
いくら空也が彼女を案じたところで、身体が回復するわけでもないし夢が叶うわけでもない。自分はこの後、適当に遊んだら家に帰って寝るだけだ。そして親の金で大学に通う日々が続いていく。
こんな偽善があるか?
「気にするな。トコタチなりの慰めじゃ」
ミナカがトコタチの肩に腕を回した。
「空也、おぬしら人間は昔から他人の痛みを我が物としてきた。己の命が先に尽きるかも知れんのに、まわりのことばかり考える妙な生き物じゃが、ワシは嫌いではないぞ。きっと、トコタチも同じじゃ」
トコタチがふてくされたまま空也の腕を引っ張った。
「面倒な男だ」
心なしか顔が赤い。
「主殿、俺は辛気臭いのが苦手だ」
「よしよし、場所を変えるのか?」
「この人間でも平気な場所に連れていく。あまり刺激はないが良いか?」
「構わぬ、構わぬ」
この二柱が空也の心の負担を軽くしようとしているのがよくわかった。
いつまでも暗い顔をしていても仕方ない。第一、ステージのダンサーは笑っていたではないか。
空也は己の頬を叩いて、気持ちを切り替えた。こうなったらトコタチが言うとおり存分に金を使って遊んでしまおう。空也たちは賑やかなネオン街に再び繰り出した。
「ところで、トコタチはどこに行くつもりなんだ?」
「そうじゃ、ワシも気になっておるぞ」
問いかけに対し、美麗な男が小さな雑居ビルを指差した。地下に向かう階段を下りていくと、飲食店のドアが現れた。
「トコタチ、ここは……」
「まあ、心配するな。本番はない。お前にはちょうどいいだろう」
「本番は、って」
「主殿、刺激は少ないが身体に触れぬことはない。存分に楽しんでくれ。ただ、極限まで力は封じて欲しい」
逃げ出そうとした空也を押さえつけ、トコタチは店のドアを開けた。
「セクキャバなんて無理無理っ!充分に刺激的だろっ!ダメッ!許してっ!」
「恥ずかしがる方が、もっと恥ずかしいぞ?お前は客なのだから堂々としたら良いのだ」
美麗な男は最もらしいことを言ったが、薄暗い中でも笑いをこらえているのがよくわかる。結局、空也は二柱に両脇を抱えられ、異空間に足を踏み入れることになった。
「いらっしゃいませえ」
店内にいる女性スタッフは全員下着が見えそうな格好だった。テーブル席では男たちがその女たちを膝の上に乗せて絡んでいるのも見える。
空也はトコタチに強引に席に座らされると、すぐに若い女が隣に座った。無造作に結い上げた髪からこぼれる後れ毛が、首筋で揺れる。
「こんばんはあ、学生さん?」
発せられた声は鼻にかかって幼く思える。外見とのギャップに空也が下を向いて固まっていると、右肘に柔らかいものが触れた。
「かわいい、緊張してるのね」
「す、すす、すみません」
女が空也の膝に手をかけた。空也は身体が跳ね上がるほど驚いてみせると、女は少しだけ空也から身を離し、困ったような顔をした。
「どうしよう。何か可哀想になってきちゃう」
「ご、ごめんなさい」
すると、後ろのボックス席からトコタチが現れ、空也を睨みつけた。
「ここの女たちは、客を満足させるのが仕事なのだ。お前は営業妨害していることになるのだぞ」
「そ、そんなこと言われても」
「何が気に入らぬというのだ。まったく理解できぬ」
確かに、世の男性は女の身体を求めるものだし、トコタチの言い分は正しい。ただ、それとこれとは別問題なのだ。説明は、上手く出来ないけれど。
「良いよぉ。お客さんを不快にさせることが仕事じゃないもん。ねえ、お兄さん」
女は笑みを浮かべて言った。
「同い年くらいかな。何か親しみ感じちゃう。後で連絡先教えてよ」
こういう言葉で客をその気にさせるのだろう。しかし、友人がいない空也は素直に嬉しくなってしまった。
――ダメダメダメ!
術中に嵌る前に、必死に理性で場所と状況を再確認させる。
「でも、オレなんかつまらない男ですし」
一瞬、目を丸くした女は声を上げて笑った。
「やだ、真面目に返されたの初めてなんだけど。面白い人だねえ」
そして、可愛らしい字で書かれたアドレスのメモをこっそり渡してきた。動揺する空也はただそれを黙って受け取るしかなかった。
「大丈夫よ。そんなに怖がらないで。お兄さんのも教えてよ」
手が伸びてきて、空也の額と頬に触れる。予想外のひんやりとした感触に驚いた。
「寒くないんスか。そんな格好で」
「やだ、何を言い出すかと思ったら」
「女の子は身体を冷やしたらダメだって、田舎の祖母ちゃんが言ってたもので」
「ふふ、じゃあ温めてくれる?」
「い、いやいや、無理ッス。オレも冷え性ッス。役立たずですみません」
自分なりにコミュニケーションを頑張ったつもりだったのに、間抜けな受け答えをしてしまった。もうこれ以上どうしたら良いのかわからない。このまま勢いに押されて、トコタチの前で醜態をさらすことになるのだろうか。
その心の内を見透かしたように、女は空也の背中に腕を回し、首筋に唇を落とした。
「わっ」
「役立たずだなんて自分で言ったらダメよ。ありがと、大丈夫よ」
――。
先ほどまでの作り声とは違う。なぜだか心配になった。
空也が直立したまま困惑していると、近くの席から荒々しい男の声がした。一瞬で場の空気が凍りつく。
「まったくよお。サービス悪すぎだろ?オーナー呼んでこいよっ」
かなり酔っ払っている。状況はよくわからないが、誰かが男の機嫌を損ねたらしい。慌てて男性スタッフが駆け寄って、事情を説明した。
「申し訳ありません、当店は一部サービスは行なっておりませんので」
「ああ?こんな貧乳のブスばっかりで、この値段とかふざけてるのかよ」
そっとフロアをのぞくと、男の近くで小柄な女が泣いていた。まだ新人なのだろうか、トラブルに慣れていない様子が空也にも伝わってくる。
他の客の間にも気まずさが漂いだした時、空也の横に座っていた女が突然立ち上がった。
「アンタこそ貧乏人の風俗素人のくせに偉そうなんだよ。不満があるなら借金して高級コールガール家に呼べよ!周りのお客さんに不快な思いさせて、これで客足減ったらどうしてくれるのさ」
「ミーちゃん!」
男性スタッフが顔を青くして叫ぶ。しかし女は一歩も引く様子はない。ついに泥酔客がわめき散らした。
「お前、売女のくせにお客様に向かって何て口を聞きやがるんだっ!」
「金を踏み倒そうとするヤツは客でも何でもねえんだよっ!アタシらみたいな商売女にしか威張れないくせによ!」
その剣幕に空也は圧倒された。
色っぽく微笑んだり、優しく接してくれたり、鬼の形相で怒鳴り散らしたり、一体、どれが本当の彼女なのだ。
「どうしたのじゃ?何を騒いでおる。む、おぬしは泣いておるのか?」
あり得ない事態が起きた。ミナカが泣いている女の肩を抱き、慰め始めたのだ。
「み、ミナカさん」
「いかんな。主殿も相当酒を飲んでいる」
トコタチが立ち上がろうとすると、ミナカがこちらに気づいて大きくうなずいた。
何の合図かまるで意味がわからない。おそらく当人もわかっていないだろう。
おかまいなしに、ミナカがふらつく足で酔っ払いに近づいていった。
「これこれ、おぬしは乳の大きい女子を所望だったのか?そうなのじゃな?」
「あ?」
同時に、泥酔客を罵倒した女もミナカに向き合った。
「お客さんは下がっていて。すぐコイツ追い出すから」
しかし、ミナカはまるで話を聞く気がなく、泣いている風俗嬢の頭を撫でた。
「この女子は泣いておるではないか。乳が小さいから泣いておるのじゃな。それならば」
ミナカが自分の胸を擦り出し、シャツをたくし上げた。
「ワシの乳はどうじゃ?この女子よりも西瓜一つ分は大きかろう。む?ちと多いかのう」
そこには牛のような顔に変化したミナカと、牛のような豊満な乳房が四つ並んでいた。
「ひ……」
白目を向いた泥酔客がゆっくりと後ろに倒れる。
トコタチが飲んでいた酒を盛大に吹き出し、空也も激しい眩暈に襲われた。
「きゃああああああ!」
一瞬だけ静まり返った店内に、この世の終わりのような悲鳴が響き渡った。グラスが割れ、テーブルがひっくり返る。逃げ回る客たちが卒倒した酔っ払い男を、次々と踏みつけた。
「主殿っ!逃げろっ!」
「ほえ?」
「もういいっ!人間、主殿を担いで外へ出ろっ!」
トコタチはテーブルに飛び乗ると、右手の小指を小ぎざみに揺らした。どこからともなく現れた灰色のもやが店内に充満し、四方八方から大量の雨粒が噴射された。まるで壊れたスプリンクラーのように小さな雨雲が店の中を暴れ回り、薄暗い店内は大混乱となった。
「ちょっとアンタたち!何てことするんだっ!」
怒り狂ったボーイが空也の肩を掴む。すると、空也の袖口に潜んでいたアリが、近くにあったガラスの灰皿を恐ろしい速さで投げつけ、ボーイをフロアに沈めた。さらに舞い散ったタバコの吸殻から火の粉が躍り出て、ピンク色の光を放った。
「おほほう、火の精が楽しそうにしておるわい」
「他人事ですかっ!それよりミナカさん、胸をしまって!早くっ」
駆け出した空也の腕に女がしがみついた。
「何なのよこれっ!お兄さん、どういうことなの?」
「どうもしないッス!て、手品ですよ!ははは、今日は失敗しちゃった!」
「あ、待ってよ!」
空也は女を振り切ると、ミナカを無理矢理に連れ出し、一心不乱で店から脱出した。地上への階段を駆け上がり、闇を求めて走りに走った。
「わわわ、目が回るのじゃ」
「我慢してくださいっ!」
「うほほ、足がこんがらがりそうなのじゃ」
「だあっ!」
空也はミナカを背負い、狭い路地に入った。背後からトコタチも追いかけてくる。
「まったく、主殿の行動は読めぬな。なかなか愉快ではあったが」
美麗な男は周囲を確認すると、泥酔しているミナカに顔を寄せた。
「主殿、人間社会で変化をする際は慎重にならねば。あの者らが今宵のことを騒ぎ出したら、我々は居場所がなくなるぞ?」
相手がミナカのせいだろうか、トコタチの説教も限りなく優しかった。
「ワシはあの娘が……」
「気持ちはわかる。しかし、人間の古い言葉に『郷に入れば郷に従え』というものがある。ここでは我らが異端だ」
空也の首筋に重みが増した。寝息が聞こえてくる。
「……ミナカさん、寝ちゃったぞ」
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