空也、神々の身体を知ること

 翌日、空也は足腰の筋肉痛に見舞われながら最後の皿を洗い上げた。日頃、歩く以外の運動をしない自分が、調子に乗ってウマと同様の動きをしたのが間違いだった。そもそも、あっちは無尽蔵の力を持つ神さまなのだ。

 空也が能を舞うような動作でテーブルを拭き始めた時、タカギが時計を見上げて言った。

「空也殿、そろそろ閉店しますので、戸締りをお願いします」

 言われるまま店のドアに向かうと、勝手にそれが開いた。

「おぉ、やはり背丈が変わると景色も変わるのじゃな」

 突然、陽気な声とともに、女が空也に飛びついてきた。

「えっ?」

「トコタチに方法を聞いたのじゃ。人間の造りは不思議よのう」

 目の前にいたのは、快活そうな女の子だった。

 やたら胸がでかい。

「あの、もしかして」

「主殿だ」

 そう言って店に入ってきたのは、相変わらず長いスカートを引きずった美麗な男だ。

 タカギが奥から声をかけた。

「空也殿、今日もお疲れ様でした。またよろしくお願いしますね」

「あ、はい。……あの、それよりこれは一体」

 空也の言葉に、タカギは辺りを見回した。

「これ、とは。何でございましょう」

「ミナカさんですよっ!女の子になっちゃってるじゃないですかっ!」

 すると、カウンター席に座ったトコタチが頬杖をついてこちらを眺めた。

「なっちゃいない」

「はあっ?こんな巨乳の男がどこにいるんだよっ!」

「俺たちに性別などない」

 そう言うと、にわかにトコタチが美少女の姿に変わる。ミナカは自分の豊満な胸を両手で押しつけると、いつもの男の姿に戻った。

「ワシも、トコタチのようにササッと変われるようになるのか?」

「主殿、ひたすら慣れろ」

 二柱のやりとりに唖然とする空也を、タカギは小さく笑った。

「空也殿、最初に申し上げたと思いますが、我々は元より形を持っていなかったのですよ」

「それは、ええ。聞きました、けど」

「ここ葦原の中つ国で過ごすには、どちらかに属さねばならないではありませんか」

「どちらか?」

「男の姿、もしくは女の姿に」

 ――。


 タカギが困ったような顔をした。

「我々には性別がありません。主殿もトコタチも、男女入れ替わりをしていますが、形が変わっているだけです。主殿は、まだ人間の生活に慣れていないので、男性の姿の方が楽かと私がご提案しました。女性は色々と身だしなみやマナーが大変でしょうから」

 空也はタカギを見つめた。

「じゃあ、タカギさんも女の人になれちゃうんスか?白髪交じりのおばあさんとか」

「ええ。でも、私はこのままで結構です。この姿が客受けは良いみたいですし、棚の上の物を取るのにも都合が良いのです」

 あまりにも衝撃的だった。

 つまり、ムスヒもウマも性転換が出来てしまうというわけか。いや、そもそも形を持たなかった神々は、人間の姿以外にも変化が可能かもしれないのだ。

「それにしても、ちゃんと今時の格好を研究しているんですね」

「私たちは極秘で人界におります故、目立たないようにしているだけです」

「でも、トコタチだけは目立つと思うッス。髪の色もその長いズルズルした服も余裕で校則違反でしょう。顔は、まあ……ありですけど」

 すると、トコタチが座っていた場所に、白装束に身を包んだ中年男がいた。太鼓腹で目が細く、顔は下膨れだ。空也が声を上げる間もなく、そいつが喋り出した。

「かつて人間が描いた俺の姿だ。これの方が、よほど目立つだろうが」

「ト、トコタチか?」

 美麗な神の変わりように、フロアに笑い声が響く。自由自在に姿を変えられる能力は正直羨ましかった。そんなことを伝えると、

「人間はそんな風に思われるのですね。不思議です」

 タカギが感慨深げに答えた。やはり、なかなか理解を埋め合うのは難しそうだ。

 カウンターから太鼓腹のトコタチがミナカに声をかけた。

「さて。そろそろ時間だ、主殿」

「うむうむ。楽しみじゃな。空也も来るか?」

 再びグラビアアイドルのような姿になったミナカが空也の腕を引っ張る。それを見たトコタチが口をひん曲げて笑った。

「主殿、その人間は、人間のくせにまだ未経験らしいのだ。もったいないことだな」

「そうか。ならばワシと同じじゃ」

 何の話をしているのだ。

 ミナカが空也の胸や腹を撫で回した。

「人間は気持ちが良いから抱き合うらしいのう。面白い。男と女で気持ちよさの感じ方は違うのか?」

 とっさに空也は状況を理解し、トコタチを睨みつけた。

「お、お前っ!純真なミナカさんに何を教え込んだんだよっ!」

「人肌の心地よさ、だ。男と女では肌の質が違う」

 そう答えたトコタチは不思議そうな顔をした。

「容易に男の肌に触れるなら、女の姿になるのが手っ取り早い。逆も然り。違うか?」

「違わないけど、そんな感じるとか気持ち良いとか、神さまだろっ!アンタたちはっ!」

 トコタチとミナカは顔を見合わせた。そして、解せないと言わんばかりに空也を見つめる。その反応に空也はさらに声を荒らげた。

「人間にはね、愛情とか、貞操とか、初体験とか、色々とクリアしなきゃいけないものがあるのっ!」

 まあまあ、と笑いながらタカギがカウンターから出てきて仲裁に入った。

「主殿とトコタチは、少し思いやりが足りないようです」

 そして、今度は空也の顔をのぞきこんだ。

「空也殿、ご安心ください。私ども別天神は、性別がありません。故に性欲もありません」

「へ?」

「人間が抱く欲情、とでも言うのでしょうか、そういったものは持ち合わせておりません。ですから、この身体もそういう機能を果たしません。もちろん、その真似やフリはできるでしょうけど」

 トコタチが強くうなずきながら、普段の美少女に戻る。

「そうでもしないと、人間の方は退屈でヤル気が起きぬのだろう?」

「つ、つまり、トコタチは本当に人間の肌に触れるためだけにあんなホテル街にいたのか?」

「たまに金品をもらったりする」

 空也は椅子に座り込んだ。力が抜けてしまった。


 これで納得した。


 トコタチがホテル街で男女入れ替わっていたのは、性別問わず単に人間と触れ合うためなのだ。それでも、端から見ればただの客引き行為だ。この美しい顔なら誰もが声をかけてくるに違いない。

「もしかして、あのスーツの男から逃げていたのは、その〝人肌〟とやらの相性が悪かったからなのか?」

「こう見えても俺は厳選する方だ。あの人間の男は心が美しくなかった。俺が相手するほどではないな」

 艶っぽく微笑むトコタチは、超絶に美しかったが、言動が神々しくない。空也は天之常立神あめのとこたちのかみの文献に記載ミスがあることを糾弾したくなった。

「そういえば、太陽の天照さんは女の神さまみたいだったけど」

「ああ。ついでにいえばタカギ殿に入れこんでいるようだが、それが愛なのか恋なのかはさっぱりわからん。興味もない」

 そんなやり取りを横目に、ミナカが再び両手で胸を弄んでいる。よく見ると、何ともいえない光景だ。

「そうか、すまぬのう。ワシとしたことがおぬしに配慮が足りんかったわ」

「いえ、その。まあ、ある意味で満足ッス」

「しかし、人間は互いの肌に触れるのに、いちいちそんな障壁があるのか?みんなそうなのか?」

「まあ、普通はそうでしょうね。そうじゃないのもいるかもしれませんけど」

 ミナカは難しそうな顔をした。確かに、性差のない神々には理解しづらいだろう。こちらとしては、ミナカたちの感覚に驚いてしまう。男女差や、性欲がないというのは、どういう状態なのだろう。動物や植物に対する気持ちと変わらないのだろうか。姿形のみならず、この意識の差も埋められない状態で、五柱と意志疎通を図っていけるのだろうか。

 タカギが空也の肩に触れた。

「これは、ウマが飼いならしているアリですね。どうしたのですか?」

 空也の肩にいた二匹のアリが、タカギの指先でくるくると舞ってみせた。高御産巣日神に対する敬意の表れだとみた。空也はウマと綱渡りやジャグリングの練習をし、昨夜の公演で大盛況だったことを話すとミナカが大笑いした。

「楽しそうじゃのう。ワシも空也が松明でお手玉するところを見たいぞ」

「私もです。次回の演目披露の際には、是非とも拝見したいものです」

 トコタチだけは興味なさそうにケーキを食べていたが、テーブルを這っていたアリたちに生クリームを分けてやっていた。

 つい先日まで、たった一人だけの日常だったのに、今ではこんなに笑い声に囲まれている。慌しい毎日になるのは確定だが、不思議な高揚感が空也を満たしていた。


 ――それに、ミナカさんは意外に可愛いしなあ。


 空也と目が合った巨乳の女の子が満面の笑みを浮かべた。

「そうか、ウマの奴は空也に願いごとを聞いてもらったのじゃな?それで、ウマを縛り付けていたものは解けたのか?」

「いや、よくわからないッス」

「主殿、解けたのであれば我々にも察知できるかと思われます。おそらく、まだウマを縛るものがあるのでしょう」

「ま、焦っても詮無きこと。空也にも負担をかけ過ぎてはならんからのう」

 そんなミナカの背後から美麗な神が意地悪い笑みを浮かべる。

「人間、仕事は済んだのか?」

「え?うん、まあ」

 突然、ミナカが歓声を上げた。

「うむ!出発じゃっ」

「あの、出発ってどこに」

「色町じゃ」


 単語変換した頭の中に、淫らできらびやかなネオン街が広がった。


「いやいやいや、オレは学生なんで、そういうのはダメなんですって」

「お前は浮き橋捜索に協力すると言っただろう?俺を縛るものの正体は、おそらく色町にあるとみたのだ」

「何なの、その強引な憶測はっ!協力はしたいけど、その場所が問題だよ!」

「風俗で働いている者たちも、お前と同年の女学生ばかりだ。何が問題なのだ?」

 トコタチが目を細めて笑った。

 空也は全力で拒否したが、聞き入れる様子もない。タカギに助け舟を求めると、予想外の答えが返ってきた。

「私も場所についてはよくわかりませんが、たいそう気分転換に適した場所らしいですね。トコタチと一緒に空也殿もたまには息抜きされたらいかがでしょう」

 タカギは本当に何もわかっていないようだった。無性の神には縁のない場所なのだから仕方ないとはいえ、頼みの綱も切れてしまった。

「難易度が高すぎるよっ!だいたい、三十秒前にミナカさんがオレに負担かけすぎるなって言ったでしょうよ!」

「本来なら人間のお前の方が心から楽しめる場所なのだぞ?」

「オレは、そういうのは良いんだよっ。純粋なんだから」

「そういうことをのたまう人間が、女に揉まれてどういう風に変化するのか見てみたいのだ。ああ、男でも良いが」

 完全に確信犯だ。トコタチは、もはや浮き橋など関係なく空也の貞操観念に風穴を開けてやりたいと思っているだけだ。ミナカを連れて行くのも空也が断りにくくするための作戦に違いない。

「ほら、ね?オレ、金もないし。そういうところって高いでしょ?」

「何じゃ、金なら心配するな。ワシとトコタチの貯金箱から持ってきたぞ」

 ミナカが紙袋から札束を出した。小銭も転がる。

「ちょっと、こんな大金どうしたんですか?」

「半分は俺の稼ぎだ。残りはこのあたりの社から集めてきたのだ」

 一瞬、言葉を失った。

「それって、さ、賽銭泥棒っていうんだよっ!」

「何を言っている。だいたい、俺らのために人間は金を投げ入れるのだろう?違うか?」

 神さま自身がそれを言うと、説得力があるから困る。どうして、人間は賽銭という方法を考え付いてしまったのだ。

 タカギが困り果てたように言った。

「ですが、あなた方だけの社ではありませんよ?他の祭神にはちゃんと断ったのですか?借用書が必要かもしれませんよ」

 聞けば、神社では様々な神が一緒に祭られていることが多いらしい。ただ、現代の人間は、参拝する時にそこまで考えていない気がする。

「ならば、俺がこの金を数倍にして返せばいいだけだ」

 美少女が平然と言ってのけた。おそらくその身一つで稼ぐつもりなのだろう。だが、空也はまだ風俗街に行くと決めたわけではない。何とか逃げ出すことはできないものか。

「そういえば」

 タカギが何か思い出したようにバックルームに引っ込んだ。戻ってくると、その手には白い封筒が握られていた。

「ウマから預かっておりました。トコタチに渡して欲しいと。何かの舞台のようですね」

 空也は(まさに)神の助けとばかりにその話題に便乗した。

「いいですねえ!舞台!オレもウマさんの弟子として、芸の道に励むにはそういう勉強が必要だと思いますもん。学生なら学術的なレジャーに行くべきですよねっ」

 トコタチが封筒を開けると、ミナカが黄色い声を上げた。

「これは誠か?ウズメのヤツ、人界で踊りを見せておるのか?」

 その言葉にタカギまでもチケットをのぞきこんだ。

「これは、大変なものを入手しましたね。なるほど、ウズメは技芸神ですからね。ウマも演芸を通して交流していたのでしょう。ウズメなら私たちの存在が知れても隠してくれそうですしね」

 タカギが苦笑しながら、空也に向かって言った。

「ウズメというのは、天宇受売命あめのうずめのみことという芸能の女神です」

「アメノウズメノミコト?」

「彼女の説明をするには……そうですね。かつて、太陽神の天照大神が、弟の須佐之男命すさのをのみことが暴れるのを恐れて、天の岩屋戸という洞窟に隠れてしまったことがあったのですが、ご存知ですか」

 大学の講義でそういう話は習ったが、詳しい経緯は覚えていない。そう伝えると、タカギは問題ないといったようにうなずいた。

「昔、そういう姉弟喧嘩のようなものがあったのです。その時、隠れた天照をおびき出すために、風変わりな舞を踊ったのがウズメです。あまりの斬新さに天界中が笑いに包まれ、それに驚いた天照もうっかり外に出てきてしまったのです」

 ミナカが腹を押さえて笑いをこらえている。

「あれは傑作じゃったのう。思い出すだけで、笑いが止まらぬ」

 その隣で、トコタチが目を細めてこちらを見つめた。勝ち誇ったような笑みだ。

「そうか、この舞台に行きたいのだな。仕方がない――主殿も男の姿に戻ってくれぬか?」

 トコタチに言われるまま、ミナカは胸を押しつけて男に戻った。美麗な神も少女から青年の姿に変わりながら、空也にチケットを突きつける。

「人間、何だかんだいってお前もやはり好きではないか。女体が」

「は?」

「ウズメは、ストリップ劇場にいる。どうやら、あの女神の舞は昔と変わらぬようだ」

 すると、タカギが心配そうな顔をした。

「なるほど。ウズメはこの人界でも全裸に近い格好で踊っているのですね。確かに、人間の男性には刺激が強いのかもしれませんね」

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