空也、神々からお願い(強制)されること
午後の講義を終え、空也が駅前の本屋に入ると――文庫売場の棚にインコが並んでいた。
怖々と顔を近づければ、もしもしと聞こえてくる。間違いなく、あのジュワキだ。
「やい、空也。早う来るのだ」
突然、ジュワキが子供の声を発した。
「あの、えっと、ウマ、さん?」
周囲に感づかれないよう、慌てて声を潜めた。
インコが片足で毛繕いを始める。
「タカギ殿の店で待っておるぞ」
「今日はバイトは休みッスけど」
「かまわぬ。だから……あっ!」
途中からトコタチの声に変わった。
「黙って言うことを聞くノダ。別天神が一同に揃っておるノダ。逃げたらお前の部屋の壁を全部吹き飛ばしてやるノダ」
すると突然、インコのジュワキは棚を飛び出すと空調の中に吸い込まれてしまった。唖然としながらも、話の内容を整理する。さすがに神さまたちに呼びつけられて無視するわけにもいかない。何の用事かハッキリしないまま、空也は本屋を出た。
タカギの店は賑やかな駅前から少し離れた閑静な場所にある。そこを選んだあたり、あの神さまらしいと感じた。比較的大きな公園を横目に見ながらしばらく歩くと、古めかしい建物が見える。店のドアには〝準備中〟という札が掛かっていた。一番稼ぎ時の時間帯にも関わらず、だ。不思議に思いながらドアを押し開くと、確かに五柱の神がそこには勢ぞろいしていた。
「あ、やっと来たのだ」
ウマがカウンターから声を上げた。タカギの隣で皿を拭いている。
「よしよし、空也。さっそく話があるのじゃ」
ミナカが空也の腕を引き、テーブル席に座らせた。その隣のテーブルではムスヒが無言でノートパソコンをタイプしており、その向かいでは女の姿のトコタチが甘栗を剥いて食べていた。
「今日はお休みなのにすみません。さ、どうぞ」
タカギがテーブルに紅茶と菓子を置いた。
「あの……話って何スか?」
戸惑う空也の目の前で、ミナカは両手で弧を描いた。
「橋じゃ、橋」
「は」
「主殿、結論から話をするのは間違っていないけど、それは極端だよ」
ムスヒが頬杖をついてこちらを見た。美少女姿のトコタチも意地悪い笑みを浮かべて空也の顔に指をつきつけた。
「人間、俺たちはお前の失せ物を見つけるという願いを聞いてやった。異論はないな?」
「え……うん。まあ」
「主殿の命とはいえ、それぞれが力を使い、たった一人のどうしようもない人間を救ってやったのだ。この
すると、ウマがカウンターから躍り出て、ミナカの前に恭しく立った。
「まずは、主殿がそなたの叫びを聞いて降臨された。そしてタカギ殿は空也に仕事を与えて、生活が苦にならないようしてくださった。我とトコタチは言うまでもなく、財布を無事に見つけてやった」
空也が自然とムスヒを見つめると、その無表情の神に向かってウマは深々と頭を垂れた。
「ミツバチの被害に遭った下手人を、何とムスヒ殿が治療してくださったのだ。空也が心を痛めぬようにとのお計らいなのだ」
空也は話の趣旨を理解した。
しかし――。
「でも、タカギさんを自主的に手伝ったのはオレだし、見つかったバッグも空っぽだったし、トコタチにゲームデータは消されるし」
「わかっておるっ!」
ミナカが再び両手の輪っかをかざした。
「こちらも不手際があったのは確かじゃ。だから、おぬしにも完璧は求めておらぬ」
「あの、ですから何の話ッスか?」
「ワシらの頼みも聞いてくりゃれ」
口が開いていくのが自分でもわかった。空也は五柱の神々を順々に見つめて恐る恐る切り出した。
「神さまのお願いを聞くんですか?何か最近そういうストーリー流行ってるんですけど、マネして何か企んでません?だいたい、引ったくりに逢うような弱っちいオレなんか無理に決まってますよ」
「何じゃい。神頼みという言葉を作ったのはおぬしら人間じゃろうが」
「それは、そういう意味ではないと思うんスけど……」
一連のやりとりを静かに見ていたタカギが口を開いた。
「空也殿、本当はもっと大変なお話なのです。よく聞いてください」
良識者の言葉に、空也はおとなしく従うことにした。
「実は、空也殿はひったくり以外にも、さらに不幸に見舞われる恐れがあったのです。その難を避けるために主殿がそれを授けてしまいました」
タカギが指を差したのは、空也の胸元で揺れる小石だった。お守りだと言っていたが、ミナカはそこまで見越してこれをくれたのか。
「ところが、それは高天の原に住まう者だけが所持できる代物なのです。主殿はあまり深く考えなかったようですが、人間の貴方がそれを持っていると、神々と同等の力を得てしまうことになります。それはあってはならないことです」
「え……神様と同等って」
――こんな小石に?
「うーむ。すまぬのう、タカギ」
ミナカがしおれた顔をすると、タカギが安心させるように微笑んでみせた。その笑みは空也にも向けられた。
「結論としてですが、人間のあなたに力を与えすぎてしまったのです。それを返していただくために、空也殿は私たちのささやかなお願いを聞いて力を消化して欲しいのです」
神の力――。
まったく実感が湧かない。
突然、額に何かがぶつけられた。床に栗が転がっている。
「おい、人間。石の力を我が物にしようと考えているのではなかろうな?」
美しい少女の眼差しは、思いのほか鋭いものだった。
「いや、まさか」
「そんなことをしてみろ。いかなる手を使ってでも、お前の首から神石を取り返す。その瞬間に災厄に見舞われるがいい」
トコタチが吐き捨てるように言った。
「そ、そんな言い方されるなら、今すぐ返……」
ところが、空也が小石のペンダントを外そうとすると、まるで生き物のように小石がその手を逃れようとした。
「ちょ……何だコレ……」
困惑する空也に、タカギが小さく笑った。
「口は悪いですけど、トコタチの言うとおりです。ただ御覧の通り、人間である空也殿が自在に扱えるような物ではありません。ですから、肩の力を抜いてこちらのお願いを聞いてくだされば良いのです。そのうち、石の力も本来のお守り程度に軽減されるでしょう」
そうは言われても、小石は道端で転がっているようなものにしか見えず、とても大それた力が備わっているとは思えなかった。むしろ、空也は降りかかったであろう災厄の方が気になった。それとなく聞いてみると、五柱の神が全員顔をそらした。
「えっと……わかりました。オレの出来る範囲でお願いを聞けば良いッスよね?期待しないで下さいよ?」
「うむっ!空也は話のわかる良い子じゃな」
「ご協力感謝いたします」
「経緯を説明しないとね」
「空也、よく聞くのだぞ」
「まったく不本意だ」
引き受けなければ帰してもらえない空気だ。しかし、さすがに神さまが人間を危ない目などに遭わせはしまい。
ミナカとタカギ、そしてムスヒが、各々でうなずき合うと、まずはタカギが切り出した。
「私たちは、人界を偵察するために降臨したと申しましたが、真の目的は高天の原の宝物を探すためにやってきたのです」
ムスヒが続ける。
「それは、数多の神々の中でも造化三神、主殿とタカギ、ボクが管理しているものなんだ」
「ワシがそれで遊んでおったら、コロコロと人界に落っこちてしまったのじゃ」
ミナカが笑うと、残りの四柱がため息をつく。空也も大筋で話を理解した。
「つまり、一緒に探し出して欲しいというわけですね。というか、オレのバッグを見つけたように何とかなるものじゃないんですか」
タカギが両手で制する仕草をする。
「空也殿がおっしゃるとおり宝物は見つかりました。こちらに降りてから数年の間に」
「へ?」
意味がわからない。
解決してから一五〇年以上も何をしているのだ。
「あの、宝物って何だったんです?」
「水玉じゃ」
「水、玉?」
ミナカが布袋から取り出したのは、リンゴくらいの大きさのシャボン玉だった。それを、そのまま宙に浮かせる。まるでクラゲのような動きをするシャボン玉は、透明かと思いきや、鏡のように周りのものをを映したり、白くなめらかな陶器のようになったりと、何とも不思議な物体だった。
それを眺めていたムスヒが、黒い瞳を空也に向けた。
「簡単に言えば、ボクたちの一部だったものだ。天地が別れる時に、その気流を留めておいたものだよ。人界の物質にはないものだけど、手触りは泡に近い」
「あくまで水玉に過ぎず、神としての意識があるわけではないのですが、下手に刺激すると割れる恐れがあります。そのため、我らも懸命に探しました」
タカギの声はいつもと変わらず穏やかだったが、妙な緊迫感が空也を包んだ。
「割れるとどうなってしまうんですか?」
すると、トコタチがゲーム機を操作するような動きをしながら口を開いた。
「人間、お前の感覚でわかりやすく説明するなら、リセットだ」
「は?」
「そいつが割れたら天地が別れる時の状態に戻る。世界はただ浮遊するだけの物質になる。当然、国づくりからやり直しになるのだから、人間はおろか地面も海もすべてなくなる。天神も消えてしまうのかどうかはわからぬが」
頭の中に浮かんだ光景は、映画のワンシーンのように街が壊滅されるものだった。
「空也よ、震えておるのか?」
ミナカが不思議そうに肩に触れる。
「当たり前でしょう?何て危ない物を落っことしてるんスか!オレたち死んじゃうところだったんですよ!」
「ああ、人間は死ぬるという考えになるのか。ふむ、ワシらとは違うのう。どうなのじゃろうな、タカギや」
「無理もありません。最近になってようやく人間の心というものを理解しましたが、何と申しますか……仕組みが違いますので」
五柱の神々は空也を観察するように見つめる。別天神たちとの途方もない距離を再認識した。相手は神さまなのだ。死や苦しみなどといった概念がないのは当然だ。ともあれ、危険な宝物を無事に回収できたなら良かった。空也は己の存在を確認するように深呼吸をした。
「それで、結局のところ頼みって何です?」
五柱がうなだれる。そして、タカギが苦しそうに空也を見つめた。
「芦原の中つ国……この人界に我々はしばらく滞在したのですが……そのせいか、天の浮き橋の場所がわからなくなってしまいました」
「橋じゃ、橋。天と地を繋ぐ架け橋なのじゃ」
――。
一呼吸おいて、空也はタカギに確認した。
「えっと、あなた方は神さまなんですから、帰り道くらいそれなりの力を使って探せば良いじゃないですかね……味方もいっぱいいるんでしょう?」
「確かに空也殿のご意見はごもっともなのですが、人界において我々は力を抑えざるを得ません。それに、他の神々に別天神が地上にいるなど知れたら、大変なことになってしまいますので」
「でも、困ってるならお互い様でしょう?オレより、土地神さまの方がよっぽど頼りになると思いますけど」
すると、いきなりトコタチが空也の後頭部に栗の実をぶつけた。
「別天神は神が崇める神だ。それが宝物を落としただの、人界で路頭に迷っているだのと知れてみろ。八百万の神々の統率が乱れて国が滅ぶぞ。俺は別にかまわんが」
その言葉に、空也が口を開こうとすると、ミナカがトコタチを諫めて笑った。
「起きてしまったことは仕方ないのじゃ。タカギとトコタチが言うことは正しく、また空也が戸惑うのも無理ないのじゃ。争っても意味がないわ」
「――そもそも、主殿が水玉を落とさなければ良かった話なんだけどね。まあ、今の結論はボクも賛成する」
ミナカに適度な釘を刺しつつ、ムスヒが空也を見つめた。
「浮き橋が見つからない理由、おそらくボクたちの神眼が衰えているんだ。人界に溶け込もうとするあまり、人間らしくなり過ぎた。だから、橋も姿を見せないのかもしれない」
ムスヒの説明はどこか納得した。要は、無理矢理に押さえ込んできた力の感覚を取り戻すのに苦労しているということか。やみくもに力を使えば、それはそれでトラブルになるという懸念もわからなくもない。ただ、それで百年以上経過しているのは少しのんびりだとは思うが。
「人間の真似をやめたら良いだけかと思うんですけど、何か理由があるんですか?」
五柱は押し黙った。それぞれが何かを考え込むような顔つきになる。
「あの――」
「それが、正に頼みなのじゃ」
ミナカが少しだけ真面目な口調になった。真っ直ぐ空也を射抜く眼差しに、思わず姿勢を正す。
「ここにいる別天神、おそらく人界の何かによって縛られておるのじゃ。しかし、その何かがわからぬ。人間社会の営みに慣れたとはいえ本質は違う。ワシらはどうしたら良いかのう」
「は、あ」
「五柱の意志と力が戻らねば橋は現れません。空也殿、どうか手がかりを一緒に探してもらえませんか?」
タカギもミナカの隣で頭を垂れる。
しかし、空也は一つ気になることがあった。
「降臨して数年間で水玉が見つかったのに、もう帰れなくなっていたんですよね?そんな短期間に何があったんですか?」
「わからん」
ミナカが力強く答えた。
「ああ、覚えてないってことですか」
「違う」
トコタチが目を細めて言った。
「俺たちは降臨した場所も時期も微妙に違うのだ。水玉も散り散りになって探していた。主殿の手元に戻ったことは察知したが、合流したのはもっとずっと後だ。その時には、もう橋は見つけられなかった」
「どうして?」
「だからそれを知りたいと、さっきから言っている」
バカか、美少女が睨みつけてきた。
空也は頭の中で話を順序立てし、あまりに難易度の高い要望にうなだれた。人間ともまともにコミュニケーションが取れない自分が、神さま相手にカウンセリングができるとは到底思えなかった。
「そう焦らずとも良い。何か思いついたらワシらに教えてくりゃれ」
「空也殿。無理を承知でお願いします。我々も努力いたしますので」
「きっとボクたちだけでは限界の何かがあるんだろう。だから、人間である君の感情や考え方が意外な力になるはずなんだ」
「空也、我らに力を貸しておくれ」
「と、いうか――さっき引き受けたよな」
いつの間にか空也は五柱に囲まれていた。さらには高天の原の水玉がミナカの頭上に浮いている。
早くこの恐ろしい宝物を持ち帰ってもらわなくてはならない。
何かの拍子に破裂したらすべてをリセットされる。何もかも消える。
何もかも。
「わかりました」
空也の一言に、別天神は一同に安堵の表情をみせた。合わせて、空也の胸元にある小石が弾けるような軽い音を立てた。
「いかがしましょう、主殿」
タカギがミナカに囁きかけると、ミナカは人懐っこい笑みを浮かべて一同を見渡した。
「いっぺんに頼んだら空也も困るじゃろう。とりあえずウマとトコタチあたりから始めたらどうじゃ」
「私も同じく考えておりました」
二柱が微笑むのに対して、トコタチの美しい顔が派手に歪んだ。
「俺は何も抱えておらぬ」
「うんにゃ、気づいてないだけかもしれぬぞ。ワシは決めたのじゃ。五柱すべて空也に診断してもらうのじゃ」
ミナカが勇ましく言い放つと、ところどころからため息が漏れ聞こえた。その中に空也のものも含まれている。
「診断って……。ミナカさん、期待し過ぎですよ」
「期待はしておらぬ。モノは試しじゃ。ダメなら違う方法で橋を探せば良い」
適当に総括して、ミナカはその場を解散した。頼まれた以上、出来る限りのことをしなくてはなるまい。別天神が機嫌を損ねて小石を取り上げたりしたら、どんな災いが降りかかるか。
そんな身震いする空也の目の端で、ウマとトコタチが甘栗を食べていた。
「よ、よし。まずは話を聞こう。えっと、近況は」
手帳とペンを取り出すと、ウマが首をかしげた。
「空也、近況とはいつ頃からのものを知りたいのだ?」
さらに、極上の美少女が皮肉を込めて笑った。
「落ち着け、バカ人間。俺たちの近況など書き連ねたら、そんな帳面では足りぬぞ」
「あ、何だよ。せっかく人が親身になろうとしてるのに」
「まったく不思議だ。なぜ主殿はこんな生き物を救済したのだ?」
その顔から笑みが消える。にわかに、空也の背中に冷たいものが流れ落ちた。
「ワシもわからん。だから、わかったら教えてくりゃれ、天之常立神」
ミナカの言葉に、トコタチは口をひん曲げた。それでも、見とれるくらい美しい。
「人間、神と関わったからにはお前も覚悟しておけ」
「関わってきたのはそっちだと思うけど――まあ、いいや。あまり無茶苦茶なことさせないでくれよな」
「フン、いつも小銭で無茶苦茶な願いごとをしてくるのは人間の方だろうが」
ふんぞり返った美麗な神は、もう一度空也に栗をぶつけた。
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