空也、ラブホ街を徘徊すること

 曇りの予報だったにも関わらず、ホテル街に着いた時には雨で地面が濡れ始めていた。

 空也は金をけちってビニール傘にしたことを後悔した。周囲を見渡しながら歩く様が丸見えだ。そんな空也の前を、中年のカップルが相合傘で堂々とホテルに入って行く。


 完全に場違いだった。


 悪いことをしているわけではないのに、どこか後ろめたい。あの中年カップルのように歩ける日など永久に訪れない予感がした。空也は引き返そうかと何度も悩みながら、マッチに書かれているホテルの前までやってきた。ここで張り込みをすればトコタチという神が現れるかもしれない。


 ――。

 そもそも、どうやって神だと判断すれば良いのだ。


 きっとトコタチも普通の人間の姿をしているに違いない(こんな場所に出入りしているのだからなおさらだ)。特徴の一つも聞いてこなかった自分の間抜けさに呆れた。ホテルから出てくるカップルたちに尋問する度胸も残念ながら持ち合わせてはいなかった。

 タカギに情報をもらおうと、店の電話番号を調べていると、隣のホテルの入り口で雨宿りをしている少女の姿が目に入った。黄色とオレンジ色の長い髪は、ところどころ白く部分染めをしている。引きずるほど長いスカートは雨に濡れて色が変わっていた。年齢は空也と変わらないと思われたが、真面目に学校に通っているようには見えなかった。その時、歩いていたスーツ姿の中年男が少女に近づいた。男が笑いながら話しかけると、少女は立ち上がり、そのまま二人はホテルに入って行った。空也は色々と想像し、そして後悔した。あのように、たやすく不純な行いに至ってしまう神経が理解できない。それとも、この都会では自分が思う以上に性に奔放なのだろうか?

 空也は、少女が実は三十代の派手な女性であることを願いつつ、タカギの店に電話をした。忙しくなってしまったのか、何度コールしても出る気配がない。早上がりしたことに少々の罪悪感を抱きながら、空也は濡れた通りを歩き出した。脇道でタバコを吸う男、大きな荷物を持ってホテルに向かう女――多くの人間模様が、ただ静かに雨の世界で繰り広げられている。

 いよいよ雨脚が強くなり、外にいるのがしんどくなってきた。空也は少し離れた場所に見つけたカフェに避難し、長期戦を覚悟した。窓に面したカウンター席でアイスコーヒーを飲んでいると、向かいの歩道を歩く人影が見えた。

 大雨の中で傘もさしていないその人物は、さっきのオレンジ色の髪をした少女だった。


 ――違う。


 あれは男だ。身体も一回り大きい。髪色が近いだけだろう。男はビルの外階段に腰を下ろして空を見つめていた。

 すると、スーツ姿の男が走ってくるのが見えた。どうやら先ほどの中年男と思われたが、誰かを探すようにあたりを見渡してはホテル街を駆け抜けて行く。ふと視線を戻すと、外階段に座っていた派手な男がいなくなっていた。代わりにそこにいたのは、どう見てもあの少女だった。長いオレンジの髪の毛、長いスカート――。


 この違和感は何だ。

 窓に顔を近づけると、少女が座り込んで何かしているのが見えた。

 手に持っているのは赤と青のゲーム機。

 ぶら下がったタヌキのストラップに、空也の視神経がフル稼働した。

「おあっ!」

 空也はアイスコーヒーを一気に飲み干し、慌てて店を飛び出した。水溜りを跳ね上げながら向かいの建物へ走る。小石のペンダントが雨粒に濡れながら光ると、座り込んだ少女が、ゲーム画面から顔を上げて空也を見つめた。

 思わず息を飲む。

 まるでアイドルのような美少女だった。切れ長の目元が妙な色気をかもし出している。

「――チッ」

 その美しい赤い唇から舌打ちが聞こえた。少女は立ち上がると、空也の肩に手を回す。

「へ?」

「黙ってろ」

 可愛らしい声で発する言葉ではない。空也は硬直した。

 土砂降りの雨の中を、例の中年男が息を切らしながら走ってきた。

「き、君たち、ちょっと良いかい」

 かなり疲れた様子だ。

「このあたりで、メチャクチャ美人の女の子見なかった?昔、流行ったタケノコ族みたいな格好をしてるんだけど……って、君たち若い人は知らないか。俺もリアタイじゃないけど。それはともかく、部屋に入ってシャワーを浴びてる間に消えちまったんだよ。せっかく上玉を見つけたのにさ」

 空也は恐る恐る隣を見た。

 自分の肩に手を回していた人物は、いつの間にか空也と同じ目線になっていた。


 顔が――。


「お、男?」

 その派手男が空也の耳に軽く噛み付いた。

「どわっ!」

「悪いが知らぬ。俺たちの邪魔だ、オジサン」

 青年の声だった。空也の肩を抱く手の平も大きい。

「す、すまない」

 中年男は慌てふためき、段差につまずきながら足早に立ち去っていった。

 呆然とする空也を離すと、若い男が空也の胸元に指を突きつけた。

 小石が一瞬だけ光る。

「何用だ。主殿に命令されたのか?」

 今の行為に関しては何とも思っていないようだ。こちらは少し震えているというのに。

 目の前の男は、まるでビジュアル系バンドを彷彿とさせるような姿だった。間違いなく男だとわかるが、顔立ちはやはり美しいままだ。

 おそらく、これが探していた別天神に違いない。

 男はしばらく空也を見つめていると、急に笑い出した。

「何だお前。異様に顔が赤いな。さては未経験だな」

 その声が途中から可憐なものに変わった。今度は目の前に色白の美少女が現れて空也に笑いかけた。自由自在に男女の姿に変わる神を前に、空也は眩暈を起こしそうになったが、頭を振って深く息を吸った。

「あなたは……」

天之常立神あめのとこたちのかみだ」

「アメノトコタチノカミ……ああ、やっぱり五番目の神さまか」

 空也は目的が達成できて安堵した。

 しかし、この神の目的がわからない。


 ――何で神様がラブホ街で客待ちしてるんだ。


「お前は誰だ。なぜ俺を追ってきた」

 美少女――トコタチは、再び座り込むとゲームを始めた。

「そ、それですっ。そのゲーム機はオレのでしょう?」

 上目遣いでトコタチは空也を睨んだ。

「証拠は?」

「あなたがバッグだけムスヒさんに渡したことはわかっているんです。まあ、財布とゲーム機を思い浮かべなかったオレが全面的に悪い、らしいですが」

 また舌打ちが聞こえた。

「つまり、他の別天神ともお目通り済みってわけか。この場所もウマが教えたか」

 そう言いながらも、トコタチはゲームで遊び続けた。空也は横から画面をのぞきこむと、自分の血の気が引くのがわかった。

「ああっ!オレのセーブデータが上書きされてるっ!全部消えてる!」

「初めての方はこちらから、の指示に従った」

「ふざけんなよっ!レアアイテムを取るまでにどれだけ時間かけたと思ってんだっ!」

 トコタチに向かって空也は怒鳴り散らした。神さまが紛失物を横取りするはずないと信じた自分が愚かだった。完全に私物化されているではないか。

「ネットであらゆる攻略を調べ上げて、やっと手に入れたのにっ」

「またやり直せば良いだろ。たかがゲーム」

「た、たかがゲームだとっ?お前なんかにオレの気持ちがわかるのかよっ!」

 その瞬間、トコタチの整った眉毛が跳ね上がった。

「あ」


 ――しまった。


 空也はようやく我に返った。こともあろうに、神さまを〝お前なんか〟と罵ってしまった。これは、完全にアウトだ。末代まで祟られる。

「あの、その」

「悪かったよ」

 トコタチは頬を赤くして、うつむきながらゲーム機を空也に差し出した。美少女が目を潤ませる様子に、身体の一点が熱くなった。

「そんな、こっちこそ、いえ、あの言い過ぎました。ごめんなさいデスっ」

 のどかなメロディーが流れているゲーム機を、空也は恭しく受け取った。美少女はゆっくり立ち上がると、長い裾を水溜りに浸しながら歩き出した。

「あの、どこへ?傘は……」

「人間、名乗れ」

 トコタチはこちらも見ずにぶっきらぼうに言った。雨に濡れるのは気にならないらしい。

「や、八嶋空也です」

「その最後の〝です〟だの〝ます〟だのはいらん。俺はトコタチで良い。たいした神ではない」

 少し元気がなくなってしまったようだ。空也が怒鳴ったせいかもしれない。タカギが言うとおり、周りに対して尖った己を見せてしまうだけのようだ。中学の時、こういうクラスメートが確かにいた。

 迷った挙句、空也は下手に気を遣うよりも、自然に接する方が良いと判断した。

「と、トコタチ……オレの財布、なんだけど」

 相手の白い眉間にわずかな力が込められたのを見て、空也は思わず姿勢を正した。

「う、ごめんなさい」

「財布?何のことだ?」

「バッグに入っていたはずなんだけど」

 トコタチは首を横に振った。髪から良い香りがする。

「俺が拾った時にはなかった」

 つまり、あのひったくり犯は財布だけを抜き取り、不要なバッグは捨てたということなのだろう。今回の経緯を説明すると、トコタチは長い髪をかき上げながら言った。

「今回は特別だ」

「へ?」

「お前のゲームデータを消した詫びとして、それを見つけてやる」

 トコタチは空也の胸元の小石を掴んだ。目を閉じて、何かブツブツと唱えている。柔らかそうな頬に見とれていると、切れ長の瞳がうっすら開いた。

「邪魔だ」

 突如、背後の植木から大きな影が姿を現し、空也の身体を突き飛ばした。

「ごふっ」

 覆いかぶさってきたのは、タカギの店で見た八咫烏だった。さらに、濡れた道路に子供が転がっていく。それを見届けると、三本足のカラスは上空に舞い上がり消えてしまった。 


 子供――ウマが起き上がりながらトコタチの長い髪を引っ張った。


「もう、今日は何なのだっ!我は忙しいのだぞっ!」

「俺の居場所をバラしたくせに。まあ、良い。またブドウを買ってやるから力を貸せ」

 ウマは怪訝な顔のまま空也を見つめた。

「やい、空也。トコタチはどうかしたのか?」

「オレの盗まれた財布を見つけてくれるそうなんスけど」

 小さな神は瞬きを繰り返し、トコタチを見上げた。当の美少女は視線を合わせないままだ。

「トコタチが人間の願いを聞いてやるのか?珍しいではないか」

「本意ではない。故にお前に手伝わせる」

 妙な言い分だが、トコタチが素直でないことだけはわかった。しかし、ウマは嫌がるどころか片目を細めて小さく笑った。

「なるほど、それなら仕方ないのだ。ブドウと引き換えだぞ」

 すると、ウマは布袋から一匹のミツバチを取り出し、それを空也の右手に這わせた。慌てて手を引っ込めようとしたが、ミツバチは大人しく指先で羽を震わせているだけだった。

 ウマがあたりを見渡しながら鼻をひくつかせた。

「しかし、トコタチよ。雨のせいで匂いが消えてしまいそうなのだ。何とかならぬか」

「……せねばならぬか」

 トコタチが難儀そうに両手を上に跳ね上げると、地面を打っていた雨粒が一斉に舞い上がりそのまま空に吸い込まれていった。さらに、左手を大きく振ると、その動きと合わせるかのように気流が生まれ、立ち込めていた雨雲が一斉に払われていく。ついには夕焼け空と沈みかかった太陽が顔を出した。

 空也の胸元で小石が太陽光に反射すると、突然、天を揺るがすような声が降ってきた。

「こらぁっ!具合が悪いと申しておるのに、また勝手なことをっ!トコタチ殿かっ!」

 女の声だった。

 トコタチは夕日に向かって片手を上げた。

「聞け。天照あまてらす

 今、アマテラスと言ったか?太陽を司る天照大神あまてらすおおみかみ――おそらく日本で一番有名な神さまだ。

「いくらトコタチ殿の頼みでも聞かぬ。私は今、そういう気分ではない」

 太陽の周囲に薄い雲が集まり始め、再び曇り空になろうとしている。トコタチは小さく息を吐いた。

「お前が元気がないと、芦原の中つ国は衰退するのだぞ」

 それに対して天照の震える声が聞こえてきた。

「私とて地上の物らは可愛らしいと思っておる。しかし、どうにもならんのだ。これほど寂しい気分になるとは思わなかった」

「だから聞けと言っている。その御方なら人界にいる」

 しばらく沈黙が続いた後、太陽の周辺から雲が離れていった。

「なんと、今なんと申された」

「タカギ殿なら俺たちと一緒にいる。これは極秘なのだ。しかし、お前とは縁深い故、知らせておこう。そのタカギ殿が何かお困りのようらしい」

 トコタチは色っぽいながらも意地悪い顔をして笑った。

「日の光が欲しい、そう仰せだ。わかるな?天照」

 しばらくすると、西の空で太陽が飛び跳ねた。

「タ、タカギ様……ああ、まさか人界におわすとは!日の光であればこの天照にお任せくださいませっ!」

 オレンジ色の夕日が異様に赤く染まり始めた。一瞬、身を焦がすような熱波が降り注ぐと、濡れた道路が徐々に乾き始めた。強い西日が街中を照らす。空也も猛烈な暑さを感じた。

 太陽がさらに光を発さんとした時、トコタチは再び片手で薄雲をかき集め、太陽の姿を隠してしまった。

 ウマがトコタチを見上げながら首をかしげる。

「結局、天照は何を悩んでいたのだ?」

「さあな。それより、これでお前の力は発揮できるな」

 トコタチはウマの頭を小突いた。

「うむ。これならば匂いの追跡も可能ぞ。空也、右手を天に向けるのだ」

「こ、こうッスか?」

 言われるまま右腕を突き上げる。その指先を中心に、何やら黒い塊がうごめいていた。


 全部、ミツバチだった。


「うわあぁっ?」

「さあ、連れて来いっ!」

 ウマが飛び上がって両手の印を切った瞬間、ミツバチの大群が物凄い勢いで飛び去っていった。その速さ、生き物の域を超えている。

「あとは待つのみなのだ。それより空也よ」

 ウマが空也を肘でつついた。

「よくトコタチをその気にさせたのだ。なかなかやるではないか」

 その言い回しは妙な想像をかき立てた。動揺した空也にかまわずウマは言葉を続ける。

「トコタチはこう見えて天界の守り神なのだ。ここにおいては天候を自由に操るのだ」

「日の光に関しては天照と要相談だがな」

 するとトコタチは口をひん曲げて笑った。

「太陽エネルギーは周期的に変わるらしいからな。ちょうど今は力が低下して、地球環境にも影響が出始めている。そうだろ?人間」

 あまりにも唐突に専門的な話をされ、空也は言葉に窮した。神であるトコタチが科学を語るなどあり得ないと思ったのだ。

「お前が書いたレポート、誰の受け売りかは知らぬが天照が知ったらどういう反応をするだろうな」

「げっ!読んだのっ?」

「へえ、空也は天照のことを調べているのか。意外と物知りなのだな」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

 妙に不安になった空也をよそに、トコタチはさっさとホテル街を歩き出した。

「それよりトコタチ、何故このような場所にいたのだ?もう用は済んだのか?」

 ウマの無邪気な問いに、さらに空也は慌てたが、トコタチは平然と答えた。

「今日は不作だ。やはり男も女も人間は清い心身が良い」

 ふうんと納得する子供を前に、空也は最後まで一人落ち着かなかった。



 その晩、空也の部屋の前で一人の男が倒れているのを見つけた。

 身体の周りにミツバチの大群が飛び交い、その甚大な被害に思わず目を覆った。男の服のポケットからは念願の財布が見つかり、空也がそれを手にした瞬間、ミツバチの大群は男を乗せて一斉に夜空へ消えていった。

 財布を開けると中の紙幣は全て抜かれていることがわかったが、空也は、もう黙っておくことに決めた。

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