もしも俺が、記憶喪失だったら。

命煌社

第1話・俺が、俺じゃなくなる前夜。


あの夏、俺は人生を変えることにした。



「おつかれー!また新学期が始まったらねー。」


1学期が終了し、学校を後にする。春から体育の専門学校に通い始めて、今日から最初の夏休みに突入した。


バスケが大好きな俺は、ステフィン・カリーに憧れながら、将来はNBAに入団することを夢見ていた。実家が借金まみれでど貧乏なため、奨学金を借りて専門学校に入学していることは知られたくない事実だ。ここから自分の実力一つで特待生に選ばれて、将来は体育大学に編入することを密かに計画していた。


「帰りにマックでも寄って、夏休みの計画でも立てるか。」


一人作戦会議と称して、行きつけのマックで100円コーヒーを注文する。その一杯で、可能か限り長く居座ることが日課でもあった。少しでもケチって生活をしていきたい俺にとっては、マックさまさま、神空間である。


手帳を開きながら、夏休みのスケジュールを確認する。すると、1通のLINEメッセージがやってきた。


「龍司、夏休み何してる?どこかのタイミングで、一緒に田舎に帰らんか?」


それは、兄からのメールだった。


4歳年上の兄は英会話もできることから、大手企業の海外事業部で仕事をしている。バリバリの体育会系で勉強をしてこなかった俺とは真逆の人間が兄だ。優秀な兄と、バカな弟。あるあるの構図だが、兄のことは尊敬していた。


親父の実家が、高知県にある。何年かに一度は、家族で里帰りをしていたが、今回は両親とは別で俺たちだけで一度田舎に帰ってみないかという提案だった。


兄には結婚を前提に付き合っていたガールフレンドがいた。今回の里帰りは、そのガールフレンドと3人で帰省する。兄の仕事が終わって一息ついた後に、夜22時から車で高知県に出発するスケジュールだ。


大阪から田舎の土佐清水までは、車で10時間くらいだろうか。土佐清水は高知県の中でも一番西側の場所にある。四国と聞くと近畿からは、関東に行くよりも近く感じるのだが、何気に車で大阪から東京に行くよりも、より多くの時間がかかる場所だ。


「夜から出発することもあるし、のんびり安全運転でいくな。俺も彼女も車の免許は持っているから、二人で運転は交代しながら向かうし、龍司は寝てていいよ。」


その兄の言葉に甘えて、俺は後部座席で仮眠しながら道中の時間を過ごしていた。


何度も休憩を挟みながら、ゆっくりと高知県を目指す。途中までは高速道路が通っているので、交通量が少ない深夜のうちにある程度は移動しておきたいところだ。


渋滞に巻き込まれることもなく、高知の高速道路の最終地点までは無事進ことができた。ここから下道だけで6時間以上はかかる見込みだ。まだまだ旅は始まったばかり。夜が明ける前までに距離を稼ぐために、ここからは休憩を減らして運転をすることになっていった。


「ふーっ、だいぶ運転したなぁー。もうそろそろ着く距離まで来たでー。」


兄の声で目覚めた俺は、景色が大きく変わっていることに驚いた。


「実は、田舎に行くまでに足摺スカイラインを経由したら、展望台とか見れるから、ちょっと寄ろうと思って来てみてん。足摺岬はジョン万次郎ゆかりの地でもあるし、坂本龍馬ゆかりの地でもあるからな。お前は歴史に興味ないかも知らんけど、龍司の名前も坂本龍馬から取ってるって親父が言ってたやろ。親と田舎帰ってたら寄り道とかしにくいから、フットワーク軽く俺たちだけで来たかってん。だから、ちょっとだけ付き合ってや。」


兄の言う通り、歴史にはまったく興味がなかった。坂本龍馬から名前を取ったことは知っていたが興味はまったくない。ただ、見晴らしの良い景色には大いに感動していたので、少し気分転換に付き合うことにした。たまには、こんな時間があってもいいだろう。


「おーーー!これはすごい!!気持ちいいなぁー!!!」


その日は晴天で、崖の上から海を見渡せば、どこまでも広がる地平線が美しく広がっていた。そんな足摺岬から見渡せる絶景を目の前にしながら、このあと僅か数分後にやってくる絶望。それを予測することなど、俺には不可能だった。

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