第三部

第73話

◆◇桜田優太◆◇


 さて、僕は今、とても困難な状況にいる。


 思わず「嘘だろ」と声に出してしまったほどだ。


 マスクの下から現れたのは、僕の幼なじみで、彼女だった木下真理。


 ここは、友達の天満さんが、明日から一週間、一般人と一緒に住むというアイドルイベントで使う予定の家だった。


 僕は自分の手元のマスクを見つめた。


 勢いで外してしまった真理のマスク。


 外したタイミングで、完全にゴムが切れてしまっている。


 どうしよう。早まったな。


 勢いで外すべきじゃなかった。


 もう元には戻せない。



 仕方ない。


 僕は知らないフリをして、顔の横にマスクを置いて立ち去ることにした。


 立ち上がるときに、真理の顔のまぶたの下に、大きな隈が出来ているのが見えた。


 ……ちゃんと眠れていないのだろうか。


 不自然に伸びた前髪。


 長くて綺麗だったまつ毛も全て無くなっている。


 真下木乃理。


 偽名。それから変装。


 なぜこんな事をしてるんだろうか?


 天満さんとの関係は?


 気になる点はいくつかある。


 けれど、これ以上はやめておこう。


 僕が今すべきことは、明日から始まるイベントを無事に終わらせることだ。


「……おやすみ」


 部屋から持ってきた毛布をそっとかけて、自分の部屋に戻って眠りについた。




12月24日(日) イベント当日



 イベント会場であるこの家には、早朝から人が機材を運び始めていた。


 天満さん達は既に起き出して、機材のセッティングや確認を手伝っている。


 僕も着替えたものの、まだ自分の部屋にいた。


「ほら、ご飯だぞ」


 イベント期間が一週間という事もあるので、僕は部屋に自分の蜘蛛を連れて来ていた。


 名前はまだ無い。


 蜘蛛にご飯をあげて、写真を撮ってSNSにアップすると、フォロワーさんからすぐに反応があった。


『るな@幕張2DAYS:今日は動画にしないの?』


 僕の蜘蛛を気に入ってくれたフォロワーの人達が、結構な割合でコメントをくれる。

『動画で見たいですか?』


と返信すると、


『るな@幕張2DAYS:見たい』


 僕は今日はスマホを使う予定はない。


 そうだ。


 せっかくならあの機能を使ってみるか。


 ボヤッターというSNSで、新しく配信が出来るようになったのだ。


 スマホを台座にセットして、蜘蛛の配信を開始した。


『るな@幕張2DAYS:可愛い、可愛い』


 フォロワーさんは大喜びだった。


 さて、そろそろ部屋から出て準備を手伝うことにしよう。


 自分の部屋を出ると、大勢の人が慌ただしく動いていた。


 天満さんは、アイドル動画配信で有名なサイトの『ライドル』と名前が入ったジャンバーを着た人から説明を受けているようで、声が聞こえてきた。


「配信は、別の場所の『スタジオ』を介しておこなわれます。視聴者は、スタジオにいる司会のモモさん達と一緒に、ここの様子を視聴するという形になります」

 

「わかりました」


と、天満さん。


「問題なければ、予定通り10時から配信開始しようと思いますが、不明な点などはありますか?」


「大丈夫です。わかりやすい説明だったので」


と、天満さん。


「では、スタッフ2名を残してひきあげます。参加者の方は、すでに全員来られていますので、まもなく入ってこられます」


「はい。わかりました」


 全員来られています?


 参加者って、一橋1人じゃなかったのかな?


「後から2人、追加になったんですよ」


と、僕の心を読んだかのように、天満さんのマネージャーさんが話しかけてきた。


「そうなんですか?」


「はい。1対1は天満ちゃんの負担が大きいってことで、男子が1人。女子が1人追加になったんです。だから合計3人なんですよ」


「そうでしたか」


 女子が増えたのか。


 なら、後で脱衣所とかお風呂場とかのカメラは外しておかないとマズいかもしれないな。


「やっぱり彼氏としては心配ですか?」


 マネージャーさんは、目を細めながら僕に聞いてきた。


「いえ。参加者がちょっと問題のある男で……聞いてませんか?」


「聞いてますよ。でも、これだけ人がいるんです、そう簡単には手を出せないですよ」


「そうですね。でも、何をするかわからない男なので」


「わかりました。こちらも私も気をつけておきますね」


「ありがとうございます」


「あ。参加者が入ってきましたね」


 見ると、ちょうど一橋達也が入ってくるところだった。


 胸がキュッと苦しくなって、僕は目立たないように静かに深呼吸をした。


 ……あれ?。


 深呼吸しながら気がついた。

 

 一橋が天満さんの方を向くと、天満さんはコクリと頷いた。


 ……何か合図を送り合っているようにも見えた。


 まさかとは思うけど、真理が天満さんの友達だったということは、一橋も友達なのか?


 いや、まさか。それはないはずだ。


 でも、もしそうだったとしたら?


 悪い想像があたまのなかをよぎる。


 いや、やめよう。今は自分のやるべき殊に集中しよう。


 何を考えたとしても、僕は僕の思い込みの外に出ることは出来ない。


 ハッキリさせるのは、イベントが終了してからでいい。



 天満さんと参加者の4人をリビングに残して、他の全員がスタッフルームに移動することになった。


 配信会社『ライドル』のスタッフは2人。


 僕とマネージャーを会わせて、こちら側も全員で4人だ。


「……?」


 あれ?


 真理がいない。


 真理……じゃなかった、真下さんがいない。


「どうしたんですか?」


 僕の様子に気付いて、マネージャーさんが声をかけてくれた。


 本当に良く気がつくマネージャーさんだ。


「いえ。真下さんがいないなと思いまして」


「急用だそうですよ」


「急用?」


「イベント中は戻ってこれないかもって言ってましたね」


 なんだろ。


 ま……今はいいか。


 今はこっちに集中しよう。


「わかりました。ありがとうございます」


 部屋にあるたくさんのモニターには、天満さんと参加者4人の姿と、番組の司会進行をする『スタジオ』の2カ所の映像が映っている。


 スタジオの人も天満さん達も一所懸命に口を動かしている。


 知らない人たちと1週間も暮らすとか、僕には無理だな。


 一切喋らなくていいのなら出来るかも知れないけれど。

 

 別のモニターには、SNSへの書き込みの様子や、ライドルアプリのチャットへの書き込みの様子が表示されている。

 

 たくさんの人からの書き込みであふれている


 SNSの方でも「#転まり」「#天満梨花」がトレンド入りしていて、注目度はかなり高いようだ。


 SNSといえば、僕の『YUTA』アカウントも、天満さんと相互フォローになっているおかげで、この前フォロワーが8千人を超えた。


 蜘蛛好きが着々と増えている。


 配信は、別の場所にある「スタジオ』の司会やゲストの人たちが、この場所を視聴者と一緒に見るような形で配信されている。


 タブレット端末を介して、天満さん達とスタジオの人たちが会話をして、それから、参加者達の自己紹介などが行われた。


 司会の人が、参加者のプロフィールから話を広げて色んな雑談をし始めた。


 イベント参加は任意なのだけれど、全員が参加しているようだった。


「あ、ヤバいかも」


 スタッフの一人が、呟くように言った。


「どうした?」


 天満さんが、手作り料理を作り始めたタイミングだった。


「天まりちゃんが換気扇まわしてないんですよ。前に別の配信をした時に、換気扇まわさないで料理して、スプリンクラー動いちゃった事がありまして」


「すぐに指示出して」


 スタッフの人がタブレットで指示を出すと、天満さんはすぐに気がついて換気扇のスイッチを入れてくれた。




『るな@幕張2DAYS:あれ? まって。ちょっと見ない間に蜘蛛がいなくなってるんだけど、逃げてないよね? 大丈夫かな?』




 11時半を過ぎると、天満さんは一度仕事で抜けることになった。


 マネージャーさんが近づいてきて、


「彼氏さんは、天満ちゃんの護衛しますか??」


「天満さんにはマネージャーさんが一緒にいてくれるんですよね?」


「もちろん」


「僕は、ここに残って彼を監視しててもいいですか?」


「いいですよ」


 天満さんがいない間は、配信は全て『スタジオ』に切り替わる。


 ずっと配信されているわけではないのだ。


 スタッフの2人も、用意されたお弁当を食べはじめた。


 参加者達も一度解散という流れで、それぞれが自分の部屋で過ごして始めた。


 僕の監視カメラを外すなら今しかない。


 僕は仮面をつけた姿でリビングを横切って、脱衣所と風呂場のカメラを外した。


 そして自室に戻り、隠してあったPCを起動して、隠しカメラの映像をチェックした。


「……あれ?」


 一橋達也が、玄関から外に出ようとしていた。


 僕は急いで部屋を出て、一橋の後をつけた。



『るな@幕張2DAYS:あ。今のバタン! って音でカメラがずれた。カメラずれたから直して欲しい。部屋の中しか見えないぞ。おーい』




 僕は外に出て、十分な距離をとりながら追いかけると、一橋は、どうやら公園のトイレに入っていったようだった。


 なぜ家のトイレを使わないのだろうか。


 しばらく待っていると、一橋はトイレから出てきて、まっすぐ家に帰っていった。


 ……なんだったんだ?

 

 午後になり、天満さんとマネージャーさんが仕事を終えて戻ってきた。


 再びスタッフルームに入り、配信の様子をモニター越しに眺める。


 天満さんの様子がおかしい。


「卯月さん。ちょっと聞いても良いですか?」


 僕は、マネージャーさんに声をかける。


「何ですか?」


「天満さんに何かありましたか?」


 モニター越しでも表情が暗いのがわかる。


「別に何もないですよ」


「表情が暗い気がするんですが」


「最近、仕事が立て込んでて、ちょっと疲れてるんですよ」


 そうか。アイドルも大変だな。


 午後から夕方にかけて、それぞれの人が好きなように過ごしていた。


 一橋達也も自室にこもっておかしな動きはなかった。

 

 夜になり、4人がまたリビングに集まって食事をしながら雑談が始まった。


 スタッフルームから自分の部屋に戻った僕は、みんなの様子をカメラで確認しつつ、自分で買ってきてある保存食と水で夕飯を済ませた。



『るな@幕張2DAYS:そろそろカメラ直して欲しい。蜘蛛が見えない。水飲んでるのはYUTAさんかな? ダイレクトメッセージ送ってみるか』



 4人が買い出しに行くというので、マネージャーさんに許可を取って、僕も後ろから見つからないように後をつけた。


 特に何事も無く、買い出しは終わった。


 テレビをつけたり雑談をしたり、参加者の人たちだけで会話をしたり、ずいぶんと打ち解けてきたようだ。


 異変は、買い出しから戻ってきて30分ほど経過したときに起きた。


 参加者の女の子が、目を擦っているなと思ったら、ソファに寄りかかるようにして眠ってしまったのだ。


 もう一人の男の子と一橋達也も反応が鈍くなり、眠ってしまった。


 極めつけは、天満さんが目を瞑ってしまったことだ。


 全員が寝てしまった。


 ……これ……予定にあることなのか?


 いや、そんなわけないよな。


 スタッフの人は何をしてるんだろうか。


 あきらかにおかしな事が起きているのに、面白がって見てるだけなのだろうか。


 配信用のカメラに映ってしまうが仕方ない。


 急いで部屋を出て、スタッフルームに移動した。

 

「……え?」


 そこには、スタッフとマネージャーさんの3人が、ぐっすり眠っている姿があった。

 僕はマネージャさんに駆け寄って、肩を揺すった。


「起きてください。卯月さん」


 起きない。


 ぐっすり眠ってしまっていようだ。


 スタッフの二人にも声をかけたが置きない。


 仕方ない。


 こうなったら直接天満さん達を起こすしかない。


 すると、いきなり部屋が真っ暗になった。


 停電!?


 ブレーカーの位置は昨日、確認してある。


 ブレーカーは部屋を出て左の玄関の近くにある。


 転ばないように気をつけながら、部屋を出た。


 床をはって、ブレーカーをあげた。


 部屋が明るくなる。


 バタン。と、どこかのドアが閉まる音がした。


 リビングを見ると、参加者の男女の二人が眠っているのが見える。


 そしているはずの、天満さんと一橋の姿がどこにも見えなかった。



『るな@幕張2DAYS:あれ? なにも映らなくなったよ? 何が起きたの? 配信終了?』




==========

次の更新は明日3月11日を予定しています。

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