第36話 遺されたもの



「優太がね、死んだの……」


 突然家にやって来た優太君のお母さんがそう言って泣き崩れた。


 え?


「……どういう意味ですか?」


 優太君のお母さんは号泣していて、とても話の出来る状態ではなかった。


 私は彼女が落ち着くのを待って、優太君の家に向かった。


「事故や他殺の可能性はないそうだ。飛び込み自殺らしい」

 

 優太君のお父さんがそう説明してくれた。


「え。そう……なん……ですか」


 頭の整理がつかない。


 なんで?


 どこに死ぬ理由があった?


 あんなに彼女と楽しそうにしてたじゃない?



「真理ちゃん。これを受け取って」


 私は、紙袋を手渡された。


「これは?」


「優太の荷物よ。真理ちゃんに受け取って欲しいの」


 のぞきこむと、紙袋の中に、スマホや日記、それから封筒にお金が入っていた。


 嫌だ。こんな重いもの。受け取れない。


 受け取ったら私はきっと壊れてしまう。



「なんですかこれ? こんなもの受け取れません」


 私は明確に拒絶する。


「ごめんね真理ちゃん。いらないよね。でもね。これは優太が、真理ちゃんと使うために貯めてたお金なんだって。日記にそう書いてあったの。だから受け取ってくれないかな」



 優太君が? 私に?



「日記にはね。毎日真理ちゃんの事が書いてあるの。良かったら見てあげて」



 号泣する彼女の傍らで、私はパラパラと日記をめくった。



『真理はすごい。モデルのオーディションに合格した』



 ああ、そういえば、そんな事あったな。



『体育祭。真理にいい所を見せようと思って転んでしまった。情けない』



 一生懸命走ってたよね。見てたよ。情けなくなんて無いよ。



『文化祭。喫茶店でみんながメイドの恰好をしてたけど、真理がだんぜん一番かわいかった』



 そんな風に思ってくれてたんだ。


 何で言わないの? 言わないとわからないんだよ。



『真理と別れた。新しい彼女はすごく元気でかわいい。幸せだとおもう』



 じゃあなんで死んだの?



『真理が忘れられない。やっぱり僕は真理が好きなんだ』



 私は、優太君のスマホの電源をいれた。


 SIMカードが入っていないメッセージが表示される。 


 ホーム画面には、IMと写真アプリと他は全部ゲームアプリ。



 ゲームばっかり。


 写真アプリを開いた。


 随分古い。

 

 小学校のころからある。入学式から卒業式まで。


 ほとんどが私の写真だった。


 最近の所までスクロールすると、裸の女の子の動画に目が留まる。




 私は、優太君の両親がこっちを見ていないのを確認して、イヤホンを付けて、動画を再生した。



 動画は、見知った女と、見知った男の行為だった。



 IMを開いた。


 トークルームは3つ。私と、新しい彼女と、一橋達也だ。


 私は彼女のトークルームを開く。


【トークはありません】


 削除されたのか、何もなかった。



 次は一橋達也とのトークルームを開く。


【一橋達也:お前の新しい彼女も美味しかったぜ。ご馳走様】


 動画が添付されている。


 新しい彼女『も』か。


 私はトークをさかのぼる。


 あった。私の動画。


 最初から知っていたんだな。


 優太君は、一番最初から、私と一橋達也の行為を知っていた。


 日記をさらにさかのぼって読んでみると、そこには苦しみの言葉がたくさん書いてあった。


 悩んで、悩んで、私に言えなくて、他の人にも相談できなくて、一人で抱え込んで、苦しみぬいた言葉が書き連ねてあった。


 でも最後には、こう一言書き添えられていた。



『真理、ありがとう。僕がいなくなっても真理は幸せになってね』







「ねえ真理。ちょっといいかしら」


 私の部屋に母が入って来た。


「なに?」


「隣の優太君、亡くなったでしょ? なんか遺骨が無くなったらしいのよ。真理、なにか知らない?」


「知らない」


「そうよね。ごめんね。変なこと聞いて」


「別にいいよ」


 母が出て行くのを見計らって、私はクローゼットを開ける。


「おはよう優太君。ようやくかごに一杯になったよ」

 

 虫かごに、ワラワラと蜘蛛が入っている。

 

 ちょっと気持ち悪いけど、悪くない。意外に可愛い。


「ねえ。おでかけしようよ」


 夜になるのを待って、私は優太君と外に出た。


「そろそろ行こう」


 夜の街を、優太君と歩く。


 行き先は山の中にある大きな橋。


 自殺の名所だ。


「うわ。高いね、めちゃくちゃ怖い。クズの私にぴったりの死に場所だね」


 私は優太君の隣に虫かごを置く。逃がしてやるか。


 もしかしたら、地獄の私に糸を垂らしてくれるかもしれない。


「ごめんね。優太君。私たち、出会わなければ良かったね」


 出会わなければ、優太君はまだ生きていたはずだ。



 日記に書いてたね。


『隣に女の子が越してきた。信じられないぐらいかわいい子だった』


 ごめんね。信じられないほどクズだったね。



 そうだ。


 動画は消しておかないと。


 優太君が見ちゃうとまたショックを受けるからね。


 私は、優太君のスマホを操作して、IMの履歴を全部消去する。


 それから写真アプリを開いて、動画を一つ一つ消していく。


「これでよし……と」


 私は立ち上がって、橋の上に立って、優太君に最後の挨拶をしようと振り向いた。


「わわっ」


 風が吹いて、足を滑らせての転落。


 私に相応しい最後だと思った。





 私は達也の部屋の鍵を開けて、勝手にズカズカと部屋に上がり込んだ。


 女のあえぎ声が聞こえる。


 誰かとヤってるようだ。そんなこと知るか。


 勢いよく扉を開ける。驚いた顔の二人。


「ち、違うんだ真理。これは、こいつから誘ってきて」


 慌てた達也は、優太の彼女だったはずの女を突き飛ばす。


 彼女も一緒だったか。ちょうど良い。


「ねえ。あさひちゃん。なんで優太君を裏切ったの?」


 彼女に詰め寄ると、彼女は身を縮こめて。


「だ、だって。達也さんのが気持ちよくて、つい……」


 私は深くため息をついて、


「……わかるよ……気持ちいいよね。あいつの」


「はい」


「でもね。私らクズのおかげでね、人が死んだの」


「死んだ? 誰がですか?」


「優太君だよ。私が追い詰めて、あなたがダメ押しした」


「……優太さんがですか? 嘘ですよね?」


「嘘じゃないよ」


「嘘、嘘、嘘嘘嘘! だって昨日笑ってましたよ! IMだって普通に……」


「表に出してなかったんだよ。ちょっとの事はすぐ顔に出る癖に、こういう事は隠すの上手だよね」


「やだ、やだそんな……じゃあ私……ひどいことした……」


「うん。私たち二人とも最低だよ」


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


「あさひちゃん?」


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 彼女は一心不乱に謝り続けている。


「へえ。優太。死んだんだ」


 ポカンとした顔の達也。


 許さない。


 お前も苦しめてやる。


「そうよ。あんたのせいで優太君は……」


 言葉を言いかけて、私は絶句した。


「ひひっ、そうか。あいつ。ふふっ。死んだのか。おもろっ」


「え、なに……なんで笑ってんの?」


「いや。笑うだろ。こんなの」


 私には、彼の口が耳元まで避けているように見えた。


「いやあ死んだか。すげえスッキリしたな」


 言葉が出てこない。先ほどまで頂点に達していた怒りは、すっかり消えてしまった。

 

 その代わりに出てきたのは、理解できない恐怖だった。


「いやあ。しかし満足したよ。真理。ありがとうな。そうか。死んだか。いやあこんなに早く死んでくれるとは思ってなかったよ」


「なん、なのよ? 死んだのよ? 優太君は」


「ふーん」


「いや……なんで? なにか優太君に恨みでもあったの?」


「別に。気にくわなかったし、目にとまったから」


「は?」


「ハエを潰すのに理由なんていらないだろ。それとも何? 真理はブンブン飛び回ってるのを放っておけって言うのか?」


「優太君はハエじゃない……人間よ」


「同じだろ? あいつ、優柔不断でコミュ障で、顔も大して良くないのに、お前らみたいな美少女がよってきてて、目障りだったんだよ」


「そんなの……あんたが羨ましかっただけでしょ! ふざけないでよっ!」


「何言ってんだ? お前が殺したようなもんだろ」


 わかってる。そんなの。


「しかしまあ、アイツも不幸だよな。お前らみたいなチョロいのに囲まれて。いったんどん底に落としてから、甘い言葉をかけて、気持ちよくさせたらすぐに落ちたもんな。正直お前らいままでで一番チョロかったぞ」


「この。クズ野郎」


「なんとでも言えよ。それにしてもいい顔してるな真理。絶望してる女と一回ヤってみたかったんだよ」


 ああ。最初から分かってた。


 こうなったのは全部わたしが悪い。

 



 ……。


 ……。



「……あれ……私。生きてる……?」


 目を覚ますと、私は草むらの上にいた。


 明るくなっている。


 ずっと気絶してて昼間になったのだろうか。


 見覚えがある建物があった。


 中学校の校舎。


 これが走馬灯というやつなのか?


 でも、それにしては意識がはっきりしすぎている気がした。


 じゃあ三途の川?


 川がないけど。


 変なの。


 とりあえず待っていればいいのかな。


 待っていれば誰かが迎えに来てくれるのかな。

 

 私は木の近くの大きな石の上に腰を下ろした。


 手のひらを見ると数字は『642』


 短い人生だったな。


「ねえ優太君。やっぱり私たちは、出会うべきじゃなかったんだね」


 そうすれば、優太君はこんなクズを好きにならなくて、死ななくてすんだ。


 幸せになれた。


 木に寄りかかると、コツンと固いものがぶつかる音がした。


 ポケットにスマホが入っている。


 最初に買ったスマホと同じ形。新品みたいにピカピカしている。


 私と全然違う。私は薄汚れた中古品だ。


 開いてみると、初期アプリが並んでいた。


 まるで買ったばかりのようだった。


 写真アプリを開くと、優太君の写真が数枚入っていた。


 中学生の写真だ。ちいさくて可愛い。


 まだかな。


 もう地獄だ。


 もう忘れたい。


 早く記憶をリセットされて、次の人生に生まれ変わらせて欲しい。


 虫でも石でもなんでもいい。


 早く生まれ変わらせてくれ。


 空を仰いだ。


 ポカポカとした陽気。春の日差し。



「……そうだ。お別れ」



 橋の上で、言いそびれてしまったお別れを言おう。



 方法はどうしようかな。地面に書く? 口に出す?



 そうだ。


 IMでメッセージ送ろう。


 どうせ届かない。


 そんなのわかってる。


 何をしても同じなら、いつもの方法で終わりにしたい。


 スマホにIMが入っていなかった。


「本当に買ったばかりのスマホみたい」


 ストアを開いてIMをダウンロードする。


 開いて初期設定。


 名前の入力欄。


「きのし……いや。あれにしよう」


 私はモデルになる事はなかったけれど、優太君が考えてくれた名前。


日記に書いてあった。


『真理が芸能人になったときの為に名前を考えてみたんだ「木下真理」を入れ替えて名前なんだけど』


 真下 木乃理。


「まし……ま……あれ? まが入らない。もう、壊れてるじゃん」


 私と同じだな。


 新品の時から故障してる。


「じゃあ『き』ならどうかな? よし、はいった。じゃあ『きのり』といれよう」


 勝手に『ん』が入って『きのりん』になった。


「まあいいか。可愛いし」


 優太君のIDは覚えてる。入力すると出て来た。


『桜田 優太』


 この名前を見るだけで、ほっこりとする。

 

 生まれるあたかな感情。


 私、やっぱり優太君が好きなんだな。いまさら遅いけど。


 よし、これでお別れだ。


 ……なんて送ろうかな。


 そうこうして悩んでいたら、キーボードがまったく操作できなくなった。


「なにこれ……最悪なんだけど……」


 お別れもできない。


 まあいいか。


 私らしくて。



 ごめんね。


 さよなら。


 大好きだったよ。





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