第33話 もう戻れない


数字が増えた。


こんな事は初めてだった。


過去にもあったのかもしれないが、数字が100を切ってからは毎日見て来た。


すくなくとも100日の間で初めての事だった。



「真理。僕、告白されちゃったよ」


 図書館に向かう途中の通路で、唐突に優太君が言った。


「告白?」


 私が聞き返すと、優太君はポケットから封筒を取り出して、


「うん。知らない子なんだけど、僕に一目ぼれなんだって」


 そう言って、封筒を私に見せる。


 差出人の欄には『夕立あさひ』と書かれている。


「なんだか嬉しそうだね」


 私が言うと、


「うん。嬉しいよ」


 大切なものを見るように、優太君は手紙を見つめている。


 私がもし君に手紙を書いた時、君は同じように見つめてくれるのかな。



 スマホが着信を告げる。


 私は内容を確認して立ち上がる。


「ごめん優太君。ちょっと用事が出来ちゃった」


「え? でも、この後図書館で勉強するんじゃないの?」


「ごめん。急用なんだ」


 IMの相手は一橋達也。


 内容は脅迫だ。


【一橋達也:あの事を優太に知られたくなかったら、今すぐ校舎裏に来い】


 連絡先を交換させられた時に、こうなることは想像が出来ていた。


 確認したいこともあったので、私は文句も言わずに一橋達也に従った。


『17』


 数字が増えたことを確認する。


 間違いない。


 行為をすると、この数字は増える。



「優太君。今からエッチなことするね」


 私は優太君の部屋に乗り込んで、そう宣言した。


「な、何言ってるの?」


「人助けだと思って。だから。ね?」


「だ、駄目だよ!!」


 思ったより強い拒絶に私は驚く。


「優太君……」


「こう言うのは、大人になってから、大切な人とするものだよ」


「優太君は、私が大切な人じゃないの?」


「もちろん大切だよ。でも、大人になってからってでも遅くないと思うんだ」


「大人になれなかったら?」


「え?」


「ずっと黙ってたけど、私、手のひらにこんな痣があるんだ」


「痣?」


「ほら。数字みたいに見えるでしょ?」


「じゅう……ろく?」


「そ。この数字が0になると私は死んじゃうの」


「え。そんな……」


「でもね。エッチなことすると増えるんだよ。だからしよ?」


「え? 待って。なんでエッチな事をすると増えるって知ってるの?」


「……」


 なんでこんな所だけ、勘が鋭いんだろう。


「真理?」


「あーあ。騙されなかったかー」


「え?」


「これ、マジックで書いた数字なんだ。ごめん。騙してた」


「ひ、酷いよ」


「じゃあ大人になってからしようね」


「うん」


 納得したのか、彼は無垢な笑みを私に見せた。


 でもごめんね。優太君。


 私は、夜中に優太君の部屋に忍び込んだ。



「……いただきます」



 結論から言うと、数字は増えなかった。


 

 なんでだろう。


 何が違うんだろう。




「真理。最近少しやせた?」


「そんな事ないよ」


「一橋君が、四人でカラオケ行こうって言ってるんだけど、一緒に行かない?」


「……いいよ」

 私はすぐ答えた。


 どうせ行かなくても呼ばれたら行くしかないのだ。


 だったら最初から行った方がいいし、数字も増える。



 ヤツの狙いは、優太君たちがいる隣の部屋でする事だった。



 馬鹿の考えそうなことだ。



「おい。隣に聞こえるんじゃねえのか?」



 うるさい。


 集中できないだろ。



 


 私は暇な休みの日、公園に出かけて、スケッチブックに絵を描いていた。


 絵はいい。一人で集中できる。


 いろんな考え事が出来る。


 それからしばらくの間、私は絵を描くことにはまっていた。


 絵を描いている最中は、誰も話しかけてこないからだ。


 ボーっと考え事をしていても、誰も不思議がらないし心配してこない。



 今日も美術室を借りて描いていると、


「真理。なんの絵を描いてるの?」


 優太君だ。


 話しかけてこられるとは覆っていなかった。


「勝手に見ないで」


 私は慌ててスケッチブックを閉じる。


「ご、ごめん」


「何か用だった?」


「最近、一緒に帰れてないから、一緒に帰ろうと思って」


「あ、そうだね」


 そう言えばそうだった。


 私は毎日のように呼び出されるので、美術室で絵を描いて、ヤツからの呼び出しを待つようになっていた。


 毎日、毎日、毎日だ。


「駄目かな?」


 優太君が言う。


「遅くなってもいいならいいけど、かなり遅くなるよ?」


「うん。待ってる」


「そっか」


 絵を描いて、ヤツに呼び出されて、終わるのは19時過ぎだった。


【木下真理:終わったけどもういないよね? 帰るね☆】


 私はIMを送り、そのまま帰ろうと下駄箱に向かうと、優太君が座ってスマホで何かの動画を見ているようだった。


「……まだ待ってたの?」


「う、うん。遅くまで大変だね。絵は、はかどった?」


「……うん」


「絵。どんな絵なの?」


 彼はスマホを握りしめながら、私に聞いてくる。


「絵はね。秘密」


「そうなんだ。完成したら見せてほしいな」


 背徳感で体が引きちぎれそうだった。


 絵なんてただの言い訳でしかない。

 

 もう言ってしまいたい。


 全部吐き出して。伝えられたらどんなに楽だろうか。


 優太君はどんな顔をするだろうか。


 でも言えない。


 言えないよ。


 その方が…………とっても気持ちがいいのだから。


「ねえ優太君」


「なに?」


「もし私が浮気して、男の人とエッチな事してたらどうする?」


「え……」


 絶句する優太君。


「違うよ。もしもの話だからね」


「ええと……そうだな。ちゃんと理由を聞いて、それからちゃんと真理にフラれようと思うよ」


「なにそれ。どういう意味?」


「真理はそんなことする人じゃないから、してたとしたら僕に理由があるんだと思う」


「そっか。じゃあ理由もなく他の人としてたら?」


「理由。ないの?」


「え?」


「理由があったら、ちゃんと教えて欲しい」


 真剣なまなざし。


「違うって。何本気にしてるの。冗談だよ」


「なんだ。冗談か」


 ギリギリの線だったと思う。


 バレるかバレないか。

 

 その興奮が、また別の興奮を生む。


 私はこの時、先の事は考えず、ただスリルを楽しんで、ただ目の前の快楽を得る事だけを考えていた。


 ヤツは嫌いだったが、ヤツとの行為は気持ちが良かった。


 優太君に秘密なのがまた、気持ちよさを倍増させていた。



 だからもう、とっくに最悪が近づいてきていることに、これっぽっちも気が付いていなかった。



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