第二部 (木下真理)

第一章 指輪

第32話 心の傷



 おばあちゃんはいつも、私の手のひらの痣を見るたびに、


「かわいそうに。この子は長く生きられないよ」


 そう言っていたのを覚えている。


「真理。この指輪を肌身離さず持っておくんだよ。神様が守ってくれるから」


おばあちゃんの指輪。


 手のひらにある不思議な痣が、数字だと気付いたのは、小学校に入ってからだった。


 数字は毎日、1つずつ減っていっていた。


 この意味を知ろうにも、おばあちゃんは既に亡くなっていて、父と母は取り合ってくれなかった。


「真理。今は忙しいのよ。あとにして」


「痣が数字? そんな事より勉強したのか?」



 数字のあざは目立つ気がした。


 私はいつも、右手を閉じて歩くようになった。



 高校生になったある日、ついに数字が二桁を切った。


「……もしかして、死ぬとか?」


 冗談で口に出すと、本当にそうなる気がした。


 おばあちゃんの悲しそうな顔。「かわいそうに」という声。


 できる事といえば指輪を肌見離さず持っている事だけ。



 私は開き直る事にした。


 死んだ時は死んだ時だ。


それに、こんな非科学的な事があるはずがない。



「真理。今度クラスの友達に、ロッジに遊びに行こうって誘われたんだけど、一緒に行かない?」


 優太君が、クラスメイトと湖のあるロッジに遊びに行こうと誘って来た。


 できれば行きたくなかった。


「ねえ。それより二人でどこかに行こうよ。優太。どこか行きたいところない?」


「いきたいところ? それなら北海道の函館かな。函館山からの夜景がすごく綺麗なんだって。ロープウェイで登るんだ」


「函館はちょっと……無理かな。高いところ苦手だし……そんなお金ない」


「大人になったら行こうよ」


「うん……」


 大人になれるだろうか。


「あ、でも、お父さんとお母さんにお願いしたら、もしかしてお金を借りれるかも」


「友達のロッジなら全然お金かからないよ。友達の親がやってるんだって。行こうよ」


「う、うん……」


 まあいいか。


 優太君と一緒にいれるなら。


 数字が2桁を切ってから日に日に痛みが増してきた。

 

 ズキズキと、まるで傷のように痛んだ。



 残された時間で、私ができる事は無いだろうか。


 死ぬはずがない。こんな数字で人間が死ぬはずがない。


 でも、本当にそうだろうか。



 この前読んだ小説で、子供の誕生日ケーキを20歳になるまで予約をしているのを思い出した。


 優太君はきっと100歳まで生きるから、85年分か。


 お小遣い……足りないな。


「こんにちは」


 一番近くのケーキ屋さんに入る。


「誕生日ケーキなんですけど、予約って何年後まで出来ますか?」


「何年後? 何年後って何?」


 太った中年の男性が、不機嫌そうに聞き返してきた。


 入る店を間違えたかもしれない。


 まあいいや。


 変な子だと思われても。


「実は、私が死ぬかもしれなくて、友達に何か残してあげたいんです」


 私が言うと、中年男性は、おんおんと号泣し始めた。


「え、ええと……」


 困っていると、


「わかった! この店がなくなるまで毎年届けてやる! 相手はなんて名前だ!?」


「桜田優太です。あ、でも。彼女とかできたら、逆に迷惑かな……ケーキとか」


「じゃあオジサンが聞いてやる! その優太って子に彼女が出来たか聞いて! いなかったら毎年ケーキを届けてやるよ! 優太は何のケーキが好きなんだ!?」


「チョコレートケーキ……」


「わかった! 優太が飽きないように、うちはチョコレートケーキ専門店になって、毎年一番うまいチョコケーキを届けてやるよ!」


「いえ。そこまでしなくて大丈夫です」


 やっぱり入る店を間違ったのかもしれない。


「じゃあ任せとけ! オジサンが全部うまいことやってやるからな!」


「あの、お代は……」


「いらねえよ! 子供が遠慮なんかすんじゃねえぞ!!」


 まいったな。


 死なないといけない雰囲気になって来た。




 両親にちゃんと勉強する事を伝えて許可を得て、私と優太は電車でロッジに向かった。


 そこで、私は生涯に残る傷をつけられた。


 逃げようとした。


 出来る限りで反撃を試みた。


 けれど男の人の力はあまりに強く、私は非力だった。


 助けを求めようとした、声を出そうとした。


「暴れるなよ。優太が見たらお前、捨てられるんじゃねえのか?」



 黙れ、優太君はそんなことしない。


「いいのか? 荒木真子はどうだ? 親友のお前が、真子の彼氏である俺としてる所を見たら、真子はどう思うだろうな? 親友でいられるのか?」


 男の言葉に、私は抗うのをやめた。


 もういい。


 どうせ私はすぐに死ぬ。


 優太君や真子に苦しみを残すくらいなら、このぐらい何ともない。



 そう思って思考を放棄した。



 行為は朝方近くまで続いたが、優太君と真子は寝たままだった。

 



「おはよう真理。なんか昨日はすごくよく眠れたよ」


 朝になって、すっきりした顔の優太君が起きて来た。


 私は一睡もしていない。


「良かったね。何か飲む?」


 優太君はコーヒーを飲まない。


 私は持ち歩いているティーバッグをお湯に浸して、優太君に渡した。


「ありがとう。いい朝だよね」


「……うん」


 私は手のひらの数字を確認する。


「1」


 どうせあと1日だ。


 今日で終わる。



 優太君と一緒に電車に乗って家に帰る。


 電車に夕日が差し込んできて、物悲しくなって、少し泣いた。


 優太君と別れ際、無性に寂しくなった。


「ねえ優太君。キスしようか」


「な、何言ってんだよ」


 真っ赤になって、優太君は逃げて家に帰っていった。


 残念。


 逃げられちゃったな。


 数字が変わるのは、毎日夜の9時だ。


 私はご飯を食べて、お風呂に入って、ドライヤーで髪を乾かして、ベッドの上でDtubeのどうでもいい動画を見ながらその時間を迎えた。


 そろそろだな。


 ドキドキしながら手のひらを見つめる。


あれ?


 なんで?


20時59分


手のひらの数字は『11』


……増えてる。


21時00分


『11』⇛『10』


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る