第13話 BSS事件


 部屋のドアがゆっくりと開いた。


 夜が近づきつつある部屋の中で、


 ベッドの男女がこちらを凝視しているのが見えた。


 衣服を半分ぬがされた若い女性の上に、ぽっちゃりした体型の30代後半の男性がまたがっている。



 …………?



 おかしい。



 なんか。



 想像していたのと違う。



「どいて!」


 僕が呆気に取られていると、若い女性は男性を突き飛ばして僕の方に走って来た。


 言われた通りに道を開ける。


 そのまま逃げるのかと思いきや、僕の後ろに回り込み、


「ありがとう。マジで助かった」


「あ、いえ」


「な、なんだお前は!!」


 ぽっちゃりした男性が、怒って近づいてくる。



「ドアを閉めて! 早く!」


 言われたようにすぐにドアを閉める。


「おい開けろ!」


 ドンッ! ドンッ!


「やめてよ! ドアが壊れるでしょ!」


 でもドアは引き戸だ、向こうから押しても開かない。


 ガチャガチャ!  ガチャガチャ!


 ドアの向きに気付いた男が、ドアノブをめちゃくちゃに回して開けようとするので、僕もドアノブを握る手に力を入れる。



「お姉ちゃん。凄い音がしたけどどうしたの? あれ? 桜田君も何してるの?」


 真央君がやってきた。今は返事をする余裕はない。


「真央は部屋に戻って!!」


 鋭い𠮟咤。


「ご、ごめんなさい!」


 真央君は凄い勢いで帰って行った。ごめんね。



 ガチャガチャと男性は、ノブを回しては強い力で開けようとする。


「開けろよ! なんだよその男! 僕が好きだったんじゃないのかよ!」


「何の話よ! 知らないわよ!」


 ガチャガチャ!  ガチャガチャ!


「ねえ君。私が合図したら、一緒にドアを押して」


 女性が僕に言う。


「え、でも……」


 そんな事をしたら、ドアが開いてしまう。


「いいのよ。逆に突き飛ばすの。じゃあ私が『今よ』って言ったら、ドアノブを回して一緒にドアを思い切り押して」


「わ、わかりました」


 ガチャガチャとドアノブを回す音。


 怒りの声と、ドアを叩く音が何度も続いた。


「………………今よ!」


 ドアノブを回し、一気に押す。


 ひっかかるような重さがあったが、気にせず前に押し出した。


「ぎゃああ!?」


 男がひっくり返っているのが見えた。成功だ。


 女性は素早く走り込んで、男の腹部にジャンプしてから膝を落とした。


「!!」

 

 男が声にならない叫びをあげる。


 うわ。


 あれ大丈夫かな? 


「ぼーっとしてないで! 手伝って!」


「は、はい!」


 男の腕を押さえる。


「上に乗って無理矢理押さえつけて! 腕なんて折れても治るから!」


「は、はい!」


 男の上に乗って腕を押さえつける。


 暴れる力が強い。


「首絞めて!」


「!?」


「今、大人しくさせるからね」


 女性は呼吸を整えると、男性に、ものすごい速度で拳を突き出した。


 ゴキリ。


 嫌な音がして、男の首が変な方向を向いた。


 死んだかもしれない。


 部屋にあったロープで手足を縛り、口をガムテープで塞いだ。


「よし。次は起こして」


「は、はい」


 僕は男の頬をペチペチと叩いた。


 起きる様子はない。


「そんなんじゃダメよ。」


 どこから持ってきたのか、からしチューブの中身を綿棒にべったりと塗って、男の鼻の穴に突っ込んだ。


「ぎゃあああああ!!!!」


「ほら。起きたでしょ?」


 やり過ぎなのでは?


 正拳突きといい、とても過激な人だった。


「~~っ! ~~っ!」


 男が怒っている。そりゃそうだろう。


 口はテープで塞がれて、鼻はカラシまみれだ……すごく……。


 ……あれ? もしかして怒ってるんじゃなくて苦しんでる?


「あの。マズくないですか? 辛子とガムテープのダブルパンチですよ」


「苦しみ悶えてからしんで欲しい」


「殺すつもりですか!?」


 僕は、いよいよ顔色の悪くなった男のガムテープを外した。


「何でだよ! 葵!! なんで僕を拒絶すんだよ!!」


「ふざけないで。正治」


 冷たい声で、葵さんが言った。


「くそっ! もしかしてそいつ彼氏か! ふざけんなよ! 年下か!? いつ知り合ったんだよ!!」


「とても最近よ」


 嘘は言ってない。


「そういう事か! 僕の事を警戒して、そいつを部屋の外に待機させてたんだなっ!?」


「そうよ」


 今度は完全に嘘を言った。


「葵! 僕の事を信用してなかったのかよ!!」


「最近ちょっとおかしいな。とは思っていたわ。まさか襲い掛かってくるとはおもわなかったけど」


「なんでだよ! 子供の頃、お風呂でお兄ちゃんのお嫁さんになるっていってただろが!! あれは嘘だったのかよ!」


「私が幼稚園児ぐらいの話でしょ? その時あなたいくつよ?」


「僕か? 僕は確か25だよ!」


「なるほど。つまり幼稚園児が「お兄ちゃんと結婚する」って言った戯言を、25歳は14年間ずっと本気にしてたわけね。一回死んだほうがいいわ」


「おまっ! ……てめぇこの、そこの男っ!! お前! 葵ともうヤったのか!?」


 矛先が僕に向いた。


 僕のことを親の敵でも見るような目で睨み付けている。


「し、してないです。本当です」


「お前は若くて良いよなぁ! そうやって僕から全部奪っていくんだ!! 後から来たくせに、若くてかっこいいからって全部かっさらっていく!! 僕が先に好きになったんだぞ!! 順番守れよ! 僕が先に好きになったんだぞ!!」


「お、落ちついてください」


「落ち着けるかよっ! 僕みたいに歳だけ取ったブヨブヨのデブが、お前みたいに若くてかっこいいヤツに好きな女取られる気持ちがわかるかッ!! わかんねえだろっ!!」


「……っ!」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


 この人は、僕と同じなのだ。


「なんだよ! 何とか言ってみろよ!」


「正治さんっ!!」


 僕は正治さんの肩を強く掴む。


 その勢いに、正治さんは少したじろいで、


「な、なんだよ」


「わかりますっ! 正治さんの気持ち! すごく良くわかりますっ!」


「う、嘘をつくなっ!」


「本当ですっ!」


名前などを言わずに一通り伝えると、正治さんは、憑き物が落ちたように肩を落とした。


「……お前。大変だったんだな」


「…………」


「ごめんな。お前に比べたら、僕なんてまだまだだ」


「いえ。正治さんも大変だったと思います。好きなのに認められない苦しい気持ち。よくわかります」


「わかってくれるか?」


「わかります」


「お前、名前は?」


「優太です。桜田優太」


「優太。僕達は血は繋がっていないがもう兄弟だ。いつでも僕を頼れ」


「何だこいつら」


「葵さん!」


 僕は、葵さんの方に向き直る。


「な、なによ……」


「お願いがあります」


「お願い?」


「やり直すチャンスをくれませんか?」


「警察を呼ぶなって事? 馬鹿を言わないで。あなたがいたから助かったけど、いなかったら今頃どうなってたか」


「でも……いました。僕がいたので、正治さんは決定的な間違いを犯さずにすみました。だからお願いします。正治さんにチャンスを貰えないでしょうか?」


 僕が頭を下げると、葵さんはため息をついた。


「……じゃあ聞くだけ聞くけど、チャンスって具体的に何?」


「正治さんはやり方を間違えたんです。だから正治さんが罪を償って帰ってきたら、正治さんの気持ちを受け止めてもらえませんか?」


「警察に行くのは前提なのね。それならいいわよ」


「ありがとうございます! 正治さん! やりましたよ! 帰ってきたら僕もお手伝いするので、葵さんに思いを伝えましょう!」


「え。いや。出来たら警察に行きたくないんだけど……」


「それは無理です」


「え。そこは突き放すんだ」


「でも希望はあります。全てが終わったら、葵さんが気持ちを受け止めてくれるんですから」


「そっか。まあ……それも悪くないか」


「はい!」


「まあフラれるのは目に見えてるけどな」


「そんなことないです」


「そうか?」


「はい。成功率はゼロじゃありません」


「ゼロよ」


「……えっと。ゼロだそうです」


「優太!? 考え変えるの早くない!?」


「そろそろ警察呼ぶけどいいわよね?」


「そうですね」


「お前、葵の言葉に従いすぎじゃねえか!? 優太よ!!」



「お姉ちゃん。桜田君ってまだいる?」


 真央君が部屋に再び現れた。


「あ、真央。警察呼んでくれる? こいつ突き出すから」


 勘違いだったけれど、結果的に僕が部屋に入ったことによって、事件はそこまで深刻にならずにすんだ。


 けれど、それは勘違いじゃなかった。


 そしてもう一つ、僕はすべてが終わるまで、致命的な勘違いをしたままだった。 

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