第9話 ざまあの死んだ日 後編



「おまっ! お前っ! 俺のスマホどうしてくれんだよぉおお!!!!」


 一橋の絶叫が店内に響いた。


 遠くで、店員がギョッとしているのが見える。


「スマホ? 何のことですか?」


「しらばっくれるなよ! じゃあなんで謝ったんだよ!!」


「肩にとまっていたハエを払いました。それが失礼かと思って」


「ふざけんなよ!! ハエなんてどこにもいねえんだよ!!」


「ところでどうして突然スマホを分解しはじめたんですか? お店の人に迷惑ですよ」


「お前がやったんだよ! お前がよおお!!」


「酷い言いがかりですね」


 そう言って、近くにあったゴミ箱にノミとハンマーを捨てると、つけていた革手袋を外した。


「ふざ、ふざ、ふざけんなっ! 弁償しろっ!! 今すぐだ!!」


「証拠はあるんですか? 指紋は出ませんよ」


「ここにいる全員がみてんだよぉお! 全員が目撃者だ! なあ、真理! 見てたよな!?」


「……」


「なんで黙ってんだよ」


「……もういいよ。ちゃんと話そう。達也」


「……」


 真理は僕の方をまっすぐに向いて、


「ごめん優太君。確かに私は浮気しました。でもね、話を聞いてほしい」


「うん。もちろん」


 僕が頷くと、


「このスマホ。紛失補償には入ってないんですかね?」


「あ。まてよ。たしか先週入ったな」


「だったら紛失したって事にしましょうよ。これはこっちで捨てておきます」


「お、悪いな」



 なんで隣はまだスマホの話を続けてるの?


 まあいいけど。



「去年。コテージに泊まりに行ったの憶えてる? 真子ちゃん達と」


「うん。憶えてるよ」


 たしか6月だったと思う。


 高校に入学してから2カ月たって、一橋が親睦会しようと言って誘って来たんだ。


 荒木真子さんとか、真理と仲のいいクラスメイトが参加するって聞いて、僕から真理を誘った。


 真理はあまり乗り気じゃなかったのに、僕は初めてできた親友の誘いが嬉しくて無理に誘ったのを覚えている。



「あの時、達也に強引にされちゃったんだ」


「……え?」


「最初は抵抗したんだよ。でもすごい力で服を脱がされて、怖くて声も出せなくて、私、優太君に助けてほしくて何度も声を出そうとしたの。でもね、自分の姿を見て、優太君に嫌われたらどうしようって、そっちの方が怖くなったの」


「でもお前のおかげだぜ優太」


 一橋が話に入ってくる。


「?」


「俺ら、すぐ近くでシてたのに、お前がぐっすりと寝ててくれたから、最後まで出来たんだよ。ありがとな」


 コイツ……何言ってんだ。


 嘘だろ。


 体中に血が巡る音が聞こえてきた。


 おかしくなりそうだ。


「ごめんな優太。お前の彼女、入学した時からずっと狙ってたんだよ。めちゃくちゃエロい体してるだろ? 思った通り最高の体だったわ。一回ヤッたら後は脅して何回もヤった」


「……」


 ギュッと拳を握る。


 殴りかかりたい気持ちをぐっと堪える。


 人を殴りたいと思ったのは生まれて初めてだった。


「優太君ごめん。バレたら絶対別れなくちゃいけなくなるって怖くて黙ってた」


「なあ優太。お前知ってるか? 俺が真理の家にずっと入り浸ってたの。お前の知ってる場所で、真理と過ごした場所で、俺らは何度もヤってたんだぜ」


「……」


 落ち着け。


 掴みかかったら相手の思うつぼだ。


 お店にも迷惑がかかる。


 僕はちゃんと思考できてるか?


 おかしなことを考えていないか?


「お。大丈夫か? ひ弱な優太ちゃん。もう倒れそうなのか?」

 

 一橋は、ソファーにドカッと背中をあずけると、


「でもまぁ、俺も鬼じゃないからな。言ってやったんだぜ。真理の体はもう十分楽しんだから、もうやめようって。もう二度と脅さない。今まで悪かった。だから彼氏の元に戻っていいぞって。そしたらなんて言ったと思う? お前の彼女」


「……」


「そしたら『優太君のは小さくて固さも足りないから物足りないの。だから達也がいい』だって」


「そんな言い方してないでしょ。それに、優太君とは……したことないし」


「同じだろ。まあそういうわけだ。真理は俺を選んだんだよ」


「ごめん優太君。何度もされてるうちにハマっちゃって。優太君といても達也としてる事ばっかり考えるようになっちゃったんだ。もうダメだよね。そうなったら」



 真理が何か喋ってる。


 もう既に僕の耳は、心は、彼らの言葉を受け付けない。


 死にそうだった。


 死ねたら楽なのに。


「お前って5歳の時から真理と知り合いだったんだろ? 10年間も何してたんだよ。俺なんか数ヶ月で処女までもらっちゃったってのによ」


「やめてよ」


「ま。そういうわけだから、真理のことは諦めろ。悪いな」


「ごめんね。優太君」


 バンッ!!


と、テーブルが叩かれた。


 天満さんだ。


「帰りましょう。優太さん」


 天満さんはそう言って、僕の手を引いて喫茶店を出た。


、相変わらず力が強かった。



 しばらく歩いていると、遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。


 顔を上げると、羽を広げた鳥が円を描くように飛んでいた。



「少し休みましょうか。優太さん」


「……うん」


 あ。


 まだ声でたんだ。


 そんな事を思いながら、その場に腰を下ろした。


「はは……」


 感情の奔流が、体中を駆け巡っている。


 歯を食いしばって耐えた。


「優太さん。よく我慢しましたね。さっき、殴りかかろうとしたよね?」


「……うん」


「頑張ったね。すごく偉い」


 天満さんは僕の頭をゆっくりと撫でてくれる。


「……うん」


「泣いてもいいよ」


「泣かないよ」


「無理しなくていいのに。私の前では素直になって大丈夫です。私は優太さんを見放さないし、絶対にそばにいるから」


「甘やかさないでよ」


「甘えていいんです」


「よくないよ」


「意固地ですね。優太さんは」


「もっとスッキリすると思ってた。真相がわかって、真理と一橋の関係がはっきりして、僕が駄目な所がわかって、ごめんねって謝って、それで綺麗にお別れできると思ってた」


「ごめんなさい。私が仕返ししようなんて言わなきゃよかったですね。仕返しするどころか返り討ちに会っちゃっちゃいました」


「いや。これでよかったんだと思う。いずれ決着はつけなきゃならなかった」


「優太さんは頑張りました。だから休みましょう。少し休んで、心が回復したら、一緒に一歩ずつ歩いていきましょうね」


「いや…………僕は一人で歩くよ」


「え?」


「天満さんには本当に感謝してる。もし天満さんに死ねって言われたら、さすがに難しいけど半殺しには全然なる。それぐらい感謝してる。僕にできることがあったら何でもする。命だってかける。でも、ここでお別れをしたい」


「え? それってどういう……」


 天満さんは、驚いた顔で僕を見ている。


 僕はそんな驚いた表情の天満さんでも、とても眩しい存在だとと感じる。


「天満さんは言ってたよね。僕が自分の足で立ち上がるまでは一緒にいてくれるって。あれって野球部の床に座り込んでたから言ってるのかと思ってたけど違うよね? 精神的に僕が立ち直るまで一緒にいてくれるって意味だよね?」


「は、はい。それはそう言う意味で言ってました」


「天満さんは僕を守ってくれた。いい子いい子してたくさん甘やかしてくれた。おかげで僕は決定的なダメージを負わずに済んだ。天満さんがいなかったら、どうなってたか考えるだけで恐ろしい。だから……本当に感謝してる。ありがとう」


 僕も立ち上がって、天満さんに深く深くお辞儀した。


「……優太さん」


「でもね。それって自分の足で立ったことになるのかな? たくさんの緩衝材で足を守られて、松葉杖の代わりに天満さんが手を引いてくれる。最高だ。みんなに自慢もできる。でもダメだよ。僕は自分の足で歩きたいんだ。このまま一緒にいたら、僕は二度と自分の足で立ち上がれない」


「でも……」


「連絡先は消さない。いつか恩返しがしたいから。でももう会わない。連絡もしない。僕があなたに恩返しが出来るほど、ふさわしい人間になるまでは」


「で、でも……そ、そうだ」


 天満さんは、初めて見る焦った表情で、


「学校で。学校で会ったらどうするんですか? 合同の授業とか、部活とか、一緒になる可能性はあるよね? 私の事を全部無視するの?」


「何言ってんだよ」


 僕は、天満さんの顔を正面から見て、


「天満さん。うちの学校の生徒じゃ無いだろ」


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