第72話 残酷

「学園……長」


「あまり目を向けないでくれ。正義のヒーロー面は慣れていなくてな」


 陽光に照らされ、魔女の鮮やかな金髪が優雅に煌めく。彼女の荘厳な出で立ちには、陽咲乃でさえも目を奪われてしまう。


 オフィーリアが女を投げ飛ばしたことで、陽咲乃は我に帰る。すると今度は、制服越しに感じる自らの身体の変化に目を見張った。


 女に腹を縦断された傷。制服を捲ると、もとから綺麗さっぱりと消え失せ、薄ピンクの血色を帯びていた。


「身体が……」


 驚嘆する陽咲乃を一瞥したオフィーリアは、続けざまに勇香の前で仁王立ちしている女を睨む。


「聞いているだろう。紗知無」


 目線は女へと、その口調は遠くにいる誰かへと。 


「これ以上、私の学園で蛮行を晒すようならば、上官として貴様に誅を下さねばならなくなる」


(何っ……この気迫)


 陽咲乃に映るのはオフィーリアの背中。それはまるで天高く突き抜ける巨壁。

 身体が回復したとはいえ、魔法でもない女の背中に心臓が凍りついてしまった。


(生徒会長でも感じたことない。こんなの……耐えられるわけない)


 悪寒を感じ、遂には涙ぐんでしまうほど。次には金縛りのように身体が硬直した。


 感情では済まされない。陽咲乃の本能が、オフィーリアというひとりの人間に恐怖している。


「悪かった。キミを脅かすつもりはない」


 陽咲乃の気を察したかオフィーリアがフッと微笑むと、引き締まっていた力が抜けたように、陽咲乃はへたり込んだ。


「さて……」


 オフィーリアは再び女へと向き直り、手を差し向けながら迫った。


「その少女は我が学園の一生徒だ。特別扱いをした覚えはない、渡せ」


 女の顔がみるみる憔悴し、額からダラダラと滝のような汗を流す。人型をした天変地異と立ち会っているかのように、身体もガタガタと震えている。オフィーリアは声をかけただけだ。

 

 もう勇香を気にする暇すらないようだ。次の瞬間、魔法が解けたかのように勇香が身軽になり、陽咲乃へと駆けだそうとする。


「賢明な判断だ」


 その道を、女の震えた手が塞いだ。


「……っ!?」


「あくまで、貴様らの立場スタンスは崩さないつもりか」


 オフィーリアに睨まれていれば、女には立ち向かう気力すら残ってないはずだ。流れた汗はスーツに染みつき、首筋はぐっしょりと濡れている。そうさせるのは委員会としての矜持だろうか。


「いいだろう。私は部下の提言を耳に入れぬほどの暴君ではない。言い分を聞いてやる。」


「──っ」


 オフィーリアが視線を外したことで、女の肩の力が抜けた。女は自身の背後に勇香を覆い隠しながら呼吸を繰り返している。


 陽咲乃でも手に取るより分かる委員会の主張。


 手段は最悪ではあるが、彼女の言い分は的を得ているとは思う。もし勇香が“化け物”と称されるほどの力、委員会の信じる通り魔王に匹敵する魔力を有しているのなら、死人を出さずして彼女ひとりで世界を救うことが出来る。とても夢のような話だ。

 

 それ故に一度は耳を疑いもするが、今まさに夢のような世界で息を吸っている陽咲乃なら納得は容易い。そんな単純に物事が進むかは別として。


(それでもアタシは、勇香ひとりに押しつけたくない)


「オフィーリア・テミス、あなたは……情に囚われた子羊です。情でこの世界は救えない。世界を救えるのは彼女しかいないのだ。あなたは魔王によって次々と臓物を引き裂かれる生徒たちの様を、その目で見たいのか?」

「それは、紗知無の言葉か?」

「それとも、あなたが魔王を倒してくれるとでも言うのですか?」


 女の剣幕は憎悪すら映し出していた。湧き上がる怒りを抑え込むように、女は淡々と語る。


「四百年だ。四百年も魔王の悪戯で一万を超える勇者が死んだ。あなたは人情という皮を被り、四百もの間、勇者の死を傍観している。もう一度聞く、あなたはこの学園でだれよりも生徒らを寵愛の下に置いているはずだ。もしそれが偽りでなければ、なぜ彼女を使わない!あなたが魔王倒してくれるのですか!?」


 淡々と、けれども次第にオフィーリアへと重責を突きつけるように語気が荒々しく変貌する。まるで、四百年の間に散った勇者たちの、代弁者となるように。


 が、代弁者たる女でさえも、終焉を告げる魔女には焼け石に水に等しい。


「愚問だな」


「何?」


「それに、貴様らが解を求めるに足る問答か?」


「っ!?」

 

「一年前、我が下に付き、学園を改革せんと邁進していた貴様らを、私は好奇のまなこで眺めていた。しかしわずかな時を経た今、貴様らの評価を今一度修正せねばならんとは、非常に残念だ」


「……くっ!?」


 魔女の一瞥に、女は目を白黒させ地面に膝を付けた。オフィーリアの背後にいた陽咲乃さえも、どういうわけか世界が真っ黒に染まった……そんな気がした。


 陽咲乃の心臓が高鳴る。まるで生命の終末を知らせる危険信号のように。


 それは、世界の終焉。


 それは、魔王すらも握り拳で滅ぼさんとする覇気。


 それは、世界を片腕で滅ぼす黒衣の魔女。


「ひとつ、かわず共に真実を教えてやる。なぜ私が四百年も勇者を統帥し、二百年以上も学園長の席に就いてきたか。時が語った、貴様らのような単純な話だ」


 魔女は懐古するように続けた。


 それは、世界の終焉を告げる──化け物。


「彼女の内に秘めし天賦の才は、説明自体がもはや意味をなさん。だが、貴様らの言う彼女の成長……英雄だったか……魔導を極め、この世全ての勇者の頂点に立った状態、解釈は相違ないな?」

 

「今更何を……」

「笑わせてくれる」

「なんだと?」


 オフィーリアは苦笑すると、命の消えた冷たい目で、女に言い放った。


「そんな生ぬるい成長で魔王を倒せると思ったか?戯け者め」


「へっ?」


「魔王と対峙後、約0.5秒で彼女は口も聞けぬ肉塊となる。無論──だ」

 

「っ!?!?!?!?!?」


「渡せ」


 オフィーリアが語った真実か、はたまた威圧感か。顔に出さずとも狼狽でビシャビシャと汗を流す女に、魔女は激しい剣幕で一喝した。


「勇香!!!」


 女が固まった隙に、陽咲乃は勇香の名を呼ぶ。勇香は腰が抜けているみたいだが、陽咲乃の声は聞き届いていたようだ。


「陽咲乃……」


 女は魂が抜けたように動かなくなり、わずかに瞳孔が揺れているのみ。もはや勇香を引き留めることもなく、勇香は陽咲乃に向けて疾走する。


 一歩一歩、勇香の足取りに抵抗はなかった。束縛から解放された少女は、在るべき友人の元へと走り続ける。


 これは、委員会への反逆と同義。


 あの女性教師、梨花や絵里奈の処遇を振り返れば、この先どのような地獄が待っているかは安易に想像できる。学園追放か、または拘束後に拷問されるのか。オフィーリアいたとしても、その想像を簡単に覆すことはできそうもない、けれどもこれは意志だ。


 たとえ、委員会を敵に回したとしても。


 この期にどのような地獄が訪れるとしても。


 いつか、解放されるその日に。


 救いが訪れるその時に。

 

 勇香が、笑顔で罪と向き合えるよう。


 陽咲乃が、罪を償えるよう。


 陽咲乃は勇香に、手を差し出した。


 勇香は陽咲乃に、手を伸ばした。




「勇香……こっち……」


「伏せろ!!!!!!!!」



 突然、オフィーリアに大声で命じられ、陽咲乃は反射的に地面に仰向けで倒れる。その声と同時に、陽咲乃の頭上では氷の魔法が雪崩のように張り巡らされた。


「ハっ!?」




「ゲハッ!?」


 爆散する紅の飛沫。それらが陽咲乃の顔にびしゃびしゃと張りつく。そのひとつを指で掬い取り舌に乗せると、鉄の臭いがした。


「えっ……?」

 

 魔法が収まると、陽咲乃は一目散に氷をすり抜け、顔を上げる。



 その目に映ったのは、氷に身体を貫かれた黒衣の魔女。


「あれっ……?」


 棒立ちする勇香の手は、オフィーリアに向いている。手を伸ばしたまま呆然とする勇香の後方から拍手が響き渡る。


「おめでとうございます」


 目を輝かせながら拍手をする女。ただ、ひとりだけじゃなかった。


「おめでとうございます。おめでとうございます!勇者我らに纏わりつく腫瘍を駆逐なさいました」


「ち、違っ……」


 廊下の向うより多数のスーツ集団が押し寄せていた。皆が笑顔を向け、皆が勇香に喝采する。


「おめでとうございます」


「おめでとうございます」


「おめでとうございます」


 おめでとう、おめでとう──と滝のようにその言葉が流れてくる。


「我らの悲願を、あなたは大成なさいました!」


「貴様……ッ!!!」


 氷に貫かれたオフィーリアは、口元から大量の鮮血を吹き出しながら、女を睨みつける。


『平和ボケ』あなたの時代はとっくに終わったのですよ」


 女はオフィーリアの顔の近くまで来ると、スーツポケットから黒のグローブを装着する。


 ガンッ!!!!!


 女はグローブを装着した拳で、オフィーリアの顔面を躊躇なく殴りつけた。


「やめろ……」


 ガンッ、ガンッ、ガンッ、


「やめろ……!!!」


 オフィーリアの顔面が崩れようとも拳を打ち続ける女。血飛沫が四散し、陽咲乃の顔や制服に付着する。

 

「やめろよ……」


 オフィーリアが口が利けなくなったところで、女は血に濡れたグローブを外し、過呼吸状態の勇香に寄り添った。


「学……園長……?」


「これも通過点。学園長亡き後、次代の勇者たちの象徴となるのは貴方様です」


「あっ、あぁぁ……」


 陽咲乃は発狂した。


「あぁァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」


 この目で見てしまった。


 命の恩人が、大量の血液を吹き出す瞬間を、


 腹を貫かれる瞬間を、


 人が人によって命を奪われる瞬間を、


「あぁ……あぁ……」


 ──残酷だ。


「人ひとりの死体で動転とは……無様ですね。それでも勇者の卵ですか?」


 ──残酷だ。


「あぁ……ぁぁ」


 オフィーリアから溢れた血が、氷を伝うようにぽつぽつと落ち、血だまりを形成していく。


 その中心に、キラリと光り輝く壊れかけのネックレスがあった。


 ズタズタで、ボロボロで、握りつぶせば砕けてしまいそうで。


 やがて血みどろに呑まれてしまいそうで。


「アタシ……だけが……また……」


 何もできなかった過去を、誰も救えない現実を、勇香が英雄となった未来を。


 荒廃した世界で、自分ひとりだけが生き残った未来を──


 陽咲乃は慟哭した。枯れてしまいそうなくらいの涙を流した。


「委員長……了解しました。回復処置をいたします」



 皆の頂点に立ち、頂点から皆を見下ろす。それが陽咲乃の正義。


「あぁ……あぁぁ……」


  チャリチャリ


///僕は思ったんだよ。なくすことができずとも。減らすことができるなら。この僕の手で、理不尽を肩代わりできるならって。


「理……不尽を……肩っ……代わり……」


 チャリチャリチャリ


///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///


 何十年も前に聞いた父の言葉。当時、まだ小学校に入ったばかりの陽咲乃には、それが父との最後の会話になると思いもしなかった。


「正義……アタシの……やりたいっ……こと……」


 ──そのせいで……村のみんな、誰ひとり救えなくて……全部私のせい、なのに……向こう側は、私が英雄だと褒め称える。


 友人の小柄な少女が陽咲乃に打ち明けた言葉。陽咲乃との約束が枷となり、少女が地獄を味わうなど思うこともできなかった。


「理不尽は……なくせない……」


 陽咲乃は歯を喰いしばった。勢い余って舌を噛み千切った。鉄分の臭いが口いっぱいに広がる。


「そのに慣れておきなさい。そのうち然るべき者が駆けつけ、追って処分が下されるまで、あなたはまだ卵なのですから」


 瞬間──ぐしゃっとネックレスを掴み、陽咲乃は氷を掻き分け正面突破。リスクすらも考えられない。今はもう自暴自棄。


「何をっ!?」


 女の隙を縫って、陽咲乃は放心状態の勇香へと飛び込んだ。


「あァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」


「っ!?」


「《過剰ノ無カジョウノムヲシレッッッ!!!!!》」


 その言葉と同時に、陽咲乃を中心に眩い光に包まれた。


 次に陽咲乃の足元に現れたのはゴボゴボとした黒い渦。渦は竜巻のように膨れ上がり、陽咲乃と勇香を呑み込んでいく。女は反射的に勇香の腕を掴もうとしたが、それはもう遅かった。


 その後には、陽咲乃と勇香がし、オレンジの斜陽を浴びた廊下だけが映っていた。


「死、損じたか」


 *


 瞳は涙ぐみ、前すらも潤んで見渡せない。


 それでも瞳いっぱいに入る光量が、さっきまでのそれと違い潤沢していた。


「こ……こは……」

「……はぁ、温存するためには、ここが限界」


 目を開けると入り込んできたのは、先の廊下から少し離れたトイレの、白タイルの壁だった。


 記憶の最後は、陽咲乃が自らに突っ込んできたところで途絶えている。


 この場所まで走ったのも、陽咲乃に背負われた時の振動も記憶にはない。


 残っているのは、光に視界が包まれた次の間には、この場所に立っていたという記憶のみ。


 わずかな汗を額に見せる陽咲乃は、手に持っていた首飾りを勇香の心臓に押し当てる。


「あんたがアイツらどんなことされたか、アタシには知る由もない。だけどアタシの役目は、アイツらに想いをひん曲げられたあんたを救うこと」


 勇香の首に首飾りを掛けつつ、息切れしつつも明朗な声で告げた。


「これ、アタシも似たようなもの持ってるからさ、これはあんたが掛けときな」

「え?」


 陽咲乃はニッと笑いながら自分の耳飾りを指さす。


「言ったよね、英雄になれるって。ノってあげるよ、その言葉」

「……っ!?」

「アンタの言葉は、アイツらの洗礼を浴びて胡散臭さMAXだけどね」


 苦笑しながら、陽咲乃は勇香に背を向け、夕日の差し込む窓縁に手を掛ける。


「アタシの夢は、みんなのリーダーになること。みんなをずっと上から見守り、誰かが挫けそうになってたら肩代わり……手を差し伸べること」


「じゃあ……ほんとに……英雄に……」


「違う」


 勇香に向き直った陽咲乃は、決意を込めた顔つきで、勇香に手を差し伸べた。


「アタシがなるのは、勇香あんたのための英雄だ」

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