第73話 あんたのための英雄に

「アタシがなるのは、勇香あんたのための英雄だ」



 魔王を討伐し、この世界を救う存在。それが英雄。すなわち英雄は世界中の個々のために自らの命を投げ出し、多くの命を助ける。だから人々は英雄と呼び、何千年、果ては何万年も崇めるのだ。個人のための英雄、それはもはや、言葉として価値がないに等しい。


 陽咲乃はさっきの一件で思考回路が破綻したんじゃないだろうか。


「へっ?」


 差し伸べられた手は微細な迷いもなく不動。勇香は理解ができずに吐息を漏らしてしまう。



「ぷっ……なんてね、そんなカッコつけちゃったり」


「陽咲乃……」


 雲が太陽を覆い隠した。繊翳が訪れ、差し込む光が徐々に薄くなる。それなのに陽咲乃の姿は明瞭で、光源を失ってさえも輝いて見える。涙で視界がぼやけ、陽咲乃を含めたあらゆる物体が、星団を思わせるように抽象化する。


 ──この目に映った陽咲乃の姿は、まるで太陽そのものだった。


「やめろ!アタシをヒーローを見るような目で見るな!」


 両手をクロスさせ顔を覆い隠す陽咲乃。気のせいか頬が赤く染まっているような。


「それで、今後の方針だけど……」


「……っ」


 オフィーリアに、声を乗せずとも自分の口で魔法を唱えた仕草が、嘘偽りなく身体に染みついている。その時の両手の感覚が、今さら震えとなって蘇る。


「勇香?」


「消え、ないの……」


「っ?」


「あの……感覚……」


 学園長に向けた、自分だけど自分ではない──誰かの殺意。


「人……殺し……ッ」



「グギィ!!!!!!!」


 あの時の記憶が、何度も何度もフラッシュバックされる。その度に、地面に頭を打ち付けたくなる。すべての記憶を無くしてしまいたくなる。なのに、怖いから発狂しかできない。一時だけ紛らわせすことしかできない。


「私、私……っが」


 オフィーリアだけじゃない……


 女性教師……カズラノ村の人々……勇香が関わった……勇香のせいで……勇香のせいで……


「あぁ……ぁぁぁ……」


 無駄死にだ……生きててよかった……もっと生きていたかった……いなけりゃ……アンタがいなけりゃ……アンタがいなけりゃッッッ!!!!!!


 彼らが……怨念が……皆口を揃えて、記憶の深淵から勇香に問う。


///妄信したから///


「最高の勇者……目指しちゃったから……」


///約束したから///


「踏み出しちゃったから……」


///才能がないのに、///


 その一言を、最初から刻み込んでおくべきだった。向う側の甘言に乗せられず、限界を把握できていれば……藤堂梨花の言葉を鵜呑みにしていれば、こうなることはなかった。


「んなわけねぇだろッッッッッ!!!!!」


 陽咲乃は金切り声を上げ、勇香の両肩を掴んできた。肩に降りかかった重圧に勇香は思わず吐息をひとつ。


「ひぎっ!」


「踏み出すことが罪になるなんておかしっ……!?」


 血相を変えた形相で言いかけた陽咲乃。だが、勇香の顔を一目見るなり顔が強張ってしまった。しばらくすると陽咲乃は呼吸を落ち着かせ、勇香を抱いた。


「あれはあんたのせいじゃない。それはあんた自身が一番自覚してるでしょうが。口が勝手に動いた、今はそういうていにしとき」


「陽咲乃……」


「学長先生を殺ったのはアイツら。それを履き違えちゃダメ」


「でも……でも……」


 意志じゃないのは分かりきっているし、誰かに“言わされた”感覚も残っている。とはいえ、自らの魔法でオフィーリアを殺したのは変わりない。

 もし自分の意志が含まれていたら、そんな一握りの可能性と現実。考えれば考えるほど、あの時の記憶が頭の中をぐるぐる駆け巡る。頭を打ちつけたい気分になる。死んでしまいたくなる。


 なのに死ぬなんてできやしない。怖いから、臆病だから、一時だけ顔を背けるために発狂するしかない。それが聖ヶ﨑勇香という人間の本質だ。


「ふっ」


 と、陽咲乃は苦笑混じりの柔らかい声で、


「勇香の心臓、ガキみたいに脆いんだから……ここに押し込むのがどんだけ向いてないか、自分自身も解ってんだろ」


 そう言いながら、陽咲乃は自分の胸をコンコン叩く。


「……そう、だね」

「辛いんなら『助けてください』って言え。アタシが応えてやるから」

「へぇ?」

「馬鹿にすんなよ。アタシはこの学園のリーダーになる女だぞ。才能も、カリスマ性も、誰にも負けない志も、みんな持ってるハイスペックな人間、それがアタシだ!」


 陽咲乃は自信満々に宣言しながら笑った。なぜこんな状況で笑えるのか、勇香は小首を傾げてしまう。


「なによりさ、あんたを背負いきれないようじゃ、アタシはこんな場所にはいないよ。だからあんたが言った通り、英雄のは十分にある……」


 そう自慢げに告げる陽咲乃は、両肩から手を離してくれない。何かを待っているのか。


「ほら、早く」


「えっ……?」


 突然、肩にぐぐっと力が入る。


「英雄だから、意地でも勇香の話聴く」


 この場所はオフィーリアに魔法を放った廊下とはそう離れていない。委員会が場所を突き止め、乗り込んでくるのも時間の問題だ。陽咲乃はもちろん、承知の上だろう。承知の上で、解放してくれない。


「どんだけダサくても、クソでも、惨めったらしくても、ぜったい聴く」


 陽咲乃の手は震えていた。陽咲乃も向う側を恐れているのだろう。


「聴く終えるまで絶対に、ここから動かない」


 震えに負けじと、勇香の肩を掴む力は徐々に強くなってゆく。


「もう喉の奥まで出かかってんでしょ?なら簡単だって!吐き出せ吐き出せ!」


「……っ」


 いつだって陽咲乃はそうだった。プライドが高くて、傲慢で、そのくせみんなに愛信頼されてて、仲間外れだった自分を、助けてくれた。


 約束した。


『決めた!今度の生徒会選挙に立候補して、アタシは勇香の席を奪う!』


 約束した。


『だから勇香も、それまでに力つけて、自分を変えなさい』


 ──約束、した。


『隠し事なんて、絶対すんなよ』


 最高の勇者になりたい。陽咲乃と並び立つ存在になりたい。だからこそ地獄のような道をひたすら進んでいった。どんなに傷ついても、死んでも、陽咲乃のために此処までやって来た。それでも心の中は童心のまま、いつまでも変わらなかった。

 

 陽咲乃も約束を破った。なら、お相子だ。


「助……けて……」


 陽咲乃の根気に屈し、勇香は囁くような声音で吐き出した。その途端、不思議と肩の力が抜けた。


 陽咲乃は勇香の両肩にググンと力を入れて軽めに突き飛ばしつつ、離れ際に微笑む。


「うわっ!?」

「素直でよろしい!」

「半分言わされたんだけど」

「ふふっ、いつもの気の抜けた声に戻った……」

「気、抜けてるかなぁ?」


 陽咲乃とカラオケに行った時、目に光が籠ってないと言われたことがある。他人からはやる気がなさそうに見えるのだろうか。当然と言われたら当然だ。


 今まで何かのために“頑張ろうとしたこと”なんて、ただひとつもなかった。それが“向いてない”の何よりの証拠だろう。


「まーた自己嫌悪?」

「……私はいつまでこのままなのかなって」


「あんまり思いつめるんじゃないぞ?人間なんて変われる奴の方が稀なんだよ。表日本向こうにいる奴らのほとんども変わったつもりでいて、人間的にはずっと同じ時間を過ごしてる。だから勇香もそのままでいいんだよっ、変わったらアタシがイジれなくなっちゃう」


「……運命論の時から思ってたけど、おんなじ高校生に人生説かれてもあんま説得力ない」

「はぁー!?勇気づけてやってんのになんだその態度は!?」

「じゃあ約束は何だったの」

「さぁねー……てか、これからどうしよっか」

「これからって……まさか、何も考えずに逃げ出したの?」


 宣言した手前、能天気に口笛を吹く陽咲乃に勇香は苦笑してしまう。思えばさっきまでの記憶に苛まれていた自分とは大違いだ。怨念は今も呪いのように蘇ってくるが、何故か陽咲乃の声によって掻き消されてしまう。


「そんなこたぁないよ?アタシも事前に作戦くらい立ててたんだけどさぁ……オフィーリア学長先生は無事みたいだけど、一番の頼り所潰されちゃったから」

「なんか陽咲乃が私みたい」

「やめろー!そんな不名誉な称号」

「本人の前でよく言えるね」


 にへら顔の陽咲乃をジト目で睨む。緊張感も忘れ、笑い合いながら数分。


「ねぇ、聞いていいかな?」


 陽咲乃には察せられたようで、疑問を口にする前に応えが返ってきた。


「悪いけど絡繰カラクリは企業秘密。アタシがと知られたらいろいろとマズイから」

「そ、そうなんだ……」

「まぁ、奴らは薄々勘づいてるだろうけど。あんな目の前でわざわざ披露するなんてさ……」

「へ?」

「ううん。なんでもない」


 あの廊下からここまでを一瞬で移動できたのには、陽咲乃が光の速さで駆けたのではなく、何かを発動したからと推測するのが無難だろう。陽咲乃が突っ込んできた直後、彼女から発せられた光と直後の黒い渦は、感覚だが魔法とは何か異質だった。その何かを考えても仕方ないが、陽咲乃はその何かを保持しているのだ。


「すごいね。陽咲乃は私なんかより、たくさん持ってて……」

「そりゃ、あんたよりこの世界長いからね」

「やっぱり……陽咲乃の方が英雄向いてるよ」


「……」


 陽咲乃は応えなかった。顔も暗い、さっきまでの様相とは大違いだ。灰色の前髪越しに伺える表情は何かに怯えているような。


「陽咲乃?」

「それはないよ」


 陽咲乃は勇香に背を向け、陽咲乃はトイレの窓枠に手を掛けた。


「カッコつけておいてなんだけど、こうやって平然と話せてるのだって、あんたみたいに目先の恐怖から逃げてるだけなんだから」

「陽咲乃も怖いの?」

「当たり前じゃん」

「さっきだってさ、殴られ続ける学園長を見てることしかできなかった」


 時間が経ち、太陽は沈んでいく。もうすぐ夜がやってくる。


「足も震えて、身体も全然動かなくて……アタシらしくないって言うか」

「陽咲乃?」

「……ダサいっていうか……情けなくて……この世界のこと……舐めまくってた」


「それって……」


 雲に隠されていた太陽が、最期のあがきとばかりに少しずつ顔を見せる。英雄はまた、少しずつ夕陽に照らされていく。


「何回言わせるんだよ……」


 英雄は、振り向きざまに告げる。その左目には、一粒の雫が流れていた。


「アタシだって脆いのさ」


「……っ!」


「あんな状況じゃないと、こんなダサい決意、できなかったし……」


「決意?」


 陽咲乃は吹っ切れたように自分の頬を叩くと、笑いながら告げた。


「てことで、逃げますか」

「逃げるってどこに?」


 その瞬間、陽咲乃は勇香の手を強く握る。


「アタシたちを理解してくれる人の下、だよ」

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