第1-2話 白い封筒(2)

 女子生徒に言われた事を、勇香は理解できなかった。否、CPUが理解を拒んだのだ。

 いつもは内心行きたくないと思っていた学校でも、この日だけは嫌な現実から逃避できる絶好の場所だと思っていた。しかし、時間というものは否応なしに過ぎていく。

 勇香の周りには、女子生徒に導かれるように、続々と生徒たちがやってくる。

 その様子を、真琴は何事かと眺めていた。


「なあ聖ヶ崎、今まで話さないで悪かった。転校するんだろ?」

「聖ヶ崎さん、何かこの学校で嫌なことでもあったの?」

「ごめんね、私たち気づいてあげられなかった」


 勇香を寂しむ言葉が、机を囲む生徒たちから口々に綴られる。その珍妙すぎる光景に勇香は悪寒すら覚えた。それもそのはずである。

 

 勇香はあまり他人と関わることのない、内向的な性格だ。

 それ故にクラスの中でも隅にいるような目立たない存在。

 たまたま隣の席になった少女以外、友人と呼べる者も少なかった。

 それなのに、会話を交わしたこともない生徒たちが、自分の転校を悲しんでいるのだ。


「え!?勇香ちゃん転校しちゃうの!?」


 真琴の嘘偽りのない純粋な驚き。その声に、勇香の表情はぱぁっと明るくなる。

 それはまるで異世界に迷い込んでしまった勇香に、同じ境遇の仲間ができたかのように……


「なんだ、安芸は知らなかったのか?」


 お願い、やめて──彼女を違う世界の住人にするのはやめて──


「ねえ、このまま何もしないのも良くないし、最後に何か思い出でも作れないかな?」

「そうだ、放課後に聖ヶ崎の送別会するか!」

「いいね!じゃあ聖ヶ崎さんも連れてカラオケ行こ!カラオケ!」


 生徒たちは勇香の送別会の計画を立てるために各々で盛り上がる。

 高校生らしい、しかし不自然すぎる彼らに、勇香の心臓はパンクしかけていた。


「勇香ちゃん大丈夫?」

「う、うん。平気だよ」 


 ただ一人、自分の心情を気にかける真琴。勇香は心配させまいと深呼吸で心臓の鼓動を落ち着かせた。


「じゃあ聖ヶ崎さん。放課後いつものカラオケに集合ね」

「聖ヶ崎知らねえだろ」

「そうだった。安芸さん場所知ってるよね。悪いんだけど連れて行ってあげてよ」

 

 いつのまにか話し合いは終わっていたらしい。


「う、うん。分かった」


 真琴は苦笑いのまま女子生徒の頼みを受け入れた。


「勇香ちゃん。よくわからないけど、パァーっと楽しもうね!」

「そ、そうだね……」


 勇香の顔は、若干引きつっていた。


「ほら、授業始めるぞ。みんな座れー」


 時刻は既に九時過ぎ。

 ガヤガヤと喧騒の残る教室内も、教師の一声で静寂に包まれた。

 

 *


(はぁ……いったいどうしちゃったんだろう)


 放課後。HRが終わると、一目散に教室を出た勇香。

 下校中の勇香の足取りもおぼつかないまま。

 正直、自宅へ帰りたくない。家に帰ると、またあの話を聞かされる。

 かといって学校に戻っても、見知らぬ生徒から気遣われるだけ。

 だったらいっそ、下校というこの時間を大切にしたらいい。

 

 心なしか見慣れた下校中の風景も、今日は一層美しいものに見えた。


 勇香は無心で川辺の土手を歩く。歩き続ける。

 やがて石の階段で下界に降り、住宅街の道を行く。


 モノレールの駅にたどり着くと、リュックサックからワイヤレスイヤホンを取り出して耳に装着する。

 エスカレーターに乗りながら、お気に入りのアニソンを流して乱れた心を落ち着かせる。

 ホームにつくと、今度はただひたすらにスマホのパズルゲームに勤しむ。

 勇香は必死に、辛い現実から逃げようとした。


 いや違う、これはただの夢なのだ。

 でないと、両親やクラスメイトの言動に合点がいかない。

 

 ゲームに夢中になってモノレールが到着していたことを恥ずかしむ必要もない。

 後ろに並んでいた人に迷惑がかかったことを心の中で詫びる必要もない。

 ──だってこれは夢なのだから。


 そうだ、カラオケもドタキャンしてしまおう。

 自分ひとり来なくたって、糾弾してくる人は誰もいない。

 ──だってこれは夢なのだから。

 

 きっとあと少しで、目覚まし時計のけたたましい音が鳴って現実に引き戻されるだろう。勇香はそれを信じて待ち続けた。


 モノレールが自宅の最寄り駅に到着し、勇香は駅のホームへと足を降ろす。

 地上へ続く階段を下り、その先の交差点の赤信号を待つ。

 

 いっそのこと信号を無視して車に轢かれたら、強制的に夢から覚めるのかな?

 

 流石の勇香も、その考えだけは心の中にしまい込んだ。


 住宅街の路地に入っていく。

 そこで、勇香の足取りはだんだんと遅くなる。


 もうすぐで自宅にたどり着いてしまう。

 あの話をまた聞かされる。

 早く、早く夢から覚めて。歩きながら、目を瞑って神頼み。

 しかし、それが命取りだった。


 ププー


 耳元で鼓膜がはち切れそうなクラクションが鳴り響いた。勇香は慌てて瞼を開ける。


 すると目の前には、今まさに自分に突っ込んでくる車が──


 死ぬ。死ぬのかな?

 でもちょうどいいや。これでやっと、目を覚ませる。


 勇香は諦めたように、ゆっくりと瞳を閉じた。


 ガシャン!!!!!






 *


 夢から醒めたのかな?


 勇香は閉じていた瞼を恐る恐る開ける。すると、視界は一気に眩しい光に包まれた。


 ベットで寝ていたのかな。

 さっきまでのは全部夢だったのかな。

 もしかしたら、あの子も生きているのかな。


 次第に、眩しさがだんだんと和らぎ、景色が見えてくる。

 しかし、見えてきた景色に、勇香は口をあんぐりと開けることしかできなかった。

 当然である。


「うそ……」


 ──真っ白な髪をした少女が、勇香を轢いたはずの車を片手で停止させているのだから。


 少女は勇香が目を覚ますなり、赤と紫の瞳を勇香に向けながらこう呟いた。


「やっと、

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