第55-1話 向う側(1)
早朝は静寂に包まれる経営企画室だが、今朝はなんだか騒がしかった。
「委員長」
コンコンと扉をノックする音がすると、カプチーノ片手に窓の外を見つめていた委員長の女は、その者に入室を促した。
「入りなさい」
「失礼します」
扉を開けて中に入ってきたのは金髪の美しい少女──生徒会長、椿川愛華である。その脇には水色の髪の少女、副会長の黒野妃樺も控えている。
「愛華」
女は小さくその名を呼ぶも、愛華は普段の温厚な姿とはかけ離れたいきり立った様子ので、扉を乱雑に閉めると女のいるデスクに直行した。そしてデスクをバンと叩くと、やや強めの口調で肉薄する。
「単刀直入にお伺いします。勇香を、いったいどうなさるおつもりですか?」
「あなたには関係のない案件です。答える義理は有りません」
自らの勝手な采配で勇香を生徒会に強制編入させ、その教育を自分達に委ねたにも関わらず、関係ないとは今更どういうことか。そう反論したいが、愛華は訪れた目的を果たすことを優先した。
「私は生徒会長です。
愛華は自身の胸を叩き、女に断言した。
「身を案じるというのなら、この件に関して口は慎むべきですね」
そう告げると、女は愛華を背にして再び窓の外に視線を移した。女のこの仕草は、一種の退出せよという合図を示している。
しかし、ここで大人しく退いてしまうようでは、先代から受け継いだ生徒会長の銘が廃れるに等しい。愛華は前よりも声量を高めて女に迫る。
「学園長はお知りになられるのですか?」
愛華の核心を突いたような質問に、女はほんの少しだけ顔を此方に向けた。あくまで冷静沈着な顔つきなものの、わずかに眉根を寄せている。
「あなたが大変尻に敷いていらっしゃる学園長は、恐らく余計な手出しをされないよう、何らかの策を講じて行動、或いは情報を抑止されているのでしょう。でなければあなた方の理不尽を、学園長が見逃す道理はありません」
「脅しのつもりですか?」
愛華の曇りなき真っ直ぐな瞳に、女はふっと口元が緩んだ。
「あなたも多少は生徒会長の席に見合う淑女となりましたね。私は嬉しく思います」
「彼女の学友に話は聞きました。ここ最近の勇香への扱いは、いち学園生徒の範疇を超える横暴です。私はあなた方の越権行為をこれ以上看過することはできません」
女は嘆息を吐くと、鋭利な眼を愛華に手向ける。
「では、此方も少しばかり借問としましょう」
自分の質問に応えもせず、傍若無人な振る舞いをする女に、ひとにぎりの冷静さを保っていた愛華も感情を露わにした。
「ふざけないでください!!あなた方の独善的な教育方針のせいで、勇香がどのような目に遭っているか想像するだけでも……」
「彼女が、魔王すら超越しかねん才能の原石だとしても?」
女の突き刺すような眼が、愛華を威圧する。
それだけではなく、愛華は女の言葉に納得を覚え、言葉が途切れてしまった。それでも愛華は、一人の少女のために引き下がることは許容しなかった。
「独善的であることは、お認めになるのですね」
「もちろん。彼女の才能が、並大抵の教育で事足りると?」
「だとしてもです。彼女は“才能”の前に一人の女の子。才能欲しさに、彼女自身を蔑ろにするのは間違っています!」
「彼女の成長を遅らせることが、この世界の人類の滅亡を意味するとしても?」
愛華の反論も、女は事実で応酬する。だんだんと顔の険しさが増す愛華だが、そこで怖気づくような小心者では自分を許さない。
「……会長」
感情論だけでは女を説得などできない。それは愛華が一番身に染みていることだ。
それでもこれ以上、勇香に理不尽をかけさせないためにも、愛華が取れる手段は客観的な戦況予測で女を納得させるしかない。
側近の妃樺が静かに見守る中、愛華は感情の高ぶりを抑え、あくまで平然とした態度で舌戦を繰り広げる。
「魔王軍の動向は、随時生徒会の役員二名によって日々明るみになっています。それは委員長もご存じですよね?仮に魔王軍が、あなたの言う“人類の滅亡”──裏日本全土に奇襲を仕掛けるような事態が起こっても、相応の用意が必要のはず。その間に、彼女たちによって此方に伝わります。つまり、こちらには魔王軍に対し大きなアドバンテージがある。人類の存亡を賭けた戦いが起こったとなれば、私も出陣します。私たちと現役を総動員すれば、魔王軍にも引けを取らない戦力を手に入れるはずです」
「結果的に、何名もの優秀な勇者を失うことになろうとも?」
愛華の熱弁も、女は現実を突きつける。
「それとも愛華。そなたはたった一人で、魔王軍を一網打尽に出来るとお考えなのですか?」
「いえ、そうとは考えません。ですが最悪、私が単騎で魔王の膝下に攻め込むことも手段の一つです。私が魔王さえ討伐すれば、全軍の機能が停止し……」
「では魔王軍の兵力が我らの全兵力の何千倍にも上れば?その中に
「そ、それは……」
「あなたの強さは私がよく知っています。世界に三器しか存在しないという神を冠した伝説の武具の使い手──椿川愛華。その実力は“一騎当千”と謳われ、在学中にも関わらずベテランの勇者すら“災害レベルに討伐困難”と言われた
「お、お褒めにあずかり光栄です」
「だからこそ、私は見込みが甘いと言わざるを得ません」
女は勘当するかのように愛華に言い捨てる。
愛華の描く対魔王軍での戦闘のシナリオは、女よりも浅はかだと自認しているつもりだ。それでも愛華は、己の力の全てを賭けてこの世界に生きる人々を護りたい、そのために今の愛華が存在するのだ。無論、勇香だって。けれど、どんな力を培おうが、どんなに実力を積み上げようが、シナリオを一人の犠牲が出ないルートに導出できたことは、残念ながら一度もない。
「お花畑で呑気に花を摘んでいる場合ではないのですよ。敵軍の中に、あなたの才を優に超える者が現れたら?その者が世界に三器しか存在しない神を冠する武具を所持していたら?これまでに掴んだ情報にない?優秀なあなたの部下の情報流出が向う側に知れ渡っており、流出を未然に防いでいるのだとしたら?どうでしょう?あなたが強敵と死闘を繰り広げている最中、人界防衛部隊に
女は的確に愛華を脅した。それは勇香の内に秘める力を知る愛華だからこそ、勇香が戦場に立たずして来る場を迎えた事態の深刻さを、今からでも痛感できるのだろう。
「この魑魅魍魎とした世界では、希望的観測など無用の長物。ですが、それでもなおあなたが光を望むというのなら、彼女に目を向けてみてはどうでしょう」
もし委員会の謀略を見逃し、勇香をいち早く現役の勇者同格にまで成長仕上げた場合、来る場で勇者劣勢の戦況がどれほど好転するか。愛華の中で、その場合のシナリオが皮肉にも完成しつつあるのだ。そう、愛華が一度も辿り着くことのなかった、希望に満ち溢れた結末が。
「……それでも私は、勇香を護りたい」
「時に愛華」
「な、なんでしょう」
「裏東京研修への出発は本日でしたね?同行者全員の用意は済みましたか?」
愛華は“行かない”と、はっきり申し上げるつもりでいた。しかし事実を突きつけられた愛華は、その言葉すらうまく口に出せなくなってしまう。それを見た女は二度目の溜息を吐き、
「まだ、迷いが生じているのですか?私は裏東京急襲に関する調査の全権をあなたに与えたのですよ。あなたにとってこれがどれほどの誉かは、お得意の感情論でお分かりになるでしょう。命令には従いなさい」
口を閉ざす愛華。だがその瞳は、未だに勇香を何としても守り抜くという不屈の闘志が込められている。女はふと、デスク前に立ち尽くす愛華の傍に身を移し、その肩に手を置く。
「これが前生徒会長でも、初動ではあなたと同じ言葉を口ずさんだのでしょうね。あなたと彼女は志が似ています」
「……っ!!」
「愛華」
女は冷然とした眼で突きつける。その眼の魔力。愛華は、まるで見えない縄に締め付けられたように動けなくなってしまった。
「あなたは、過去から何も学んでいないのですか?」
「……っ!!」
「あなたは生徒会長。その意味をよく考え、此度の研修に臨みなさい」
そうすると、女は愛華に背を向けた。反駁はもう許されない。愛華は大人しく振り返り、隣の妃樺に声をかけた。
「行きましょう。妃樺」
「……会長」
妃樺は蝉のように儚く、しかしはっきりとした声音で愛華を呼んだ。
「どうしたの?」
「……研修……私は……残ります」
妃樺の意外な言葉に、愛華は目を丸めた。
「何かあるのかしら?」
「やる……ことが……」
愛華は理由を尋ねるわけでもなく、女の背中に目を移した。女はその視線を感じ取ったのか、此方を向くことなく告げる。
「副会長は残しなさい。どのみち会長不在の間、学園で然るべき事態が起こった際の責任を負う者が一人は必要でしょう」
「了解しました」
愛華は頭を下げて了解し、妃樺と共に部屋を去った。
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